第3話 自信に満ちた男
いつまでたっても許してくれない姉の眼をかいくぐり、私はひそかに歩行の訓練を続けています。そのかいあってか、私の足は杖さえあれば一人で移動できるまでに回復しておりました。それでも、ダンスのステップを踏むことはできないのです。
私は用意された部屋にたどり着くと、人払いをしてからバルコニーの方へと夜風にあたりに行きました。
あのシモン様と久しぶりにお会いしたというのに、なぜか今私の頭をよぎるのは別のお方のことばかりです。
非の打ち所がない人物にも関わらず、未だ伴侶を持たぬ変わり者と噂されているあのお方。
同じ年かさの未婚者にも関わらず、彼の眼光は私と正反対の自信に満ちあふれた物でした。あの鋭い瞳はどこか恐ろしいものであったはずなのに、なぜか私は、忘れることが出来なかったのです。
「フロレット嬢」
不意に名を呼ばれて、私は強い驚きと共に振り返りました。なぜならその声は、たった今思考の中心にあった人のものだからです。
「あ、貴方は……ヴィルジール様!」
「覚えていて下さいましたか。あまりにも客人が多いので、印象が薄まってはいやしないかと不安になっておりました」
近付きながらそう口にして、一見愛想の良さげな笑みを浮かべる彼に……私は思わず、本音を呟きました。
「例え万人と挨拶を交わそうとも……貴方だけは忘れられそうにありませんわ」
「それは……良い意味と取ってもよろしいですかな?」
「え……?」
ふっと笑みの質を変え、ヴィルジール様はさらに一歩距離を詰めました。
身震いを覚えたのはバルコニーに吹き抜ける夜風の冷たさか、はたまた彼のまとう気迫に怯えてのことでしょうか。私は思わず後ずさりそうになる自分をなんとか励ますと、背筋をピンと伸ばして次の言葉を待ちました。
「では貴女の覚えのめでたきうちに、申しておきましょう」
そしてその薄い唇からはっきりと紡がれた言葉は、思いもよらないものでした。
「まどろっこしい駆け引きは趣味ではないので、手短に。私のもとに嫁いで下さいませんか?」
「な……」
全くの予想外の言葉に、思わず目を見開いた私は……しかしすぐに、我に返ると肩を落としました。
「でも、わたくしは……」
「何か問題でも?」
「今ここに一人でいる理由を考えれば……明白でしょう? わたくしでは……前途有望な貴方の、出世の妨げにしかなりませんわ」
私は自分への失望と哀しさに、顔を真っ赤にしてうつむきました。
私自身は他人に何と言われようとも構いません。でもなぜか、この人の未来への障りにだけは、なりたくなかったのです。
「なんだ、そのようなことか」
しかし彼は、事も無げに言い放つと。
「失礼」
「……きゃっ!」
ひょいと軽く抱え上げられたかと思うと。次の瞬間、私はその右腕に座らせられておりました。突然のことに思わず彼の首筋にしがみつくと、喉の奥で低く笑っている振動が伝わってくるようです。
「降ろして下さいませ!」
「杖の代わりが私の腕では、心許ないですか?」
「い、いいえ、そういうわけではなく……!」
柔らかな朱子織の下から自分を軽々と支える力強い腕を想像してしまい、私は頬を紅く染めました。歩行が困難になるからと、あまり厚みのあるパニエは着用していないのです。
ですがヴィルジール様は、そんな私の狼狽を気に留める様子も無く。遠くを見るように、ゆったりと体の向きを変えました。
「あちらをご覧になるといい」
仕方なく言われた方に目をやると、暗闇に王都の街灯りが瞬いています。
「夜の街にあんなに明かりがあったなんて! 綺麗……まるで地上に星が降りたようだわ」
状況も忘れるほどに目を奪われていると、彼は言いました。
「私の妻となってくれるなら、あの輝きをもうひとつ作って君に捧げよう」
「まあ! 素敵ね」
私はそう言って、小さく声を出して笑いました。気の張った作り笑いとは違う思わず出てしまった笑顔など、何年ぶりのことでしょう。ですがそれを見た彼は、ニヤリと笑って言いました。
「冗談と思うか……? あの街灯りの遥か向こうの国境に、我が父の領地がある。さらにその向こう隣にあるエルゼスの地は、今は魔族の土地だが、かつては我ら人族の土地だった。近々、奪還に動くことになる。そこで私は武功を立て、必ずや自らの手で領地を手に入れる」
「領地を?」
「ああ。信じられんか?」
「いえ、少し驚いてしまっただけで……」
まだ目を見開いたまま私が答えると、彼は喉の奥で小さく笑いました。
