八 「追われた二人」

「俺の本名は『アルビス・メンシズ』。メンシズ家の元長男で元王宮魔術士だ」

「は……?えええ!?」


 一階での出来事を知らないミーニアだけでなく、ある程度把握していたはずのジェンからも驚愕の声が上がった。フードで表情の見えない子供も、心なしか驚いているように見える。開いた口が塞がらない状態の双子のうち、最初に声を上げたのは、まだ衝撃が少ないだろう兄の方だった。


「ろ、ロイドさんが……『メンシズ』——」

「『ロイド』って、偽名だったのね。変わった響きの名前だとは思ってたけど——」


 我に帰った妹も、驚いた表情はそのままに親代わりの青年に問う。


「なんで今まで隠してたの、って聞きたいところだけど、別に隠してたわけじゃないんでしょ。そこは後でゆっくり聞かせてもらうとして——」

「そちらの、お二人は……?ロイドさんの素性と、関係あるんですよね?」


 双子の言葉を受けたロイドが、黒衣の二人に雨衣を脱いでいいと声をかける。青年が短く「わかった」と答えると、顔を隠していたフードを頭の後ろに落とした。濡れたままの青い髪と形の良い藤色の瞳が顕になる。双子が目を丸くする。雨の国では茶色や金色の髪がほとんどで、赤毛や白髪も珍しくはないが、こんな色の髪は人魚以外で見たことがなかった。青年はそのまま雨衣も脱ぐと、二つに折って片手にかけ、双子に向かって一礼した。雨衣の下はあわせのあるローブのような衣装で、腰の辺りで太めの帯が締めてある。そして何より目を引くのが、帯の上に取り付けられているホルダーに収められた、大きな本だった。厚さも大きさも、学舎に保管されている一番大きな百科事典二冊分ぐらいはありそうだと、ジェンとミーニアは思った。


「彼は、サフィラ・メンシズ。メンシズ家の現当主で、王宮魔術士の長だ。……で、俺の弟だ」


 ロイドから何故か最後は遠慮がちに紹介された青年が、目尻を上げつぶやく。


「腹違いの、な」


 気のせいではなく、サフィラからロイドへ向けられる空気が酷く冷たい。その眼差しは、ロイドが困ったように顔を逸らさなければ、目に見えて火花が散りそうなほどに険しい。今はこれ以上踏み込まない方が賢明だと、誰もが思った。

 自然、全員の視線がサフィラから隣の子供へと移る。横に立つ青年の肘の辺りまでの背丈。しゃんと伸びた背筋はそれだけでどこか清廉な空気を感じさせた。小さな右手を一度腹の前で握りしめ、そっとサフィラを見上げる。


「大丈夫です。ご心配なさらず」


 サフィラが柔らかく笑んで促すと、子供は前に向き直りゆっくりとフードを外した。


「——!!」

「ちょっと……勘弁してよ——」


 ジェンは絶句し、ミーニアは額を押さえた。前髪を少し残して後ろに流された濡羽色の髪、吸い込まれそうな漆黒の瞳。フードの下から現れたのは、雨の国で唯一王家の人間にのみ受け継がれる「黒」の風格だった。


 子供が軽く一礼して、隣のサフィラが話し始める。


「現国王イーオン・ディウィティア陛下の御嫡子、レグロ・ディウィティア殿下だ。訳あって、私が昨晩王宮からここへお連れした」

「わけ、って——」


 ジェンが恐る恐る口を挟もうとしたとき、横からミーニアの鋭い声が飛んだ。


「隠しておけるわけない、ロイド!こんな……今すぐ帰ってもらった方がいい!」

「ちょ、ちょっとミーニア!」


 普段兄ほどは喋らず、どちらかと言うとクールな彼女からは想像もつかない焦り様だった。ロイドを詰める瞳は真っ直ぐだがゆらゆらと揺れて見える。


「もし見つかったらどうするつもり?!『ここ』だって、いつまで安全かわからないじゃない!どうせ、子供達は何も知らない、自分一人でやったことだって言うつもりなんでしょ?!」

