第28話 全ての過去を見ない者に死は訪れない!

 ここまで記したように、予期せず勃発した巨大地震は、奇しくも俺の本性を露呈させ、部分的に光と影のコントラストで演出した。


 光の部分は、俺が正に有事の適任者であるということだ。


 俺の本来の戦闘的、粗暴的な性格が有事では悉くまかり通る。


 恐怖と不安の中、臆病者が声を潜めている間、乱暴ではあるが勇敢な輩に脚光が当たる。


 それが、束の間のスポットライトであるかもしれないが、穴蔵に隠れ込んだ臆病で狡猾な輩には決して光は当たらない。


 復興とはそういうものだ。


 平和な時代に大手を振っていた者から、その間、邪魔者扱いにされていた無法者にバトンが渡され、整体リハリビと同様、荒治療により、急場が凌がれるのだ。


 俺の会社も迷いなく、この粗暴極まりない性質である俺に会社運営を託し、危険地域であった益城町、阿蘇村の復興に関しては、一定の成果を上げ、被災地復興に係る会社活動を遂行できた形となった。


 これが光の部分である。


 方や影の部分も活性化を図って来た。


 「鬱」の活性化だ。


 粗暴な輩も平時ではない有事においては、莫大なエネルギーを消耗する。


 決して水を得た魚ではないのだ。


 忽然と姿を晦ました臆病者共の代わりに、恐怖と戦う覚悟を堅持している乱暴者が抜擢されるだけなのである。


 当然として、生身の人間である以上、気力・体力は限界を超え、心身共に疲労困憊して行く。


 この際、乱暴者は臆病者と違い、アクセルを緩めない。


 後は野となれ山となれ


 行けるところまで行くのである。


 すると、有事の真っ只中では感じなかった、何かが、平穏が近付くに連れて、姿を現し始める。


 そう、乱暴者は、もうすぐ、自分の役割の終焉が近づいているのを承知し、またしても、闇の部分に覆われるのかと言った定を感じ、自身の敵に喰い尽くされるのだ。


 戦場の戦士は病んでるものだ。


 1秒足りとも、隣人である恐怖は去らない。隣に居座っている。


 乱暴者でも戦士でも「死」への恐怖は、臆病者と変わりがない、恐怖の中でも行動が出来るだけであり、それだけの違いだ。


 ここで、自身の登場を今か今かと待ち望んでいた「影」が姿を現してくる。


 乱暴者、戦士の一瞬の油断を見逃さない。


 俺の場合は、その影は「鬱」であった。


 巧妙な手口で、そして、残酷極まりない手口で襲いかかる。


 「鬱」は俺が先に逃げないよう未来・将来に蓋を閉じる。


 「鬱」は、俺を過去に誘き出す。


 そうして、「鬱」は、ナプキンを膝に掛けて、フォークとナイフを掴み、俺というディナーを堪能するのだ。


 乱暴者はここでも逃げない。


 いや、逃げる術を知らないのだ。


 「鬱」の計画を承知しておきながらも、抗うことを良しとし、「鬱」の用意した「過去」へのトンネルに足を踏み入れる。


 そこには、壮絶な過去が用意されている。


 ご馳走も有れば毒もある。


 きっとそうなるであろうと分かっていながら、先ずは「鬱」の期待通りにご馳走に手をつけ、最後はお決まりの毒を飲む。


 五臓六腑、毒が染み渡ると、踠き苦しみ、水面へと浮上を試みる。


 水面の近付きが、その上にある何かの光によって分かってくる。


 何の輝きかも確かめようとせず、力任せに水面から弾けるように飛び出し、目一杯、呼吸をする。


 助かったと思ったのも束の間、その水面を照らしていた輝きの正体に驚愕する。


 決して忘れることのできない過去の怨念、トラウマが俺を先回りし、水面に模擬的な光、輝きを放ち、俺を待ち構えていただけであった…。


 その輝きは、これでもか!と言わんばかりに、最悪の経験の矢を撃ち込んでくる。


 全身を矢に射られた俺の身体は、浮上力を失い、水面から消え、水底に沈んで行く。過去という暗い暗い水底へ…


 あの水面を照らしていた輝きは、そう、「高貴の微笑み」である。


 いつもいつも、どんな時も、俺を上から見下している。


 俺が浮上するきっかけを掴むと必ず、上から矢を放つ。


 お前は決してこの先は上がって来てはならぬと言わんばかりに、光と影の境界線に鎮座している。