「クク、まあいい。君はあの様な……」
そう言いかけて、彼はチラリと向こうの明るい窓の方へと視線を投げました。きっとあの窓は、ダンスホールへとつながっているのでしょう。
「……下らん酔狂に付き合う必要など無い。全てを私に任せておればよいのだ」
視線の意味と彼の本気を理解はできたような気はしたものの、ですが私には戸惑う他にすべがありません。
「なぜ、わたくしなどにそこまで仰って下さるのですか? 父との伝手を望まれるにしても、貴方のご実家の方がよほど権勢がおありですのに……」
「私が今まで周りに何と言われようと、妻を求めなかった理由がお分かりですかな?」
急に丁寧語に戻ったヴィルジール様が気になって、私はうなだれていた顔を上げました。
「分かりませんわ……。同じ独り身と言えど、わたくしと貴方は大違いですもの」
「私は……不要な物だと考えていたからですよ、妻など。少なくとも叙爵という大望を果たすまでは、戦場から帰らぬ可能性のある男には、妻を迎える資格などないと。だが今夜、考えを改めました」
そこで一拍置くと、彼は改めて口を開きます。
「私は必ずや君を娶ろう」
「なぜ……? やはり理解できないわ……」
「フロレット嬢。君は自分の境遇を不運と思うか?」
「いいえ」
一転して私は眼差しを上げると、はっきりとした声音で言いました。
「あれほどの事故から生還できたのよ。きっとわたくしは、とても運がいいのだわ」
「そう、その目だ」
彼は目を細めると、薄く笑みを浮かべます。彼のその小さな瞳孔に映っている自分と見つめ合いながら、私は次の言葉を待ちました。
「先程の君は、周囲のどんな誹りも哀れみも意に介さず、凛と立つ気高い花のようだった。その花を、誰かに手折られてしまう前に……私の物にしてしまいたいと思ったのだ」
「ヴィルジール様……」
「私は生まれつき、常人より舌が少々短くてな。子供の頃は文字通り舌足らずで、呪文の詠唱に必要な古代言語の発音が困難だった。ろくな呪文も扱えぬ公爵家の面汚しと、学術院では同級生達から散々からかわれたものよ。その度に相手を殴っては、君のお父上に呼び出されたものだった」
「そうなのですか? 全然気づきませんでしたわ」
「クク、それはもう努力したからな。だがそういう訳で、君とは気が合いそうに思ったのだ。我らが不運かどうかなど、他人が決めることではない。決めるのは我々自身だ。そうだろう?」
そう言って彼はその瞳に自信をみなぎらせると、笑いました。
その時、私はなぜ自分がこの人物にかすかな恐怖を覚えていたのかを知りました。再び誰かを想い、傷付くことが恐かったのです。彼に惹かれつつあるという事実に、私は怯えていたのでした。
はしたないことだということは、よく分かっています。それでも私は、気付いてしまったのです。私は強い衝動に駆られるように、思わず口を開きました。
「……わたくしは」
しかしその言葉は、間髪いれずに遮られました。
「残念だが、もはや君の答えは聞いていない。どんな手段を使ってでも手に入れる予定であるから、覚悟なさっておくことだ」
「いいえ、これだけは聞いて頂くわ!」
ぎゅっと肩口をつかむ手に力を込めると。有無を言わさぬ視線に観念したかのように目を逸らして、ヴィルジール様は街明かりの方へと目をやりました。
「ふむ……流石は私の見込んだ花嫁殿、ということか。申されよ」
「やはり、わたくしは運が良いようだわ」
「……?」
こちらへ向き直ったものの、やはり何が言いたいのかを測りかねている様子の彼に……私は満面の笑みで言いました。
「どうぞわたくしを……幾久しく貴方と共にゆかせて下さいませ」
「ク……」
だがそれを聞いた彼は、何故か顔を伏せて肩を震わせ始めます。
「ヴィルジールさま……?」
心配になった私が名を呼ぶと。一転、彼は顔を上げて豪快に笑い出しました。
「ハッハッハ!」
「……!?」
「いや、すまん。本音を言おう。……実のところ、私は聞くのが怖かったのだ」
「え……?」
「君の、拒絶の言葉をな……」
そう言って、彼はそっと私を腕から下ろしました。
「ヴィルジール様……」
「近日中に迎えに行く。しっかりと準備をなさっておかれますように」
見上げる私の手を取り杖を握らせながら、ヴィルジール様は言いました。
「よいな、フロレット嬢」
「はい……!」
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