第18話

 真壁モーターズの入り口には、ロープが張られていた。店にはシャッターが下され、一目で店休日であることがわかる。


「1人で行った方がいいだろ。お前1人なら兄キもすぐ出てくるんじゃないか」

 隼也にそう言われ、愛凪は頷いて車から降りた。


 午前中に吹き荒れていた風はすっかりおさまり、日差しだけが燦々と降り注いでいる。

「ありがとうございます。送ってもらって」

 頭を下げて、ドアを閉めようとしたら

「しばらく、待っててやる」

 そう言われて驚いた。

「帰りの足がないだろ」


 それは確かにそうだ。

 この辺りはバスは通っているものの、本数は1時間に1本あるか、ないか。

「いいんですか?せっかくの半休…」


 愛凪としては、ありがたい話だが、ここで隼也に借りを作るのも躊躇われた。

 午前中の仕事が忙しくて、オフィスを出たのは結局2時近く。今はもう、3時近くになっている。半日休みの半分は終わってしまった。

 隼也は不機嫌さを隠そうともせず、それでも愛凪の遠慮を遮った。

「時間かかりそうな時は教えろ。あと、」

 ふと、その目に厳しい色が浮かぶ。

「なにかあったら、すぐ連絡しろ。相手は、ウィンガーなんだからな」

 愛凪ははっと息を飲んだ。


 忘れていたわけではない。だが、隼也に改めて言われると、その意味の重さに鼓動が早くなった。

 相手は兄(ここにいるなら)と、兄の同級生。2人ともアイロウに登録され、トレーニングを受け、暴走などの履歴のないウィンガーだ。

 自分に危害が加えられるとは、考えていなかった。だが、逃亡を謀られたら、1人で対処出来ないことは確実だ。

 兄が変な気を起こさず、話し合いに応じてくれれば、後はなんとかなるはずなのだが…


 店舗の脇に停めてある大型バイクの横を抜け、裏に回ると、店よりも一段低い場所に古い住居が建っていた。

 これが、真壁和久の現在の自宅らしい。


 クリーム色の外壁はくすんで、ところどころ黒いシミが浮き出ている。赤いトタン屋根はすっかり色あせ、オレンジともピンクとも言えない、ぼやけた色合いになっていた。

 2階の窓は、どれもカーテンが閉まっている。玄関付近からも中の様子は窺えず、どうしようかと、愛凪は考えた。


 こっそり忍び込んで、兄の姿を探すのが一番手っ取り早いが、そんなコソ泥みたいなマネはできればしたくなかった。

 まず、真壁が在宅しているか、どうかを確認しなければならない。


(電話をかけてみようか…中で着信音が聞こえれば、家にいるということだし。でも、誰からかかってきたか、すぐわかっちゃう…)

 その時、不意に話し声が耳に入ってきて、愛凪はビクッと体を縮めた。


 家の向こう側…庭の方らしい。

 なにを話しているのかは、よく聞こえないが、男性の声だ。

 そっと、足音をたてないように、家の脇を回り、声のする方へ向かった。


 家の軒下には古タイヤや、錆び付いた鉄屑が積まれている。

 いつから放置されているのか分からない、バンパーの一部を蹴飛ばさないように跨ぎ、積み重なったタイヤの陰から耳を澄ました。


「…ワタシタチハ、情報ヲ、必要デス…」

 聞こえてきたのが、野太い外国訛りの言葉だったのは意外だった。

 思わず首を伸ばした愛凪の目に入ったのは、こげ茶色の巨像。

 一瞬、庭に銅像でも置いているのかと思ったが、像は動いている。声も像の上の方から発せられている。


「彼ガ、イナクナッタ、正確ナ日ガ…」

 落ち着いて見れば、大柄な黒人男性だとすぐに分かり、愛凪は自分でもおかしくなった。

 それにしても…身長は2メートルはありそうだ。ほとんど後姿なので、顔は分からないが、スキンヘッドの下の首は頭部と同じくらいの太さがある。茶色のレザージャケット越しでも、かなりのマッチョな体の持ち主であるのは想像できた。


(お客さんが来てるなら…)

 愛凪が思った通り、

「マイケルさん、そんな前のことも関係あんの?」

 真壁の声が聞こえた。

 愛凪のいる場所からは姿は見えない。

 庭に面したガラス戸の前にでも座っているらしい。

 ザッザッ、と足音がしてマイケルの前に、人影が進み出た。並ぶと、まるで大人と子供だ。髪は、オレンジではない。もう一人、来客がいるのか…と、少し身を乗り出すと、マイケルを見上げる男の横顔が見えた。


「えええ?!」

 声を出すと同時に勢いよく立ち上がってしまい、愛凪が自分でも

(バカ!やっちゃった…!)