「ミーニア、落ち着いて——」

「ジェンは黙ってて!もし……もしロイドが捕まるようなら、あたしも付いてって牢の前で座り込んでやるから、覚悟しとくのね!」

「……」


 ロイドは何も言わない。肩で息をするミーニアと、二人を交互に見つめるジェン。暖炉のついていない冷え切った部屋に、張り詰めた空気が流れる。悲痛な面持ちになったレグロに気付いたサフィラが動いた。


「君達には、突然押しかけてしまったこと、これから多大な迷惑をかけるだろうことを、まず謝罪したい」


 双子の前まで進み出ると、片脚を半歩引き深々と頭を下げる。


「協力してくれとは言わない。だがまずは、なぜ私達がここへ来ることになったのか、彼に説明させてもらえないだろうか?不本意ではあるが、私達には彼の力が必要なんだ」

「それならあたしたちにじゃなく、直接ロイドに頭下げたら?不本意だか何だか知らないけど。あと、あたしたちも全部聞くから。巻き込まないためにとか余計な理由つけて部外者にするつもりなら、今すぐ近衛に通報するからそのつもりで」

「ミーニア、士長様にそんな口のきき方……あの、すみませんサフィラ様。でも僕も知りたいです。今日の事は勿論だけど、ロイドさん——アルビスさんの昔の話とかもちょっと興味ありますし」

「君達……」


 サフィラが困ったように二人を見る。自分と小さな第二王子が王宮から抱えて逃げてきた秘密は、ディウィティア王家、果ては国家そのものをも揺るがしかねない内容の代物だ。本音を言えば、まだ若く将来のある少年少女にこの重荷を共有させたくはない。世の中には知らない方が幸せなこともあると、サフィラは痛いほどよく知っている。だが同時に、隠れ家だけ提供させておいて後は何も聞くなと言うのも、少々虫が良すぎるとも思ってしまう。そんな弟の葛藤に気付いたロイドが、場を取りなすように一つ提案をした。


「サフィラ、ジェンもミーニアも一度言い出したら聞かないし、いざと言うとき身を隠す方法もうまく逃げる方法も、俺達よりよっぽど詳しい。それに、この家に住んでる時点で、お前達が見つかったら間違いなく尋問の対象になる。お前達の話を聞こうが聞かまいが関係なくな」

「それは……しかし……」

「……すぐに決められないなら、とりあえず少し休め。それに、殿下にも休息は必要だ」

「そんな悠長なことを言っている場合では……!」

「いいえ、サフィラ。彼の言う通りに」


 サフィラが渋っていると、意外な人物の鶴の一声が響いた。驚いたサフィラが振り返る。


「殿下……」

「あなたは昨晩から戦い続けで、怪我をして今朝は溺れかけもしました。どうか一度、身体を休めて下さい。それに、私も少し……気持ちを落ち着けたいのです」


 レグロの握りしめた手は、小さく震えている。この小さな王子は、来年で十歳になり、建国祭と併せて宴が開かれると発表されていた。王家の人間とは言え、まだ子供。突然親元を離され、慣れない環境に放り込まれた心労は計り知れない。むしろよくここまで冷静でいられるものだと、ロイドは感心していたぐらいだ。その王子の縋るような声音には、さすがのサフィラも折れずにはいられなかったようだ。


「……わかりました。一度、休息を取らせて頂きましょう。申し訳ないが、殿下に何か暖かいお召し物を用意していただけないか。夜着のままお連れしてしまったから、そのままではお寒いでしょう」

「僕達のでよければすぐにご用意できますけど……」


 さすがに自分たちのお古を王子に着せるのは気が引けたのだろう、口籠るジェンにレグロが微笑む。


「構いません。気を使わせてしまって、ごめんなさい。それに……私はもう王家の人間とは言えないでしょうから。きっと、もううちにも帰れないでしょうし……」

「レグロ様……」


 サフィラの表情が曇る。一体、この二人に何があったのだろうか。早く知りたいという好奇心と、知ってしまえばもう後戻り出来ないだろうという少しの恐怖心。五人とも、各々複雑な心境を抱えたまま、埃まみれの三階の住環境を整えるべく動き出すのだった。








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