第6話 自動車学校

「自動車学校」


「もう二度と行きたくないところはどこでしょうか。」

「どこでしょうね。」

ワシは「自動車学校(自動車教習所)」です。

ワシが通っていた昭和53年ごろは、それはそれは厳しくて怖いところでした。


 ワシは大学1年の夏休みに地元の自動車学校に入校しました。もちろん免許を取って就職に備えるのは口実で、前にも書きましたが憧れの「セリカLB」に乗るためでした。

 当時の教習費用はコミコミで84000円でした。

 高校の頃からセリカのために貯めていたワシの郵便貯金は、セリカどころか教習代にも全然足りなくて、お父ちゃんに頼んで貸してもらって、それから教習所の休日はバイトをしながら現役高校生の時よりもはるかに真面目に通いました

 当時の教習車は、3速コラムシフトのディーゼルのクジラクラウンでした。低速トルクがこのすごくあったので、ワシのような初心者にとっては鬼門である発進時のクラッチミートや。あと坂道発進もとてもやりやすかったのを憶えています

このクラウンは何と超ベンチシート(座席も背もたれもアメ車のようにつながっている)だったので、シートポジションを合わせる際には、隣にお乗りになっている教官と一緒に動かす必要がありました。

 ワシは言われた通りにこれでもかというほどに前後を確認して、ドア開けてクルマに乗り込んで、教官様に教習カードを渡すと同時に元気よく

「お願いします。」

と挨拶しました。それから

「シートを合わせるのでお願いします。」

と言いました。すると助手席に乗っておられる教官が無言のまま腰を浮かせて協力してくれるのです。まずクラッチに足を乗せながら前後のポジションを合わせました。クラッチが奥まで踏み込めます。窮屈感もありません。OKです。

 次に背もたれの角度を合わせます。ワシは気合を入れて右手でシート横についているセットレバーをグイと持ち上げと同時に思い切り後ろに反りました。

そしたらなしてか知りませんが、ワシは教官と一緒に後ろに「バタッ」と倒れてしまいました。超ベンチシートです。すごいのう。

 それから二人とも少し気まずくなって無言のまま教習が始まりました。ワシは教官様の倒れ様が妙にツボに入ってしまって、おかしくておかしくてたまりませんでした。でも絶対に笑うわけにはいかないので必死にこらえておりました。

 多少なりとも和やかな場面だったのはこの一瞬だけで、仮免までそれはそれは厳しい教習が続きました。

 基本的に丁寧な説明なんてありませんので、わからんことがあったら自分から聞くしかありませんでした。教官様は今と違って威厳があって強面で口が悪くて厳しかったので、それはそれは緊張してピリピリしていたものです。

 「バカ」「アホ」「なにやっとるか」「考えろ」「大学生のくせにそんなこともわからんのか」などの暴言は当たり前の世界で何をやっても怒られる。ワシの友達は「蹴られた」と言っていました。今だったら大問題になりそうですが、ワシたちの頃はそれが当たり前で、必死になって運転を学んだものです。

 それでも「行きたくない」と想ったことは一度もなくて、毎日毎朝汗をかきかき自転車を漕いで通ったものです。でも免許がほしい。免許証はこんな仕打ちに耐えながら、頑張って運転技能を身につけた特別な資格でもありました。今よりもずっと価値があったのだと思います。だから今でも大事にしています。


 でもね。厳しかったからこそ真剣に取り組めた。厳しかったからこそ忘れなかった。仮免本免落ちることもなく卒業できた。ワシは今でもそう信じて疑いません。

 例えばですね。今でも覚えていますけどね。左折ですよ。左折。

 道路交通法で左折時には安全確認しながらクルマを左いっぱいに寄せんといけんことになっています。知ってました?あまり意識してやっている人はいないみたいですけど。

 そうやって左折するとですね。絶対に並走しているバイクや自転車を巻き込まない。左折時のそういう事故ってけっこう多いですよね。でも基本通りに習ったことを意識して運転すると事故は起きない。そういうことを丁寧に乱暴な口調でしたが、教えてくれたおかげでワシはそういう事故は一度も起こしたことがありません。教官様ありがとう。


 先日のことですが、頼まれて姪を送ってワシの通っていた自動車学校に何十年かぶりにいきました。無職なので暇を持て余しているワシは、姪の教習が終わるまで校内をぶらしながら待っていました。

 そしたらね。これがあのときのあれですかと思うぐらいにきれいでおしゃれで豪華に激変していました。

 まるでカフェですよ。東京のカフェね。行ったことないけど。あの頃の殺伐とした雰囲気は微塵も感じられない。ドリンクコーナー、食堂は超充実しているし、おしゃれな本やグッズも置いてあるし、冷暖房空気清浄機完備だし。なんちゅう居心地の良さでしょう。ワシの家よりもだいぶええど。ワシしばらくここに住んでもええのうと思いました。

 教官も丁寧でシャレで優しいね。笑顔なんか見せて。教習が終わって車から降りて来て教習生と冗談いいながら楽しそうに雑談したりして。「ええのう、この自動車学校の雰囲気」とうらやましく思いましたから。しかも敬語ですよ。教習生に向かって教官が敬語ね。もう考えられないぐらいに親切丁寧でマナーが徹底していました。ええのう。

 ワシの頃みたいに元「ヤ」のつく自由業をされていたようなタバコ臭い強面のおっさん教官様たちはどこにいってしまったのでしょうか。


 こんな環境で優しく丁寧にされて免許を取る。大事に大事にされながら免許を取る。一度も怒鳴られないで免許を取れる。自分の思い通りにのびのびと運転できる。

うーん。確かにうらやましくてええことだとは思いますが、こんなんで社会(公道)に出て安全にきちんと運転できるのかどうかといらん心配をしてしまいますね。

 嫌な思いをしないで育った過保護の子供のように、自分の思い通りにならんときにはすぐ腹を立てる。気分を害する。あおり運転をする。運転が上手くならん。考えることができん。自己中心的になる。すぐにへこむ。

 ワシはこのとき、何ちゅうか現在社会の縮図というか学校教育の問題点ちゅうか、そういうものを垣間見たような気がして少し不安になりました。

 古い人間ですからね。還暦超えて二回目の誕生日を迎えた人間ですからね。そう思ってしまうのは仕方ないちゃあ仕方ないのかも知れませんが、1トン以上の物体を時速100kmで走らせるための資格ですからね。よく考えて見たらとても危険なことで自分が死ねかもしれんし誰かを殺す可能性だって十分にあることですからね。

 こんなんでドライバーが、そういう自覚を本当に持つことができるんじゃろうかとワシは思ってしまいました。


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