第7話 噂
春のうららかな良き日、雪玲の気分は高揚していた。長かった冬も開けたことで気軽に鴆達の元へ訪ねることができる。そう思うとつい浮足立ってしまうのもしかたない。
「楽しそうだね」
大量の果実が入った籠を抱え、雪玲が回廊を歩いていると、曲がり角から
「あの子達に会いにいくんでしょ。一人で持っていける?」
「はい、重くはないので大丈夫です。紫雲は商談に参加するのではないのですか? 今朝早くにセルク国から商隊が訪れたと聞きましたが」
「サボっちゃった」
紫雲はべっと舌をだす。なんとも子供めいた仕草だ。十四歳に見えない、おどけた姿に雪玲は口元を隠して笑う。
「あなたは跡継ぎなのですからしっかり勉強しないと駄目ですよ」
口ではそう言いつつ、怒る気が一切ない雪玲に、紫雲はうんざりといった様子で肩を持ち上げてみせた。
「いいよ。どうせ、俺がいても役に立たないんだし」
「あら、そんなことないですよ」
「そんなことあるよ。商品の価値も分からず、流行もつかめないし、俺より姉さんのほうが適任ってよく言われるし……」
また両親から叱責が飛んだのか紫雲はがくりと肩を落とす。その色素の薄い瞳を覆うように張った涙の膜が揺らめく。涙が目尻に溜まる前に紫雲は乱暴な手付きで拭った。
「商家の後継ぎになんて生まれなければよかった」
珍しく気落ちしたその姿に、雪玲は頬に手を添えてため息を付く。紫旦と秀麗は唯一の跡取りである紫雲に過度の期待を寄せているらしく、幼い頃から商品の鑑定、接待や交渉術などを叩き込んでいた。
だが、当の本人はそういった技術は苦手らしく、
「難しい」
「俺には才能がない」
とよく雪玲に泣きついてきた。
人には得手不得手があることは雪玲もよく知っている。紫雲の商人としての才は凡人と同等だ。しかし、器用な指先が作り出す品々を知っていた。商人よりも職人として生きたほうがきっとその才を発揮できる。
けれど、鳴家を継ぐのは紫雲以外にいない。本人は嫌がっていても、他人である雪玲が家督を継ぐのは義両親も嫌がることだろう。
「紫雲。私はいつかこの家を出ていくのですから、あなたがしっかりしなくてはいけませんよ」
紫雲のためにとつい厳しい口調になってしまう。
弟は傷付いてないだろうか、と心配するが紫雲はけろっとした表情で「嫌だね」と答えた。
「ずっといればいいのに」
「そういう訳にはいきません。私の目的は、あなたもよく知っているでしょう?」
「分かっているけどさ。それでも、ずっとここにいて欲しいんだよ」
「わがままですね」
懐いてくれるのは嬉しいけれど、いつまでも姉離れできないのは男子としてどうだろうか。幼くして実の姉を失ったので、このべったりも仕方ない気もするが、そろそろ自立して欲しい。
雪玲がどう叱責しようか迷っていると、ふいに腕にかかる重量がなくなった。
「途中まで持っていくよ」
雪玲の隙をつけたのが嬉しいのか紫雲はにっと歯を見せて笑う。その手には、先程、雪玲が抱えていた籠があった。
「悪戯はやめて、その籠を返してください」
籠を取り上げられたと気づき、取り返そうと手を伸ばす。籠の側面に指先が届く前に紫雲が手を高く持ち上げたため触れることは叶わない。
「……あら?」
ふと疑問に思う。秋終わりまでは目線は同じだったのに、今は視線を上げなければ紫雲の顔が見れない。
「背、伸びました?」
雪玲の指摘に紫雲は
「気付いた? 少し伸びたんだ」
「子供の成長は早いですね」
確かに、以前と比べて少年のような柔らかな声色には大人の渋みが混じりつつあり、肩幅も広くしっかりしてきた。まろやかな曲線を描いていた頬も肉が落ちて、大人っぽくなっている。
「あんなに小さかったのに」
感慨深いものを感じていると紫雲はむっと下唇を尖らせた。いじける仕草はあいも変わらず。成長しているのは外見だけで、中身は子供のままのようだ。
「歳近いのに大人ぶらないでよ」
「あら、紫雲よりずっと大人ですよ。私はあなたよりも年上なのですから」
「たったの二年じゃん」
たった二年。されど二年だ。紫雲より大人だと自負している。
そう胸を張って言えば紫雲は不満そうにしながらも特に言い返すことはぜず、籠を抱え直す。
「途中までだから」
「……叱られても味方はしませんからね」
「うん、いいよ」
二人は揃って回廊を歩き始めた。何気ない内容の会話を交わしながら歩いていると中庭にたどり着く。
「春だねぇ」
「春ですね」
「あの人、まだ来ないね」
「あの人?」
雪玲は首を傾げた。商売相手のことを指しているのだろうか。それにしては自分にも関係のある言い方だ。
眉根を寄せて悩む姉の姿を見て、紫雲は呆れた表情で「白暘どののことだよ」と言った。
「お礼に訪れるって言ったけど、全然来ないよね」
「お仕事が忙しいのでしょう。そもそも、お城がある首都からこの杞里まで距離がありますし、簡単にこれないと思います」
「それもそうだね」
その時、門の方角がやけに騒がしいことに気付く。なにか問題でも起きたのだろうか? 二人は足を止めると顔を見合わせた。
「誰か来客があったのかな」
「そうかもしれません。裏門から出た方がよさそうですね」
これだけの騒ぎに、紫旦が駆けつけていないわけがない。そんな場所に大荷物を持った雪玲が登場すれば、鴆に会いにいくのがバレてまた説教されるだろう。白暘を拾って来たことで監視の目が一層と厳しく、会いにいく頻度が少なくなったのにこんなことで足止めを食らうのはごめん被りたい。
踵を返し、裏門を目指すが、背後からどたばたと忙しない足音が聞こえた。
「ま、待ちなさい!! 春燕ッ!!」
普段は冷静沈着な義父の珍しい慌てっぷりに二人は再度、顔を見合わせた。希少な薬草を積んだ商隊が行方不明となった時より凄まじい慌てっぷりだ。
「お義父様?」
名を呼ばれた雪玲は小首を傾げた。心当たりは微塵もない。
「どういうことだ?!」
「どういうこと、とは?」
「お前を! っ! あの人が!」
「落ち着いてくださいませ。ゆっくりお話ください」
「落ち着いてなどいられるかッ……!!」
「いったい何があったというのですか?」
紫旦は興奮冷めぬ様子で、肩で息を繰り返した。
その間にも門の方角が騒がしいことには変わりない。紫旦の動揺から見て、喜んで歓迎できる相手ではないのは確かだ。
「白暘どのが、瑞王様の代理として来たのだ! お前を妃にしたいと……!」
喉奥から搾り出されたその名に、雪玲は驚愕の声をあげた。
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