第6話 ヴァンパ
屑虫を召喚して死んだ男はフーゴといい、王都で織物商を営んでいたという。
「フーゴ商会といえば、少し前までは指折りの老舗でしたよねえ。確か、あなたのご実家とも取引があったとか」
書棚をひとつ隔てた先で、妙にねばっこい男の声がした。
「ええ。といっても、ずいぶん前のことよ。最近は顔も見たことなかったわ」
答えた声は、カイラの同級生のグリンダだ。王室御用達の仕立て屋の娘で、魔法院の黒いローブの下にはいつも、最新流行のドレスを着こんでいる。
「噂じゃ、たちの悪い詐欺に遭って、とんでもない額の借金を
「そうね」
カイラはいらいらとため息をついた。いつもなら、王立魔法院の図書室は静かで落ち着ける場所なのに。今日はこの二人のせいで、ちっとも集中できやしない。
「しかしあの男、何でまた召喚試験なんぞ受けようとしたんでしょうね?」
「さあ? そんなこと、わたくしに訊かれても……」
「しかも、よりによって
カイラは机に広げていた召喚陣の
ところが書棚を回ったとたん、カイラはちょうどそこから飛び出してきたグリンダとぶつかってしまった。
「ごめんなさい! 試験が始まりますので、失礼しますわ!」
言い捨てるなり、グリンダは逃げるように去っていく。
真横から突き飛ばされる形になったカイラは、よろめいてどしんと書棚にぶつかった。抱えていた巻物が落ちて散らばり、ころころと床を転がっていく。
「残念。逃げられましたか」
言いながら現れたのは、だんだら模様の奇妙なコートを着た男だった。血色の悪い肌に、光のない黒い目。酷薄そうな薄い唇には、終始、張りついたような微笑が浮かんでいる。
男はひょいとかがみこみ、カイラが落とした巻物を拾い集めて差し出した。
「どうぞ、お嬢さん。お騒がせして申し訳ない」
「ありがとう……ッ!?」
受け取ろうとしたカイラの手を、男がふいにぐっとつかむ。
いや、男がつかんだのではなかった。男の袖口から伸びた青白い触手が、カイラの手首に巻きついたのだ。
(――これは!)
カイラは信じられない思いで触手を凝視した。
その驚愕を楽しむように、男の目がきゅっと細まり、長い舌がぬるり、と唇をなめずる。
「おっと、またもや申し訳ない。私のこの〈蛇〉は、愛らしいお嬢さんに目がなくてねえ」
だが、カイラの目は今やらんらんと輝き、触手に釘付けになっていた。
「これって……これって
「ほう、よくご存知だ。その通り。これはヒトに寄生するタイプの使い魔で……」
「めっちゃ稀少な種なんですよね! すごい! まさか本物が見られるなんて! ちょっと触っていいですか!?」
食い気味に詰め寄るカイラに、男はやや面食らったようにのけぞる。
心なしか、触手もぎょっとしたように拘束を緩めた。
「あ、ああ。かまわないが……」
「ありがとうございます!」
言うが早いか、カイラは「失礼します!」と男の袖をめくりあげた。
「へえ。〈蛇〉っていっても、鱗があるわけじゃないんですね。冷たくないし、細かい毛も生えてて、どっちかっていうと哺乳類の尻尾みたいな感じ?」
「…………」
「あ、ここから体毛が逆毛になってる。これで摩擦を増やして、獲物が逃げないようにするんですね!」
「………………」
「普段は主の腕に巻きつく形で休眠してるって教科書に書いてありましたけど、餌っていうか、養分はどうやって……」
言いかけたカイラを、男はふいに押しのけた。
「……っ! 近い!」
気がつけば、カイラは夢中になるあまり、男の袖を肩のあたりまでまくりあげ、息がかかるほど顔を寄せてしげしげと観察していたのだった。
「失礼しました! こんな機会、滅多にないもので、つい……!」
カイラは慌てて頭を下げる。
男は心なしかうっすらと赤くなった顔をそむけ、書棚の影に退いた。
「あなたも召喚士のひなでしょう。試験に行かなくていいのですか」
「あ、はい! 行きます! さようなら!」
少女の足音が遠ざかり、書棚の向こうでばたんと図書室の扉が閉まる。
男はふう、とため息をつくと、カイラが見ていたのとは反対側の袖口から、ひと巻きの巻物を取り出した。
ざらりと広げると、そこには少女の几帳面な筆跡で、召喚に必要な紋様や詠唱詞が書かれている。
「カイラ・ロンギ、十六歳。ロンギ辺境伯の長女で、
男はさっと声のほうを振り向いた。誰もいない。
だが、そのまま顔を上げていくと、高い書棚のてっぺんに、にやにやしながら足をぶらつかせる
男が憎々し気に舌打ちする。
「使い魔野郎。貴様、いつからそこに」
「さてな」ニッセは涼しい顔でうそぶく。「割と最初のほうからかな。……おっと」
鞭のように飛んできた触手を
「おかげでいいもんが見られたぜ。〈王の手〉様の赤面
「無駄口はいらん」
〈王の手〉と呼ばれた男はぴしゃりと遮った。
「それで、何かわかったか」
「わからん」とニッセ。「まだ二日目だ。何かあるとしても、もっと日が経ってからだろうよ」
「だが、すでに一人死んでいる」
「死人が出るのは、今年に限ったことじゃない」
「そうだ。一人か二人なら」
ヴァンパをその身に宿す男と、小柄なボーグルは、しばし無言でにらみ合う。
ややあって、〈王の手〉はくるりと身をひるがえした。
「三人以上死者が出たら、それは紛れもなく凶兆だ。いいか、ひなたちから目を離すな。残ったひなたちの中に、必ず
次の瞬間、〈王の手〉の姿は溶けるように消え去った。
残されたボーグルは肩をすくめ、彼を待つ大講堂へと戻っていった。
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