危機感

第9話

 それからというもの、内ポケットにしまった椎名の万年筆に意識を引っ張られてはノートを急いで取る、の繰り返しだった。

 どうして僕がこれを預かる羽目になったのか、もはやそんなことはどうでもよくて、むしろこれを渡してから、椎名はのかを考え続けていた。

 一限目を終えた僕は話半ばで離れた椎名のところへ向かったというのに、教室にもどこにも彼女の姿はなかった。駆け回って探すことは不可能なので、僕は早々に諦め、まるで形見かのように時には取り出して、あの時の声色を思い出す。

 もしかすると、僕も今頃、椎名とどこかにとび出していたのか。


「今にも飛び降りそうな顔だね、少年」

「少年って」

「お、そこにツッコむということは、悩みの方はなかなか根が深いみたいだね」

 そうだった、沙紀先輩は誰よりも明るいのに、誰よりも暗いところをよく見てたんだっけ。

「大変だったんだってね」

 もう聞いたのか。まあ、ここから消える以外に人間関係を断ち切ることはできないのだから、当然の運びではあるが。畢竟ひっきょう、学校は社会の縮図ではなく、人間のなのだから。様々な思惑と信仰とが闇鍋よろしくごった煮されている場。


「どうして帰ってきたと思う」

「そういやそうですよ」

 先輩の最後の高校生活をこうして共有できるなど、絵空事に過ぎなくて。その能動性にまた、僕は憧れと引け目を感じるんだ。

「君が独りな音がしたから」

「随分、気障キザになって帰ってきたんですね」

「『気に障る』ってのは酷くないかな?それに―――やっぱり君は独りだったし」

「やっぱりそう見えますか」

 クラスの皆が外面だけなのもお見通し。きっと今朝の挨拶キスがある種のミスディレクションなのだろう。

僕をどこかに連れて行ってくれるんですか」

 ニヤッと笑ったのをみて失言だったのを悟った。

「そんな訳ないじゃん。後輩は先輩についてきて、もてなしていれば良いんだよ」

「横暴ですね」

「それだけ京谷には自らを律すると書く『自律』が欠けているってこと」

「かくかくばっかり言われても」

「Tut mir leid[ごめんね]」


 僕の周りには少なくとも、というより、ありがたいことに、結城先生や椎名、そして沙紀先輩が居てくれる気がする。

 守ってくれるという結城先生。

 ここではない場所へ連れて行ってくれるという椎名。

 そして。

「沙紀先輩と話していると、自分でも何かしなくちゃって感じがします」

 補助ではなく自助の人、それが僕にとっての沙紀先輩。『独り』なのは孤独だからじゃない。否が応でも、この足と生きていくには孤高である必要があるからだ。

「そう、それでいいんだよ、京谷」

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