第34話

 未生は絵州市のマンションへ戻る途中で、彩乃に会うことにしていた。

 あの日、病院で目を覚ますと、世界は一変していて、しばらくは混乱の中で過ごしていた。


「とりあえず、身内に連絡を」

 目を覚まし、警察関係者や、病院のスタッフに言われるままに電話したのは、両親ではなく凪だ。

 両親にはどう話したらいいのか分からなかったし、凪は帰りが遅いことを心配しているだろうとも思った。

 未生と連絡が取れないことを心配していた凪は、病院まですぐに駆けつけてくれた。


「あたしから未生ちゃんの家には連絡しておくから。まずは、ゆっくり休んで」

 念のため、一晩入院することになったと伝えると、凪はバッグを差し出した。

 着替えや洗面道具など、あらかじめ用意してきてくれていたのだ。

 ショックと薬の副作用でまだボンヤリとしている未生に代わり、テキパキと手続きや連絡をこなしてくれた友人は、実に頼もしかった。

 普段はおっとりした様子なのに、芯はしっかりしている。改めてそう思った。


 翌日、もう一度警察で話を聞かれた後、駆けつけてくれた両親と、一度実家へ戻ることになった未生だが、それからがまた大変だった。

 未生の交際相手だった桜木隼也の正体が暴かれたのだ。

 両親はもちろん憤慨し、未生も怒りと情けなさで震えずにいられなかった。

 職業を偽られていた時も頭にはきたけれど、理由があるのだからと言い訳ができた。

 だが、職業もウソ、学歴も名前もウソ、おまけに人に言えない趣味まで持っていたとなると許容範囲を超えている。


 ニュースの画面を見るたび、隼也の顔写真の下に『郷右近隼輔ごううこんしゅんすけ容疑者』と本名が出されるのにも、すでに違和感はない。それくらい、頻繁にニュースのネタになっている。


