第三章 結界の魔物を分からせる
第1話「ブレない姉と思い切りのいい妹」
「ん……」
ばさり、と何かが落ちる音が鼓膜を刺激し、私――クリスタは閉じていた目を開いた。
すぐに周辺を見渡し、ここが魔法研究所の私室であることを認識する。
「いつの間にか寝てしまっていたのね」
乱雑に積まれた論文の束。
それが身じろぎした際に机から落ちたようだ。
今、私が手がけているのはとある学会で発表する論文だ。
下書きで止まっていたものを清書している途中で睡魔に襲われ――という訳だ。
「また面白い論文を発見しちゃったせいで読み
私は落ちた紙の束を拾い上げ、タイトルの部分を指で撫でる。
――『世界の成り立ち』
私が生まれてくるよりも前に名も無き研究者が残した論文だ。
内容を端的に言うと、私たちが住まうこの大陸は世界の二十分の一以下しかない、というものだ。
今でこそ別大陸の存在は常識になっているけれど、その当時としては斬新な発想だった。
斬新すぎたが故に誰にも見向きされず、そのままお蔵入りとなったものだ。
こういう未発表の論文を読めるのは研究者の特権と言える。
今回のように、調べ物をするために論文を探したらそれが予想外に面白くて本来の趣旨を忘れてしまう……という弊害もあるけれど。
「それにしても……大陸の外、ねぇ」
この研究者の主張によると、西の海を渡った先には巨大な滝があるという。
さらに滝を登った先には未知の巨大大陸がある――とも書かれていた。
「本当にあるなら、いつか行ってみたいものね」
椅子に上半身を預け、天井を見上げる。
外の大陸に出る様を妄想し――ふと、引っかかりを覚えた。
「聖女は大陸の外に出ても『極大結界』の維持ができるのかしら?」
王国を出ても問題ないことは確認している。
ベティに頼んで他国に移動して、そこで一週間過ごしても『極大結界』に支障はなかったし、魔力もしっかり流れていた(後でマリアにしっかり怒られた)
けれど、大陸の外はどうだろう?
「今度、時間ができたら試してみましょう」
浮かんだ疑問をメモに殴り書きする。
日常のありとあらゆるものが、研究の着想を得る種になる。
この世界は広く、まだ謎だらけだ。
『極大結界』しかり、『魔女の遊び場』しかり。
それらを解き明かすべく、私たち研究者達は日夜研究に
人間はいつかきっと、世界の謎すべてを解明するだろう。
私自身は道半ばで力尽きても。
後の世の人々が、きっと解き明かしてくれる。
そう信じて研究に励むことこそ、研究者としての使命――
思考に耽っていると、突然私室の扉が開いた。
入ってきたのは、ボサボサ頭の研究員だ。
「クリスター、手紙届いてるぞー」
「ありがとう」
ノックもなしに――とは思ったけれど、それを言うとベティは扉を開けることすらせず入室してくる。
同じようなものだと、私は気にも留めなかった。
「あら。ルビィからだわ」
ルビィ。
世界で一番可愛くて、世界で一番愛しい私の妹だ。
ルビィとは月に一度くらいの頻度で手紙のやり取りをしている。
以前は通信札を置いていたのだけれど、私があまりにも札を無駄遣いするためコストが
前回手紙が来たのは二週間ほど前だ。
間隔が長くなると何かあったのかと心配になるけれど、早い分にはどんとこいだ。
シルバークロイツ辺境領での出来事以降、ルビィは見聞を広めたいと、いろいろなことに挑戦している。
二週間前はお菓子屋の仕事を手伝わせてもらっている、と言っていたけれど。
もしかしたら、また新しく何かを始めたんだろうか。
私は心を弾ませながら、手紙を開いた。
「――」
世界一愛らしい文体で書かれた文字を目で追った瞬間。
私はすぐさま立ち上がった。
「? どした」
「――行かなくちゃ」
「は?」
ボサボサ頭の研究員を押し退け、私はすぐさま部屋を出た。
「おい、お前今日学会に出るんじゃなかったのか!?」
「代わりに頼むわ。論文は机の上に置いてあるから」
「できるか!」
静止を無視して、私は研究所を飛び出した。
研究者としての使命はもちろんある。
けれど私には、もっと大事な使命があるのだ。
――ルビィ。
あの子のためなら研究者の使命だろうと聖女の使命だろうと、喜んで道端に捨てる。
あの子以上に優先すべきことなんて、ないのだから。
~~~~~~~~~~~~~~
お姉様へ
間を空けずに手紙を出してごめんなさい。
お菓子屋さんのお手伝いはとっても楽しかったけれど、間食が増えてお腹がぷにぷにしてきたので辞めました……。
なので、新しく今度は魔物討伐に挑戦しようと思います。
(ちょうど募集があったので、思い切って応募しました!)
初めてなので少し怖いですけれど、何事もまずは挑戦ですよね!
今日から馬車で北東の『極大結界』の穴――ルトンジェラ地方に向かいます。
お姉様、見守っていてください。
ルビィより
~~~~~~~~~~~~~~
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