第400話 アルベルト・アインシュタイン

“過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。

大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである”



あっという間に400話まできましたが、私は最初、ここは本編の小説を書いた後に小休憩の為に始めました。だからかもしれませんが、心の中ではまだ1話目です。


アインシュタインから学べる事は多くあります。彼は女性からも人気がありました。


それは、見事な言葉に人々は魅了されたのだと、思わせるほどの言葉の達人だからだと私は思っています。


この言葉は本当に受け継がれるように、昔から言われています。しかし、アインシュタインの時代にはまだネットは無く、それ以前も当然、誰かに伝える事も出来ない世界の中でありながら、この内容の言葉は伝えられ続けてきました。


偉人と呼ばれる彼らも、皆、過去から学んでいます。当然、それだけでは無く、自分自身で道を見つけて、飛び込んだ人もいます。私もそうでした。


しかし、自ら見つけて入るには若すぎた為、苦悩の数だけ知識も得ました。


アインシュタインのこの言葉は、大勢の人々に希望を与えるものです。


前文は意味も分かりやすくはありますが、力強さを感じます。


そして後文の「大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである」


と言う言葉は、あるがままを受け入れ、自分自身の考えで生きているのでは無く、

生きるという事は考えるという事であると言っています。


簡単に例えれば、新興宗教などの信者がそれに当たります。


神を利用し、僅かな知識しかない程度で、人を集め、自分の為だけに生きる。その為に人々を利用する卑劣な輩の為に、動くのは後文であるこの言葉が当てはまります。


私も何度も思ってきた事があります。答えは不変的では無い為、考える度に新たな知識を織り込み考えています。


それは知識豊富であり、哲学的な思想を持つ人が死の淵にある時に、

「人生とは何か?」を聞く機会は二度あったのですが、親類には見せてない自分だから聞く事が出来なかったこと。


父方の祖父は、早くに死去しました。私が幼稚園の頃、長箸で骨を拾った記憶があります。まだ70歳手前だったと思います。それから大きな屋敷で、祖母は独りで生きていました。そして病気になり、入院し、私は実にその時、母親を情けなく、そして愚かすぎると思いました。


その理由は、私は病室に入り、母親は裏で面会謝絶にしていた為、私は8年くらい会えない状況にありました。当然それは記録には残らない真実です。


そして命の危険が近づき、親族は集まりました。私は元気な時に会って色々話したかったのに対して、心ある私が、不要な情報を与える恐れがある為、面会謝絶にしたくせに、死の淵だから会って欲しいと、母親は父親を利用して、私の部屋に父親はきました。


私は最初、父親が来た時に言いました。「お前はアホか? 今まで面会謝絶にしていたのに死が近くなったから会ってくれ等と言う言葉がよく言えるな? 人を馬鹿にするにも程がある」父親は黙って弟の部屋に行きました。弟は絶対に行かないのは分かってました。父親が話しかけても完全に無視を通していました。


これほどまでに、安易な事をした結果に起こる事は簡単に予想できていました。

私の中で非常に大きなジレンマが生まれて、私は激しい葛藤の中にいました。


親と言うだけの狂った奴らではあるが、長男の長男だから、よく可愛がってくれた祖母は知らない事情だと、自分に言い聞かせて、会う事にしました。


クズの親だが、怒りのぶつけ処も無いまま、病室に入るともう多くの親族が来てました。私は祖母を見て泣きました。それを見た母親は親族の奴らに「泣いたのはうちの子とあの子だけね。優しい子なの」と言っていました。正直言って殺意が生まれるほどの怒りは沸き上がりそうになりましたが、祖母の手前我慢しました。


自分が会えなくした癖に、それは無かったことのように話している。本当のクズだと思いました。


私はその後、運命の時がやってきました。あってはならない父親の謀略に私の心は砕かれ、奴は癌で死にました。既に金目の物や他の家具など全てを盗んで母親は逃げ、

連絡先も断ちました。


そのストレスは私の体を蝕みました。体内が裂傷し、肺炎に近い症状が出て、私は復讐の事だけを考えて、水道も止まった家で、毎日水をAmazonから送るように手配し、冬でも水で体や頭を洗いながら、復讐への一本道を進み続けました。


私の家は名家であり、タクシーも長年使っていた為、適当な理由をつけてタクシーでガソリンを運び、私は奴らの手口は分かっていたので、対策を講じて最後の刻を待ちました。


弟は強いだけで考えが甘いため、何度か精神病院に入れられましたが、入れる度に母親は毎日、家政婦二人を従えて通っていました。ひとりにさせなければ意味が無いのに、通う度、外出し、映画をみたり、食事をしたりして長くても一週間で出てきました。短い時は三日とかで出てきました。


私はそんな弟とは違い、奴らが来たら、防火扉もありましたが、それを逆に利用し、逃げられないように細工をし、ガソリンを壁に塗っていきました。来るならいつでも来いと、私の最期の闘いに備えて、進撃の巨人のリヴァイが最後の最期にエルヴィンとの約束を守って獣の巨人を殺したように、私は私の人生にケリをつける覚悟と手段を決めて待ちました。


準備を終え、母親は電話も拒否していた為、仲介者から連絡がありました。

「父が死んだ」と、私は自分の中で、全てが終わったと思いました。奴は全てを操る事の出来る唯一の父が死んだら、私の復讐は果たされない。だから無駄死にだと思いました。そして続けて言ってきました。


「葬式に出てくれと」私は「馬鹿にするな。今の俺が行くと本当に皆殺しにする」と言いました。甘ちゃんの仲介者は母親を理解してなく、母親は本心から最後に会ってほしいと言っていると言いました。私は言いました「甘すぎる。奴がそんな事を考えると本気で思っているのか? 体裁だけしか気にするわけが無い」


仲介者は弟に電話をかけた後、再び私に電話してきました。

「来てくれそう」と言いました、そして私は言いました「絶対に来ない。甘すぎる」と、そして当然の如く、弟は行きませんでした。


これは私の人生の一部の話ですが、お分かりのように、私は家族というものを知りません。そして親が子を愛するというものも知りません。


クリスマスで枕元に置いてあったのは分厚い参考書三冊だった記憶は今も残ってます。

何と悲しい事か………………………………………

私は哲学もテレビも習慣も好きな漫画も何もかもがどうでもよくなり、PTSDにかかりました。しかし、父を筆頭に医者どもに、私は叩きのめされ病院に行く事は無いと決めました。これが私の心の内です。


そんな私が再び、ここまでは復活しました。昔とは違いがある事も知っている私はリセットする為に、過去の全てを捨てて来ました。友人も物もお金も、そして奴らとは全く別の人間になると決め、自分の中で誓約を結び、自分自身の中でそれは絶対的な約束となりました。


私だけでなく、産まれた瞬間から、人生は決められている人々を私は知っています。

そして逆らって生きているのは、私だけです。

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