第43話 真宵アリスついにドッキリでないと明かされる
私は事務所の休憩室でドッキリではないと説明を受けていた。
マネージャーが現れたときは、ついにドッキリのネタばらしだと確信した。それなのにまさかの勘違い。
富士山の麓まで行かされたのにドッキリが存在しなかったなんて。信じがたきトゥーランドット。さすがにねこ姉から土下座されては信じるしかない。
マネージャーも苦渋に満ちた口調だった。
つまり私は大規模な遅刻をしたのだ。
約束に厳密な時間指定はなかったが遅刻には違いない。しかも原因が身内の不手際だ。虹色ボイス事務所に多大な迷惑をかけてしまったことになる。
どんな言い訳をしようと、遅刻の連絡を二時間近く怠った私が悪い。スマートフォンを自宅に忘れたのが痛かった。
疑心暗鬼に陥り、ありもしないドッキリを主張して逃亡する。そんな暴挙まで犯している。
そのせいで公式生配信という事務所の看板を汚してしまった。
ここまでやらかしてしまっては事務所から契約解除を申し渡されても致し方なし。説明を受けた直後に覚悟を決めた。そのままねこ姉の横に並んで土下座しようとした。
けれど止められた。なぜか事務所から謝られた。
急に生配信を決めたこと。承諾なしに出演を決めて告知していたこと。色々あったとはいえ、本番直前まで連絡することを忘れていたこと。
事務所側の不手際を認めて、一切私を責める気はないらしい。
けれども公式生配信を台無しにしてしまったことは間違いない。楽しみに集まってくれたリスナーに多大な迷惑をかけたのだ。炎上していてもおかしくはない。
そのはずだったのだが、マネージャーは少し遠い目をした。
「そこが一番問題ないのよね。現在配信中の公式チャンネルの生配信が大盛り上がりだから」
「……成功しているんですね。よかった」
「サプライズなのに入念に準備した年末などの季節大規模イベント並みの反響ね」
「そんなに盛り上がっているんですか! さすが一期生の皆さん凄い!」
「うん。全体の内容の七割が真宵アリスだけどね」
「はえ? 私は出てませんけど」
「七割が真宵アリス。一割がトゥーランドット。残り二割が演者同士の掛け合いかな」
「私とねこ姉で八割!? 公式生配信でなにが行われているんですか!?」
登場してもいない真宵アリスで大盛り上がりとは謎である。
皆で私の悪口を言い合っているとかだったら悲しい。けれどそんな気配は微塵もない。
事務所を走り回っているときも思ったが、怖いくらい周りが好意的だ。楽しんでいる空気感が伝わってくる。
そんなネタになることをなにかしただろうか?
なに一つ心当たりがない。
「事務所として責任を問うつもりがない理由もそこなのよ。公式生配信が炎上していれば、たぶん話が違ったわよ。事務所として公式謝罪文を出したうえで、真宵アリスに謝罪させるとかもあったんだろうけどね。リスナーは真宵アリスの登場を今か今かと好意的に期待している状態。これで真宵アリスを責め立てたりしたら、それこそ大炎上でしょ」
「……知らないうちに期待値が爆上がりしている。公式生配信に参加するのが怖くなってきました」
「アリスが出ないと本当に炎上するからお願いだから出て。それに罪悪感があるなら、ちゃんと謝りたいでしょ」
「そうですね。怒っていないとしても遅刻したことは事実。謝罪はしなくちゃダメです。……でもどう謝罪すればいいのでしょう?」
挨拶。感謝。謝罪。
この三つはちゃんとしなさいと育てられてきた。
怠ることはしたくない。けれど謝罪はとても難しい。
空気の読めない謝罪は最悪だ。真摯な謝罪を求められているのにふざけた謝罪をするのは論外。楽しく盛り上がっているところに水を差すような謝罪も独りよがりで話にならない。
相手が怒っていない謝罪は難しい。
「それならちょうどいいアイテムがあります! 真摯に謝罪していることがわかるのに、配信も大盛り上がり間違いなしです!」
そう言ったのはセツにゃんだった。
私の横で美しい佇まいで座っていた。つい最近まで芸能界で子役第一線で活躍していただけあって、背筋の伸びた礼儀正しい黒髪の美少女だ。
その手にあるのはドラゴンブレイク。引きこもり故に入手を諦めていた自販機限定味の『白龍皇の癒し~ヨーグルト味』と『炎獄龍の刻印~トマト味』がなんと事務所の休憩室の自販機に売ってあったのだ。ついに私は巡り合えたのだ。
歓喜だった。
迷惑かけたので後ろめたい。
今後も事務所に来るつもりはなかった。
それなのに事務所に通う理由ができてしまった。困ってしまう。
一人では一度に二本も飲みきれない。今日はどちらを買うか迷っていたら、セツにゃんが「それなら一本私がもらいましょうか」と助け舟を出してくれた。やはりとても優しいいい子だ。両方買って二人で回し飲みしている。
セツにゃんが持っているのは炎獄龍の刻印。私は白龍皇の癒しをメインに飲んでいる。すでに一口もらってセツにゃんにプレゼントしたあとだ。
炎獄龍の刻印を受け取ったセツにゃんは、とても真剣な面持ちで缶を見つめて黙り込んでいた。もしかして『トマト嫌いだったのかな』と気にしていたがそんなことはなかった。
立ち上がったセツナちゃんは意を決したように炎獄龍の刻印を一気に飲み干した。
そして足元においてあったカバンから謎のアイテムを取り出した。
「……それはネコミミとネコ尻尾! なぜそんなものがカバンの中から!?」
「企業案件のモニターです。虹色ボイス事務所と某大学の研究室が共同開発している最新式のネコミミと尻尾の試作品ですよ」
セツにゃんが少しドヤっている。可愛いが言っていることは謎だ。
「……最新式のネコミミと尻尾とは一体? 大学の研究室? 謝罪に都合がいいアイテムなの?」
「つけてみればわかります。これはVTuberのために開発されたネコミミと尻尾です! アリスさんつけてください! ちなみに試作品は予備を含めて二個しかありません! 私もつけて配信に出ます。アリスさんとお揃いです!」
疑問には答えてもらえない。
でもセツにゃんから「アリスさんとお揃いです」と嬉しそうに言われてしまったら断れない。
こうして私は黒猫パーカーを脱ぎ、なぜかネコミミと尻尾をつけてスタジオに向かうことになった。
どちらも猫を被っているのであまり変わらないのでは。
そんな私の疑問にセツにゃんが答えをくれた。
「我々の業界では黒猫から白猫へのチェンジは転生を意味するほど重要です」
どんな業界だろう。VTuber業界か、子役業界か。聞きそびれてわからない。
さすがは業界人歴が長いセツにゃんである。
私の知らないことをよく知っている。勉強になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます