五 「捜索者」
来た道を小走りで戻り、開けたままになっていた裏口から、ロイドは二人を事務所に招き入れた。
ドアマットの上に順番に三人が立つと、入口のすぐ横に設置してある、透明の箱型の装置のようなものが光り出す。正確には、ガラスの箱の上半分にぎっしり詰まった拳ほどの大きさの石が、薄らと青い光を帯びた。そして、上部に空いている通気口のような穴に、三人が纏った衣服の水分が小さな水の玉になって吸い込まれていく。ブウンと、一度音を立てると石の光は消え、箱の下半分に溜まっていた水のかさが増える。
十数年前に開発されたこの箱型の装置は「吸水器」と呼ばれ、玄関に置かれているタイプは基本的に衣服の水分を吸い取るように設計されている。ロイドと青年の髪や、地面に落ちてしまった紙袋とその中身は、濡れたままだ。他に、各部屋の湿度を一定に保ってくれる物なども普及していて、雨の国では雨具と同じく欠かせない存在となっている。
吸水器が身体に張り付いた不快な水気を吸い取ってくれたことで、二人も一度息をついたようだった。ロイドは抱えていた雨衣をハンガーに掛け、ボロボロになってしまった紙袋を執務机の上に置く。首の後ろで束ねていた髪を一度解き、暖炉前のローテーブルの上に綺麗に畳まれて積まれていたタオルで、簡単に乾かす。双子の姿は事務所には見えないが、まずは彼らに状況を説明し、青年と子供を安全な場所で休ませなければならない。二人にまだ雨衣は脱がずしばらく暖炉前で待つように指示をし、店へのドアに手を伸ばしたその時、反対側から勢いよくドアが押し開けられた。
赤毛に近い明るい茶髪の頭が、危うくぶつかりそうになったロイドを見上げる。よく見ると、茶色の髪の毛先の方だけ金色になっている。
「ロ……イド?!あっぶな!」
「ミーニア、ノック」
「ごめん。いつ帰ったの?遅いから探しに行こうかと——」
ミーニアと呼ばれた少女が、暖炉前の二人の存在に気付いた。店と事務所を繋ぐドアを開放したまま、パチパチと瞬きをしている。そのままロイドの方へ視線だけで疑問を寄越したが、ロイドが口を開きかけたところで店側から別の声が響いた。
「ミーニア、どうしたの?ロイドさん帰ってた?」
固まったままのミーニアの後ろから、そっくりな髪色の少年がひょこっと顔を覗かせた。二人とも髪の長さは同じぐらいのショートで、顔もよく似ている。違うのは、ミーニアの髪はまっすぐだが、もう一人の少年の方はふわふわとした癖っ毛なことぐらいだろうか。少年も、突然の顔の見えない来訪者達に、ミーニアと同じ表情で固まった。そっくりな二人分の視線に、ロイドは苦笑する。
もう一度口を開こうとしたとき、今度は店の入口から数回大きな音が響く。ドアがノックされる音だ。ショーウィンドウのブラインドカーテン越しに、数人分の影が見える。
「あれ?準備中の札下げてたんだけど……」
くるりと振り向いた少年が首を傾げ、入口へ向かおうとする。その肩に軽く手をかけて、ロイドが少年を止めた。
「ジェン、俺が出る。カウンターに居てくれ。ミーニア、二人を『三階』へ。万が一二人が見つかりそうになったら、窓から逃がして一緒に地下街のドミナの所へ。俺も後から向かう」
「……訳ありなわけね。わかった」
ミーニアがすぐに動く。暖炉前の二人を連れて事務所奥の階段を駆け上がっていく。ジェンと呼ばれた少年も、わずかに緊張を滲ませながらもロイドに従う。
「僕、居ていいんです?絶対あの人達絡みじゃないですか。知らないフリするのあんまり得意じゃないんですけど」
「二人ともいないのは逆に不自然だ。ミーニアより、顔に出ないと思ってる」
「どうだろ。善処します」
事務所のドアを閉め、ロイドは入口へ、ジェンはカウンター奥へ向かう。ジェンが深呼吸しいつも通りの開店準備を始めたのを確認し、ロイドは歩きながら手早く髪を結び直した。自身も軽く息を吐く。朝から感じている「嫌な予感」は、恐らくまだ続いている。そんな気がしていた。
