第20話
隼也との通話を切ると、須藤はギリッと歯噛みした。
あの黒人男性の翼は、須藤にも衝撃だった。おまけに、愛凪に何をしたというのか。
須藤は、マイケルが、真壁や愛凪の兄を相手に大立ち回りを演じ、愛凪を攫おうとでもするのかと予想していた。
シーカーの能力者のことが、どこからか漏れていないとは限らない。愛凪に目をつけたどこぞの組織が動き出した、なんてヒーローものの定番のような筋書きだが、ウィンガーの世界ではあり得なくない話だ。
だが、マイケルは、愛凪の背中に手をかざしただけだった。少なくとも、須藤のいた場所からはそう見えた。それが…まるでその手は愛凪の背中から、翼を引っ張り出したかのようだった。
彼らから、かなりの距離が離れていたことに、須藤は感謝した。あの、黒人男性は、異様だ。うかつに近づいてはいけない存在だ。
駐車場から急いで車を出し、次の行動プランを練る。
須藤がいたのは、真壁の自宅から谷を挟んだ、反対側の崖沿いの駐車場だった。
駐車場というか、方向転換をしたり、トラックなどの休憩用に道路脇に作られたスペースだ。
真壁モーターズの前の道路をしばらく走り、山手の方へ向かうと、道は一気にカーブする。そして5分も走り、この辺りまで来ると、ちょうど谷を挟んで真壁の自宅が見えるようになるのだ。
しばらく前に、自販機で飲み物を買おうと停まった時に見つけた場所だが、その時は冬場で、道路脇の木々は葉を落とし、今よりも向かい側が良く見えていた。
真壁家の両隣は、崖沿いのギリギリまで建物が建っているか、木や植物に覆われ、崖側に庭があるのは真壁の家だけ。
そこだけポッカリとスペースが空いており、向かい側から見ると、秘密基地のような趣きがあって、印象に残っていた。
もちろん、その時はこっそり真壁の自宅を観察するのにいい場所だ、などとは思いもしなかったが、今回の一件が持ち上がった時、すぐに思い出した。
愛凪の個人的な問題であるにも関わらず、愛凪と隼也だけに任せなかったのは、うまくやれば今後、真壁和久に貸しを作れると考えたからだった。
ウィンガーの協力者は使える。
収穫は、予想以上。
立山尚が、まさかここにいるとは、須藤も考えていなかった。
真壁と立山がどうしてつながっているのかは、気になるところだが、立山をウィンガーだと知っていて匿っていたのは間違いない。
会心の笑みを浮かべた須藤だったが、マイケルの翼の出現が、その笑みを凍りつかせた。
「…くそっ…」
ハンドルを握りながら、普段なら有り得ない、そんな言葉が口をついたことにも、須藤は気づいていない。
どこへ向かっているのかも考えず、闇雲に車を走らせた。
あんな大きさの翼が、なんで報告されていないのか。状況から察するに、あの男も隠れウィンガーに違いない。保護すれば、世界的に取り上げられるだろう。
『世界屈指の大きさだ。コントロールも完璧。素晴らしい!』
トレーニングセンターの担当者は当時、そう言って須藤の翼をベタ褒めした。
研究者を名乗る人々が、入れ替わり立ち代わり写真を撮りにくる。
『疲れてないかね?君の都合に合わせてくれて構わないんだよ。我が国の代表となるウィンガーなんだからね、君は』
付き添っているアイロウの高官は、上機嫌だった。
学業成績は優秀。容姿も整っている須藤は、広告塔としてうってつけだったのだ。須藤自身もそれは自覚していた。
体格にこそあまり恵まれなかったが、文武両道、何事もそつなくこなすことのできる須藤はいつだって、人の輪の中心にいた。
どんな相手にも臆することなく、それでいて誰にも煙たがられることもないコミュニケーション能力は、ウィンガーという特殊な肩書を得てからも役にたった。
全て己の手の上で、ことが進んでいくのが、須藤にとっては当然だ。
だが、あの大男のウィンガーは…
あれほど距離があったにも関わらず、あの翼を見た瞬間、須藤は寒気を覚えた。
圧倒的な何かが、あの場所には渦巻いていた。
一対一で対峙したら、絶対負ける。
認めたくはないが、確信した。
胸に湧き起こる乱れた感情が、嫉妬とか羨望と呼ばれるものだと、須藤は知らない。そんなものには、これまで無縁だったからだ。
しばらく周りも見ずに車を走らせていたが、コンビニの看板にふと我に帰った。
(まず、しなきゃならないのは…)
コンビニの駐車場に車を停め、スマホを取り出す。電話帳を開きながら、須藤は舌打ちした。
(あいつら、こっちに気付いていたな…)
あの黒人男性ウィンガーが、間違いなく須藤のいた向かい側の崖に目を向けていたことを思い出す。
迅速に、行動を起こさねばならない…
愛凪は四つ這いのまま、荒い呼吸を繰り返していた。
海人が声にならない声をあげながら、妹へ這い寄る。
その光景を冷静に見下ろしていたマイケルは、ハッと顔を上げ、庭のフェンスの向こうを振り返った。
「誰カ、見テマシタ」
