第4話 スカイライン
「スカイライン」
今の日産の現状からは信じがたいことですが、ワシが若いころ、具体的には昭和40年代の後半から50年代にかけてですが、あの大トヨタがどうしても切り崩せない牙城がありました。カセットつけて内装を豪華にして価格を抑えて顧客に媚びを売りながら必死にクルマを開発してもどうしても勝てないクルマ、もちろん販売台数もまったく敵わない。それが「スカイライン」でした。
ワシがクルマに乗り始めた頃に、スカイラインはフルモデルチェンジし210系いわゆる「ジャパン」になりました。それまでは「ケンメリ」です。そのころ街では「ケンメリ」や「ハコスカ」をよく見かけたものです。
ワシはさっそく、買う気もお金もないのに「日産プリンス」に試乗にいきました。そういえば「スカイライン」を運転するのはそのときが初めてでした。その時の印象は、「ワシのセリカLB1600STの方がええのう」と思いました。何かしりませんが重ったるい。エンジンも車体もクラッチもハンドルもなんか重くて走らんぞ。それから気になったのがフニャフニャグニャグニャのシフトレバー。これじゃあ何速に入っとるんかさっぱりわからんし使いにくいのうと思ったのを憶えています。
でも何とも言えない雰囲気はありました。運転席、メーター類、それから内容のしっかり感やたたずまい。これが「スカG(スカイライン2000GT)」の世界なんかと思いました。けど欲しいとは思わなかった。当時のワシはバリバリのトヨタ派で、あこがれの的はトヨタのGT系つまり2TG、18RGを搭載したツインカム軍団でしたから。まだ運転したことがなかったけど。数年後に発売されたスカGターボと某峠の下りで競争して、勝てはしなかったけど追いかけまわすことはできた。良かったのう。ワシの2TGレビン。前にも書きましたが、そのまた数年後某直線で910ターボにゼロヨンを挑んで軽くぶっちぎられて「バックカローラ」と呼ばれるようになるまでは、ワシは日産なんか大嫌いでトヨタが一番と思っていました。
ワシが「スカイライン」を始めて買ったのは平成2年の春のことで、R32の2ドアスポーツクーペのGTSt-typeMというRB20の改良型セラミックターボの210馬力のFR車でした。初めてのスカイライン。小さくて軽快でこれまでのスカイラインとはちょっと違うクルマでした。これは良かった。例によって友達のを運転させてもらって、その素晴らしさというか曲がりやすさとスムーズで力強い6気筒エンジンにすっかり参ってしまい、初めてプリンス店に行って、すぐに交渉してひと月後にはシルバーのスカGのオーナーになってしまいました。スカGと呼ぶにはちょっと線が細くてボディも小さくて内装もシンプルだったのですが、走りについてはまさにワシのイメージする「スカイライン」そのものでした。
すっかりスカイラインに魅せられたワシはあこがれの32R、それから33Rと借金を重ねて乗り継いでいき、身の破滅を迎えるわけですが、Rよりも身の丈に合っていたと申しますか使いやすかったといいますか、今考えるとtypeMは本当にいいクルマだったと思います。
結局「スカイライン」は4台所有しました。その中でワシが最も好きだったのは、意外にも中古で買った5年落ちのR31の4ドアハードトップの2800GTパサージュでした。
ここで「えっ」と思った方はえすごいです。そうです。2800CC、つまりRD28の6気筒のディーゼルエンジンを搭載したGTだったのです。
ワシは事情があって左遷単身赴任になって、毎週160キロも離れた家と職場を通う羽目になり、GTRで通うなんてとんでもなくて、クルマを探しているときに日産の中古センターで偶然出会ったクルマでした。白の5年落ちの走行50000キロ弱だったと記憶しています。乗ってみるとこれがいい。どっしりしていて、タイヤ細いけどよく曲がるし何よりも乗り心地がいい。内装はブルーのモケット張りのふかふかのシートで、インパネの作りも豪華で、これがスカイラインというよりもマークⅡに近い感じでしたが走りは良かった。ディーゼルエンジンは重々しかったけれど、どこまでも走っていけそうというか回さなくてもトルクがしっかり出ていてものすごく乗りやすかった。また当時は、軽油はガソリンの半額でしたのでいくら乗り回してもサイフに優しい、まさに長距離を快適に走れるGTでした。