 と、後悔した時にはどうにもならなかった。

 庭にいた3人も一斉に驚きの表情で、愛凪を振り返っている。

 一番最初に口をひらいたのは、立山尚だった。

「…シーカー、なんで、ここに…」


 口を押さえて固まっていた愛凪だが、その呼称にはすぐ反応できた。

「…なんで、知ってるんですか?シーカーのこと…」

 無意識のうちに前へ進み出る。真壁の呆然とした顔も、マイケルの興味津々の眼差しも、愛凪の目には止まらなかった。

 真っ直ぐに、立山の顔を見る。

「あ…いや…」

 目をそらし、口籠る立山を見ているうちに、愛凪はハッとした。

「真壁さん、立山さんと知り合いなんですか?この人は…」


 向き直った先の、真壁の反応に、愛凪は途中で言葉を飲んだ。真壁は、立山がウィンガーだと知っているのだ。そして…

「真壁さんも、もしかして、知ってるんですか?シーカーのこと…」

 真壁もまた、面白いほどに立山と同じ反応を示した。それは、愛凪の言葉を肯定しているにほかならない。

 愛凪は確信した。

「それ、お兄ちゃんから聞いたんじゃありませんか?最近、お兄ちゃんに会ったんじゃないですか?」

 段々と語気が強く、早くなる。心臓の鼓動と共に、全身に伝わる震えが止められなかった。真壁は目をそらしたままだ。


「なんで、隠すんですか!私や、お母さんがどれだけ心配してるか、なんで分かってくれないんです?!」

 詰め寄る愛凪に、真壁は後ずさった。

「おい、少し落ち着け…」

 立山が、少しあやふやな調子で割って入るが、それすらも愛凪の感情を逆撫でした。

「どういうことなんです?!真壁さん!なんで、あなた、隠れ天使を…ウィンガーを…匿っているんです?!」


 言ってから、愛凪の胸にとてつもない不安が押し寄せた。

 なぜ、今ここに、立山がいるんだ?何を、これからするつもりだったのだろう?

 本来なら、一刻も早く隼也に助けを求めるべきだった。

『なにかあったら』のなにかだ。しかも、かなり予想外の。

 大声で呼べば、聞こえるだろうか…


「もう、やめろ、愛凪!」

 その時、家の奥から聞こえた声に、愛凪は硬直した。間違いなく、よく知ったその声は…

「…お兄ちゃん…」

 薄暗い、茶の間の奥から現れたのは、海人だった。


 予想した通り、海人はここにいた。

 約2週間ぶりに見る海人の顔は、無精髭を剃り、少しふっくらとして見え、家にいた時より、元気そうだった。

 見つけた。会えた。

 だが、愛凪に沸き起こったのは、安堵や喜びよりも、怒りの感情だった。 

 握り締めた拳をふるわせながら、海人を見つめる。あまりに予想外の事態に直面したせいで、混乱が怒りに拍車をかけた。


「なん…なの。これ、なんなの!お兄ちゃん!」

 妹の剣幕に、一瞬たじろいだが、海人はゆっくりと愛凪の前に進み出た。

 今にも泣き出しそうな顔をしている。

「違うんだ。かべっちは、関係ないんだよ」

「関係なくないでしょ!お兄ちゃんも、この人も、ここにいたじゃない!」

 震える海人の言葉を、愛凪の金切り声が遮った。

「おかしいよ!ちゃんと説明して!私たちのこと騙してたの?裏切ったの?」

 説明しろと言いながら、愛凪は海人に口を挟む余地も与えず、まくし立てる。

「今、どういう状況になってるか、分かってる?警察にもアイロウにも…」

 一歩、前へ出ようとして、愛凪は出られなかった。


 背中が、何かに吸い付けられたように、引っ張られる。それだけではない。何か、強い何かが…

「?!」

 背中の何かに、吸い取られるように、声も出ない。

「おい、何すんだ!!やめろ!!」

 海人が家の中から飛び出したが、足がもつれて、庭先へ転がり落ちた。


「私ニハ、アナタノ方ガ、裏切リモノ二、見エル」

 背後から聞こえる野太い声が、大男、マイケルのものだとは、愛凪には理解できていなかった。彼の存在などすっかり忘れていたのだ。

 背中に当てられた大きな手に、どんな仕掛けがあるのか、愛凪は動けず、ただ、自分の中に流れ込んでくる凄まじい熱量に、なす術なく立ち尽くしていた。


 熱?いや、それは激しい流れであり、重みだった。全身の血液が凄まじい速さで駆け回り、体の外までも飛び出していく感じ。

 四肢の感覚はすでにないが、愛凪にはその自覚もなかった。

 恐怖と苦痛に振り絞ろうとした悲鳴すら、強制的にその流れに吸い込まれ、そして…


 空中に、細かい光の粒が散らばるのを海人は見た。それが何か、海人はよく知っている。

「やめろ!やめてくれ!!」

 精一杯の叫びは喉の奥でかすれ、愛凪には聞こえていなかった。

 光の粒子が美しい形をなしながら、愛凪の背中に集まっていく。

 膝から崩れ落ちた愛凪の背中には、その体を覆い隠せるほどの、大きな純白の翼があった。



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