同じ方向へ目を凝らした真壁は、店の方から聞こえるエンジン音を耳にした。
「やばいな…なぁ、愛凪ちゃん、誰と一緒に来たんだ?」
まだ地面に手をついたままの愛凪のそばへかがみ込もうとした真壁に
「グアアァァ!!」
突如、獣のような咆哮をあげ、愛凪がとびかかる。
すんでのところで飛び退いた真壁は、鮮やかに身を翻して身構えた。アクションスターかと思われるような身のこなしに、立山が感嘆の声を上げる。
「愛凪!愛凪!」
後ろから飛びついて妹を取り押さえようとした海人は、あっさりと振り払われ、転がり、コンクリート敷きの部分に側頭部を打ち付けて呻いた。
「なんか…やばいぞ!愛凪ちゃん、しっかりしろ!」
愛凪の目は、爛々と見開かれている。そのくせ、焦点は合っていない。
背中の翼が、ヒュッと音を立て、大きく開いた。のびのびと風を受け、ため込んだエネルギーを発散しているようだ。
愛凪が一歩、足を進めると翼は不安定にユラユラと揺れた。
真壁は用心して距離をとった。
初めて翼を発現した時に、暴走を起こすという話はよく聞いている。だが、実際にそういう症例を見るのは初めてだった。
真壁自身も含めて、彼が今まで見てきたウィンガーたちは、こんな暴走は起こしたことがない。
ゆらりと顔を上げた愛凪と目が合った、と真壁が思った次の瞬間、目の前に鬼気迫った愛凪の顔があった。いきなり胸ぐらを掴まれ、足が宙に浮くーーかと思われた一瞬に、真壁は愛凪の腕を掴んで自分から引き離す。
背中には白い翼が現れていた。
力任せに掴みかかろうとする愛凪と、その手首を掴んで押さえ込もうとする真壁。
正面から取っ組み合う構図は、天使同士が力比べをする、異様な光景を描き出した。
「落ち着けよ!頼むから…!」
続いて翼を現した立山が、押され気味の真壁に加勢する。だが、
「ガアアアッッ!!!」
叫びながら、愛凪は強引に身をよじった。
振り回され、足がもつれた立山が地面に倒れ、ついで真壁は唸りを上げて飛んできた愛凪の右足に、掴んでいた手を離して身をかわした。
転がる立山に、愛凪がとびかかる。
その愛凪を後ろから、ガッチリと掴んだのはマイケルだった。
大きな手が愛凪の肩を掴み、後ろへ引き戻す。
さすがに力の差があるのか、愛凪はよろめきながら後ろへ下がった。だが、次の瞬間
、マイケルの手から愛凪はすり抜けた。突然、しゃがみ込んだのだ。
間髪入れず、マイケルの右足にタックルした愛凪はそのまま、マイケルの巨体を持ち上げた。
真壁も立山も、やっと起き上がった海人も唖然として見つめるしかない。
愛凪は思い切りマイケルを振り回すと、100キロは超えるであろうその体をいとも簡単に、ハンマー投げのように放り投げた。
宙を舞ったマイケルの巨体は庭のフェンスを越えーー背中の翼がヒュン、と風を切り、ピタリと空中に静止した。
「うひあぁぁっっ」
空中に浮く巨体に立山が腰を抜かす。
尻もちをついたまま、ものすごい勢いで後退り、家の壁に背中と後頭部をしたたかに打ちつけた。
愛凪の方は、人が空中に浮いていることに動揺した様子も見せず、視線はマイケルの方を向いてさえいない。
「…out of control…Why? She"s a Reiko"s child…」
呆然としたマイケルの呟きに答える余裕のある者はいない。
(なんか、おかしいぞ。絶対、ヤバイ…)
真壁は愛凪に全神経を傾けながら、海人の様子を伺った。
海人は、妹がウィンガーとして覚醒したことに動揺しきっている。冷静に状況を見れる状態ではない。
立山は、ウィンガーとはいえ、自分たちより知識も経験も少ない。
マイケルはーー正直、真壁はマイケルを信用しきれていなかった。この事態だって、マイケルが引き起こしたものだ。
明らかに、愛凪はおかしい。ただの暴走状態というには……
真壁にはうまい言葉が見つからなかったが、何年も力をコントロールしてきている自分たちが、全く取り押さえられないなんて、普通ではない。まして『アーククラス』のマイケルが投げ飛ばされるなど…
「カイ!とにかくなんとか押さえろ!長くても10分くらいで翼は消えるはずだ!」
海人はガクガクと頷く。
素早く真壁が右腕を、海人が左側から体ごと抱き抑えた。
「ウアアアーッ」
叫び声をあげ、身をよじる愛凪の肩を、空から戻ったマイケルが掴む。
「グワアァァ!!」
およそ、10代の少女とは思えない声が庭に響く。
「10分て…10分て、何分だ?!」
海人がトンチンカンな問いを発するが、誰も突っ込めるはずもない。その時、
「なあに、やってんだあ?」
およそ、この場にそぐわない呑気な声が聞こえた。
家の傍から、人影が現れる。
「本郷!」
「本郷!」
その顔を見て、真壁と海人は同時にすがりつくような声を発していた。
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