 それが俺の「影」そのものであり、この先も俺の光への侵入を防止するべく立ちはだかる。


 俺はそれに抗うことを止めない。


 それを止める時は死ぬ時だ。


 「高貴の微笑み」に対する怨念、憎しみが、俺を過去の泥沼から浮上させるべき「怒り」のエネルギーとなる。


 影の世界を生き続ける中、「鬱」の世界を生き続ける中、今を生き続ける中、俺の呼吸が止まらない以上、暗黒からの浮上を阻止する中心者である「高貴の微笑み」に抗うしか、俺の生物としての活動はない。


 なんでこうなってしまったのか?


 その自問自答は錆びたジャックナイフの如く、役に立たない。


 どうしようない。


 これが定めだ。


 これが運命だ。


 こんな定を誰が決めたのか?


 無神論者の俺には答えはない。


 感情を持たぬ創造物に変化したいと何度思ったことか!


 岩でも良い。


 そのまま、全く動くことも出来ず、何万年もの間、そこにあるだけの存在。


 それでも良い。


 感情がないだけましさ…


 こんな哲学的な妄想を来る日も来る日も、俺は被災し、味わった。


 やがて、時が過ぎ、やはり俺の役目は終わった。


 息子の自殺と共に九州に戻り、仕切り直しする間もなく巨大地震に被災し、粗悪な本性を使い果たし、「鬱」の巧みな攻撃を受け続け、思い出したくもない過去の最大のトラウマ「高貴の微笑み」が再訪し、何のメリットもなく、ここ熊本での一年が終わろうとしていた。


 会社の震災復興事業は、机上の仕事へと変化した。


 俺みたいな粗暴な荒くれ者は御用納めだ。


 会社は俺を長崎へと異動させた。


 その異動に被災地での貢献の証も無ければ、粗暴さに対する咎めもない。


 ありふれた異動であった。


 俺にとって、会社の異動など、最早、糞をするより、どうでもよいことであった。


 「鬱」が襲いかかり、毎日、1リットルの吐血をする心体となった俺は、やっと「死」の近づきを感じることができており、その方向への対処と興味で一杯であった。


 熊本、最後の勤務を終えた俺は、長崎に移動するため、水前寺駅へと歩いて向かっていた。


 3月の終わり、春雨前線による大雨が降り注いでいた。


 駅に着き、傘をたたみ、改札に上がる階段を見遣った。


 俺の前をびしょ濡れの学生のカップルがゆっくりと階段を登っていた。


 俺はその学生達を追い越し階段を登った。


 階段を登り切った時、振り返った。


 追い越したはずの学生達の姿がなかった。


 俺はその時、ハッとした。


 そして俺は思い出した。


 この地、この熊本…


 俺と「高貴の微笑み」とが愛し合っていた地であったことを…


 30年前、確かに、俺はこの地で、「高貴の微笑み」と愛し合っていた。


 あのびしょ濡れの学生カップル…


 それは、俺と「高貴の微笑み」の過去の幻影か…


 因果転生…


 俺は取り戻しの付かない場所まで登り詰めた事に寒気がした。


 もう戻れない…


 本当に痛感し、そして覚悟した。


 完全に「過去」を敵に回してしまった…


 これからの試練は、巨大地震どころではないことに改めて覚悟した。


 俺の足は震えるように戦慄き、あのびしょ濡れの学生カップルのように、ヒトヒトと雨水を垂らしながら、この先の行手へと、仕方なく足を進めた。


 その時、俺の心は俺に問うた!


「実はお前の方が悪かったんじゃないのか?「高貴の微笑み」も、お前の息子と同様、お前の被害者であったのではないのか?」と


 俺は改札を抜けた時点で止まった。


 そして、勇気を持って、熊本を振り返った。


 そこには、朧げな光が見えた。


 白い、いや、青白い光だ。


 とっても哀しそうな光だ。


 俺の眼はその光を睨んだまま、俺の脳裏まで睨み付けた。


 そして、俺の心は俺にこう言った。


「過去から目を背ける者に死は訪れない。

 全ての過去を見ろ!」と

 

 

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