29日目 地下一階

 仕事を終え、電車に揺られ、家に帰る。子供の頃からずっと住んできた町だから、もう何も考えなくても足が勝手に家まで進む。

「ただいま」

 家に帰ったときの挨拶は、たったのひと月で習慣になってしまった。もう返事してくれる人(?)はいないけど、私はなんとなく挨拶を続けている。スマートスピーカーでも買おうかな。

 山登りでお世話になったのとこの前のクッキーのお礼です、と先輩に近所のお菓子屋さんで買った鯛焼きを渡すと、私もここの鯛焼き好き、と先輩は笑い、実家で採れたという野菜を紙袋に詰めて持ってきてくれた。お風呂を沸かしながら野菜を取り出し台所に並べて、何を作ろうかな、と考える。

 おじいちゃんや紙飛行機と過ごした時間は、夢だったのかもしれないな、と思う。どろどろに淀んだなにかに沈んで身動きが取れなくなっていた私を見つけて、手を引き思い出ばかりの地下室から引き上げてくれた。彼らに握り返せるだけの手はなかったけれど。

 かぶの味噌汁だけ作ってあとは冷蔵庫にしまっておくことにする。また紙袋に野菜を戻して紙袋ごと野菜室に入れた。かぶを洗って切っているとお風呂が沸く。

 ご飯を作って、ゆっくりお風呂に入って、暖かい布団で寝て起きて、また明日仕事へ行く。

 そんなことはもうずっと繰り返してきたことだ。そしてこれからも続けていくだろう。付喪神に見守ってもらわなくても、私は日常を繰り返す。

 けれど私はもう鞄の中身をごちゃごちゃにしないだろうし、時々は先輩と出かけるかもしれない。

 紙飛行機の尖った鼻先や、真鍮色の鈍い輝きを思い出しながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る