「珍しい苗字だし、ちょっと変わったやつだったから、よく覚えてますよぉ」

「一緒の高校だったんすけど。いっつも兵器の話とかしてましたね〜そうそう、兵器オタク!!」

 郷右近隼輔の同級生だと名乗り出て、インタビューに答えている人たちは、モザイクをかけられた顔と、エフェクトをかけられた声で結構好き放題喋っている。

 SNSではさらに酷く、次第に未生を中傷するようなコメントまで見られるようになってきた。

『ていうか、こいつが煽って殺し合いさせたとか?自分から現場について行ったんだろ?』

 とうとう、根も歯もないそんなコメントで盛り上がっている掲示板を見た時、しばらくこの話題は見たくない、と未生は痛切に思った。

 それからは、あまりニュースも見ないようにしている。


 大学の友人達にはすでに、『事件に巻き込まれた二十代の女性』が未生だとバレていた。

 次々に、メールや電話が入ったが、こちらにもとても応じる気にはなれず、この1週間はスルーして過ごしている。


 彩乃は睡眠薬を飲まされた上に、麻酔薬の注射までされていたらしく、未生より2日ほど長く入院していた。

 未生は何度も連絡を入れたが、なかなか返事はなく、やっと昨日になって電話に出てくれた。

「いろいろ…取調べとか、あったから」

 力なくそう言う彩乃の口調は、抑揚もなく、妙に淡々としていた。

 もう少し実家で休ませてもらおうかと思っていた未生だが、それが気になって、絵州市に戻ることを決めたのだ。

 両親は反対したが、

「ナッピもいてくれるから、大丈夫」

 と、押し切った。


 両親が駆けつけるまで、なんだかんだと未生の身の回りの世話をしてくれた凪に、両親は絶大な信頼を寄せている。

「やっぱり、絵州市で暮らさせるのは、怖いわ。水沢さんが一緒だからまだ、いいけれど」

 母は、絵州市は危険なウィンガーが野放しでウロウロしているところ、という認識を強くしてしまったらしい。

 父親も同じで、知り合いの企業主などに働きかけて、強硬な対策をとってもらう、などと息巻いていた。


 だが、未生はそんな両親のことよりも、彩乃が心配で、仕方がなかった。

「まだ、体調悪いし…」

 と、会うのを拒む彩乃に、

「絵州市に戻ったら、すぐ会いに行くから」

 と、強引に言い切った。


 少し緊張しながら彩乃のアパートを訪ねると、すぐにドアが開いた。

 笑顔はぎこちなかったが、目には、未生に会えてホッとした光があった。

 思ったよりもスッキリした顔をしている。

「会えてよかった」

 そう言ったのは彩乃の方からだった。


「ホントはね、いろいろ話したかったんだ。でも、なんか…まだ、警察とかアイロウの人とか結構うちの周りウロウロしてて…」

 未生は歩いてきた時の様子を思い浮かべた。

「特に、それらしい人はいなかったけど」

「そう?なら、よかった」

 部屋をぐるりと見渡すと、先日来た時とほとんど様子は変わっていない。

 壁際に置かれた洋服掛けに、立山の上着が何着かかけられているのも、そのままだ。

 いたたまれなくて、未生は視線をずらした。


 冷蔵庫から、ペットボトルのお茶を出してよこすのも、この前と一緒だった。

 何から話せばいいか分からなかったが、とにかく何か言わなければ、と未生が口を開こうとすると、

「私、引っ越すことにした」

 唐突に彩乃が言った。

「えっ…あ…どこに?」

「昨日からさ、うちの母親、来てんの。今、買い物行ってるけど」


 未生の質問には答えず、苦笑いを浮かべながら彩乃は続ける。

「ニュースで事件のこと聞いて、私が巻き込まれたって分かったら、ぶっ飛んできてね、あのババア」

 言い方は悪いが、自分を心配して来てくれた母親に感謝している様子は伝わった。

「一度、家に帰って来いって言われたの。仕事も…やめるしかなさそうだし、そうしようかなって」

「そう…かぁ…」

 未生は言葉少なに頷くしか出来ない。

 確かに、立山の物が多く残るこの部屋で、一人で暮らすのは辛いだろうし、仕事も辞めるとなれば、経済的にも大変だろう。


「ごめんね、いろいろ迷惑かけて。未生まで危ない目に合わせて」

 彩乃にこんな風に頭を下げられるなんて、初めてだ。未生は大きく首を振った。

「隼くんと付き合ってたのは、私だもの。あんなこと、してる人なんて知らなかった。私…何もかも騙されてたの、悔しい!」

 ぎゅっと下唇をかみしめ、俯く未生に彩乃も俯き、2人してしばし黙っていた。


 やがて、グッと顔を上げ

「…そうだね、環境が変われば、嫌なことも忘れられるかもしれない。いいね!引っ越し」

 意識して口角を上げながら未生が言うと、彩乃も顔を上げた。

 その眼差しが、ふっと憂いを帯びる。

「ううん。忘れないよ」

 静かに、だが、ハッキリと彩乃は言った。

「ナオちゃんのことは、絶対、忘れない。楽しかったことも、悲しいことも、全部覚えていたいの」

「あ…ごめん…」

 ハッとして口籠る未生に、彩乃は穏やかに首を振った。


「いいよ、気にしないで。心配してくれてるのは、分かってるって。あ、そう言えば、この前水沢さんにも聞かれたな〜」

「え?ナッピ?会ったの?」


 一度、ジーズバーで会っただけの自分のルームメイトに彩乃が会ったと聞いて、未生はちょっと驚いた。

「あの子、すごいいい子だよね。入院してた時、洗面道具とか、タオルとか、私にも差し入れしてくれててさ。でも、看護師さんに頼んでったらしくて、直接会えなかったんだよね。ちゃんと、お礼言っとこうと思って。ジーズに行ったら会えるかな、って…昨日、行ってみたの」

「へえ、知らなかった。ナッピ、何にも言ってなかったし」

 だが、凪の性格からしてあり得そうな行動だ。


「マスターが連絡してくれて、あの子、わざわざ来てくれたの。買ってくれたもののお金、払おうとしたんだけど、いらないから、一杯奢ってって言われたわ」

 結局、渡そうと思って持って行った封筒の中身で彩乃も一緒に飲んできたらしい。

 事件以来、まともな食事などしていなかった彩乃だが

「マスターがサービスで出してくれたピザ、美味しかったんだよ。でも、おいしいって言ったら一緒に涙出て来ちゃって、1人で号泣」

 ちょっと照れ臭そうに笑った。

「そしたら、水沢さんに忘れたい?って聞かれて」


 いつも通りの淡々とした口調で、でも、心配気に顔を覗き込む凪の様子が想像できる。

「それまでは忘れられたら楽なのにって、思ってたんだけど…そう聞かれたら、絶対!忘れたくない!って、なんだろ、忘れてなんかやらない!って」

 そう言う彩乃の顔色は冴えないものの、どこか吹っ切れた強さがあった。

「ナオちゃんね、私のそばにぴったり寄り添って、倒れてたんだって。最後まで、守ってくれたの。そんな人のこと、忘れちゃダメだよね」

 涙はない。だが、悲しみを飲み込んだ目だった。

 その悲しみと一緒に歩いて行く決意をした目だった。


 未生は彩乃のその顔に、安堵しながらも、ふと苦々しい塊が胸を塞ぐのを感じた。

 …同じなのに…同じように、彼氏を亡くし、打ちひしがれているはずなのに…

 未生にあるのは、全てを裏切られた、という動揺と怒りだけだ。

 隼也のことを好きだったのかどうかすら、自分で分からなくなっている。


 ふと、彩乃に、嫉妬に似た気持ちを感じていることに気付き、未生はますます落ち込んだ。

 塞いだ様子の彩乃が気になって、なんとか力になれればと思って、ここへ来たはずが…


 引っ越す前に、もう一度会おうと言う、彩乃の言葉に

「もちろん!」

 と返しつつ、しばらく会わずにおきたい、という本音が、惨めな気分にさせる。

 なんで、私だけ、こんな情けないの…

 そんな言葉を口に出さないうちに、未生は、取り繕った笑顔のまま、アパートを後にした。

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