毎週の帰省や初めての鹿児島までのドライブや父母乗せての日々の生活に大活躍してくれましたのでとても重宝しました。そいでもって一年間で3万キロ近くも走破してしまいました。けど丈夫で20万キロ以上は平気の平左のノンターボのディーゼルエンジンの安心感というか耐久性にはとても感心しました。
今でもこのクルマ、欲しいのうと思っています。巷ではR31はスカイラインとしては評判がよろしくないのですが、ワシにとってはとても使い勝手が良くてええクルマでした。
以上がワシのスカイライン歴というかスカイライン感です。そいでもって、なぜあの大トヨタでさえ「スカイライン」の牙城を崩せなかったのでしょうかねえ。
うーん。なしてでしょうねえ。「スカイライン」には独特の雰囲気があったからでしょうか。あるいはクルマ好きが多くて「スカイライン」を指名買いしていたから。
「スカイライン」とは「羊の皮を着た狼」です。つまり基本はセダンなのですがその辺のスポーツカーなんかあっさり凌駕する性能を持ったクルマ。そういうことにロマンを感じるクルマ好きが多かったのは事実ですし、速く走るには今よりもずっと運転技能を求められていましたのでワシたちは練習して「腕を磨いた」ものでした。そんな走り屋たちに応えてくれるのが、いわゆる奥の深かった操縦性を持っていた「スカイライン」だったのではないでしょうか。
まだ日本の自動車工業自体が発展途上だった時代。ようやく無理すればスカイラインクラスのクルマを買えるようになってきた時代。いろいろなことが右上がりで頑張れば夢が叶うと信じることができた時代。そういう時代とスカイラインの持つ独特の雰囲気がピッタリシンクロして、「スカイラインの時代」が出来上がっていたように思います。
数年後、トヨタはついにスカイラインの牙城を崩すことに成功します。というか日産が勝手に自爆してしまいました。スカイラインも普通のクルマに」なってしまったのが残念です。
あの頃からですかね。だんだんクルマがつまらなくなってきたのは。ロマンというか愛情というか、そんなワクワクするようなことを感じなくなって来たのは。
「スカイライン」の衰退はクルマへの憧憬というかあこがれというか、ようするに日本の自動車文化の衰退とシンクロしているように思うのはワシだけなのでしょうか。なんか寂しいのう。
追記
なんとうちには「ケンメリ」スカイラインのカタログがあります。今でもみるだけでワクワクするんですよね。なぜか。
スカイラインが月に(月にですよ!)2万台近くも売れていた頃です。
それから開発主査の桜井真一郎さんもまだ若くてお元気なころです。
今でもですね「ケンメリGT」を見ますとね。なんというかこのクルマのカッコよさというかロマンというか旅心が湧いてくるというか、週末に優しい彼女を隣に載せてきれいな景色を見に行きたいというか、非日常というか、そんな思いに今でも包まれるのはなぜでしょうか。確かにカッコええですもの。今見ても。日本中のクルマがまだ発展途上で泥臭くて、ワシたちも鼻をたらしてFMラジオから流れてくる洋楽にあこがれと夢を描いていた時代にこのカッコよさですもの。断トツですよ断トツ。そんなケンメリスカイラインでしたもの。
そんなクルマはたぶんこれまで生きて来て、最初で最後だと記憶しています。
合併前のプリンス自動車の生き残りの方々がそれこそ命がけで作ってきたスカイライン。今みたいに自動車工学も材料工学も力学も優れていなかった時代。本当に「感」と「思い」と「情熱」だけで未知なるものに挑戦し続けていた時代。今でしたら分析が進みすぎて、やる前からダメだと分かってしまう。だから初めからやらない。トライ&エラーなんて無駄は許されない時代ですからね。
でもそんな時代だからこそ「スカライン」ができた。そんな時代だからこそその思いがワシたち大衆にも伝わってきた。胸を熱くすることができた。
ワシはそう思います。
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