「やっぱりお前……か」
ドアを開けたロイドが、ため息と一緒につぶやいた声が聞こえた。カウンターから覗き込むと、ロイドの背中越しに、黒薔薇紋入りの優美なコートを纏う一団が見える。思っていたよりずっと、数が多い。その中心に立ちロイドと正対しているのは、かなり大柄な男だった。ロイドも背は高いが、男は更に上背があり体つきもがっしりしている。そして何より目を引くのが、その背に負われた巨大な得物の存在だった。頭の横から見える太い柄の部分と、地面につきそうなほど長い刃は、男の身長より丈がありそうだった。鞘には入っていないようだが、形状からして斧剣だろうか。そこまで考察して、ジェンにもこの男が何者なのか思い当たった。
(いや……でも今ロイドさん、『お前』って……)
「よお、久しぶりだな。俺が来ると、わかってたような口ぶりだな。なあ、ロイド?」
「……お尋ね者のことならもう街中で噂になってる。詳しくは知らない。うちに来るならお前だろうと、思ってただけだ」
「へえ……じゃあそのお尋ね者が誰かは知らないって?手負いのあいつが城を出て、行けるところなんて限られてる」
「『あいつ』?」
「……あくまでシラを切る、か。まあいい。とりあえず、上がらせてもらうぞ」
男がスッと右手を上げると、後ろに控えていた兵士達が一斉に店へと押し入った。入口の両脇に設置された吸水器が光り、激しく稼働する。店内を改める者もいるが、ほとんどが事務所の扉を開け奥へ勝手に上がり込んで行った。更にその奥へ、階段を駆け上がって行く音も聞こえる。
一瞬その先を想像して焦ったジェンだったが、はっと我に帰り声を上げた。
「わっ、ちょ、ちょっと!いきなりなんなんですか!?ロイドさん、一体何やらかしたんです!?」
振り返ったロイドがジェンを見る。背後に立つ男には見えないように、小さく口の端を上げて見せる。知らないフリは得意じゃないと、言っていたのはどの口だったか。
「俺は何も。話ならこの、『近衛長様』に聞いてくれ」
入口に立ったままだった男を親指で差し、カウンターを挟んでジェンの前まで進むロイド。その後ろから、ドアの所で一度身を屈めて男が店内に入る。大量の水を吸った吸水器が、男の全身から雨水を受け取ったのを最後に動きを止める。青く光っていた石の表面に、文字のようなものが浮かび上がる。男はそれを指差しながら、ジェンに声をかける。
「朝から悪いな、少年。『これ』を創ったやつを探しに来たって言えば、わかるか?」
「創ったやつ、って……当代の魔術士長様ですよね?勿論わかりますけど、えっと、なんでうちに?僕には何が何だか……」
「おー!やっぱり有名なんだなあいつ。城からほとんど出ないくせに。そう、その引き篭もりの士長サマが、昨晩王宮から居なくなった。まだ幼い王位継承権二位の王子、レグロ・ディウィティア殿下を連れてな」
「なっ……えっ?!」
流石に二の句が継げなくなったジェンが、バッと音がしそうな勢いでロイドを見た。ロイドは目を瞑り、腕を組み背中で軽くカウンターにもたれる。
「そうか、サフィラが……それはまた、随分と拗らせた家出だな」
「お前にだけは言われたくないだろうよ。それよりロイド、お前朝風呂でもしてたのか?それとも——」
男がフードを外し、一歩、ロイドとの距離を詰める。深い臙脂色の短髪は左右非対称で、長い方の右眼は半分隠れている。
「水路に落ちた誰かを助けた……とかな」
ロイドが息を呑むのと同時に、男の手がロイドのまだ乾いていない髪の束を掴む。自分の目の位置と合わせるように、掴んだ髪を引いてロイドの頭を固定する。男の突然の行動に、ロイドがもたれていたカウンターから万年筆とスタンドが転がり落ちた。
「ちょ、ちょっと!」
慌てたジェンがカウンター越しに止めようするが、男が放つ凄まじい怒気に、伸ばしかけた手は空を切った。
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