文楽の城 ~出発(たびだち)篇~

林 のぶお

大序 時空転落(タイムスリップ)の段 

 朝から雪がちらつく、底冷えがする寒い一日だった。

 京都は冬は寒く、夏は暑いと聞いていたが、特に今日は、暖房していても、あちこちから隙間風が冷気の粒を運んで来る。

 ここは、京都御所の南側、町家が立ち並ぶ地区である。

 最近マンションがぽつぽつと、出来始めたが、やはり主流は町家である。

 元々町家は、夏仕様に作られている。

 京都は盆地で海からの風がなく、熱気がこもる特徴を幾らか和らげようと古代より人の知恵が、町家作りに生かされて来た。

 風の通り抜けのための坪庭もその一つだ。

 そのため、冬は寒い。

 町家の主人は、坊屋正樹66歳。

 芸名 矢澤竹也。

 職業 歌舞伎の義太夫三味線弾き。

 元は文楽の義太夫三味線弾きだったが、25歳で歌舞伎に転向していた。

 住居は、元は東京築地のマンション。5年前に今の町家に妻、麻紀と住んでいた。

 町家は借家で、大家は西陣織と塗師職で財産を築いていた。

 正樹は、長年東京に住んでいたが、京都引っ越しを決めた。


 そうだ!京都住もう!


 東京からやって来て、京都の不動産屋を巡る。

 出した条件が町家、二階あり、坪庭がある、静か、家賃5万円まで。

 かなりの強気の条件だったので、中々巡り合わせなかった。

 20件近く見て回ったが、希望に沿う物件はなかった。

「これは、雑誌にもネットにも載せてないんですけど」

 不動産屋は、そう云って見せた最後の物件が今、住んでいる町家だった。

 契約前に不動産屋が云った。

「いづれ、お耳に入ると思いますので云っときますけど、実はこの町家は」

 そうら来たと正樹は思った。

 京都御所の南側のこんな中心地で、家賃が5万円なんてきっと何かあると思っていた。

「殺人、自殺どちらですか」

 正樹は、事故物件と思って先に云った。

「えっ殺人?自殺?」

 繰り返して不動産屋は笑った。

「違います!殺人も自殺も起きてません」

「じゃあ何があるんですか」

「町家の前の小道なんですけどね」

 通りから玄関まで奥行き10メートル程の小道がある。

 中々風情のある場所である。

「いい感じの小道じゃないですか」

「ええ。その小道、毎日大家さんが来るんです」

 話によると、通りに近い小道の脇に洗濯機が置いてあって、毎日鉄扉を開けて洗濯をしにやって来る。

「洗濯して物干す時、洗濯物を取り込む時と、一日二回来ます」

「こちらの町家へは」

 不安に駆られて麻紀は聞いた。

「それはないです」

「まあそれぐらいやったら、ええよねえ」

 同意を求める様に麻紀は正樹につぶやく。

「そうですね」

 正樹もうなづく。

「あと、もう一つありまして」

「まだあるんですか」

 正樹と麻紀は身構えた。

「何でしょうか」

「借りた人が、突然いなくなるんです」

 不動産屋は、一段と声を落とした。

「失踪ですか?」

「ええ、そうです。でも気にしなくてもいいですよ。後日生存は確認されてますから」

「何で失踪するんですか」

「前の借りてた人、関西では有名な芸人(丹波屋裏太)だったんです」

 裏太は、表向きは、芸能活動に疑問を持って、やめたとあるが、不動産屋の話では、人気絶頂の時に、失踪したそうだ。

「しかも、この町家の中でいなくなったらしいんです」

「神隠し?」

「そんな感じですかね」

 裏太は、三年後、ひょいとまた芸能の世界に戻って来た。

「京都は、色々と都市伝説ありますからね」

「裏太さんは、三年もの間、どこ行ってたんですか」

「さあそこまでは。何しろ個人情報ですので」

 失踪しても殺されもしないし自殺もしていなのなら、それでもいいと思い契約した。

 それから五年住んでいるが、正樹も麻紀も失踪はしていないしここに泊まりに来た友人も失踪していない。

「あれは一体なんやったんやろねえ」

 時折、麻紀は云った。

「失踪ならぬ、失笑やねえ」

 いつものオヤジギャグをかました正樹。

 それを半笑いで退ける麻紀。


 歌舞伎公演を毎月上演しているのは、東京である。

 関西は南座が一年で多くて3か月、大阪松竹座も同じくらいである。

 仕事の上では、東京に住んでいた方が安泰だったが、正樹は、京都町家でやりたい事があった。

 それは創作浄瑠璃町家ライブである。

 自分が語り、義太夫三味線を弾く二刀流の事を京都、町家で実現したかったのだ。

 ある日の夕方。

 麻紀は、買い物に出かけようとしていた。

 玄関口まで見送ろうと正樹は後ろから近づいた。

 麻紀の頭から何か落ちた。

「何か落ちた」

「何?」

 麻紀が振り返る。

 正樹は、屈んで拾い上げた。

「髪飾り」

 改めて正樹は、その髪飾りを見た。

「大分、年季が入ってるねえ」

「小さい頃から、身につけてますよってに」

「これは、何の花?」

「椿です」

 麻紀が人一倍花を愛でるのを、正樹は知っていた。

 色褪せた椿の髪飾り。

「でも何で椿なの」

「さあ何でどすやろ。遠い昔やから忘れました」

 本当に何故椿なのか、麻紀自身忘れていた。

 麻紀はほほ笑む。

 正樹は、もう一度、麻紀の髪に、椿の髪飾りをつけようとした。

 それに気づいた麻紀は、少し背をかがめた。

「おおきに」

「気を付けて」

 格子戸を開けて麻紀が出て行った。

 正樹は来月、3月南座若手歌舞伎公演のための資料集めのため、町家二階の書斎で床本整理していた。

 二階は二部屋で、8畳、4畳半だった。

 押し入れに大量の床本、台本があった。

 久し振りに全てを出していた。

 押し入れの奥は、もちろん壁である。

 正樹は何となく、その壁を触った。

 押して、次に引いた。

 するとどうだろう。

 壁は、引き戸で開くではないか。

 目の前に現れたのは、下に降りる階段だった。

「あれ、こんな所に隠し階段あったのか」

 二条城にほど近い、二条陣屋と云う江戸時代から続く、大名が泊る部屋には、追手に襲われた時のための、隠し階段があったのを正樹は思い出した。

 京都は千年の都。

 町家にもそんな設備があっても不思議ではなかった。

 不動産屋も大家も、失踪の話はしても、この隠し階段の事は云ってなかった。

 薄暗い。

 手に持つスマホをマグライトに切り替えて奥を見た。

 どうやら、下に通じているようだ。

 しかし、一階のどこに通じているんだ?

 もちろん、一階には、階段は日頃使うもの一つしかない。

 好奇心に誘われて降りて見た。

 何やら、大人の騒ぎ声が聞こえる。

 さらに義太夫三味線の音色も聞こえる。

 お隣さんも義太夫三味線を弾き出したのか?

 しかも、かなり上手い。

 さらにその音色はどこか遠い昔、聞いた様な懐かしいものだった。

 義太夫三味線弾きを50年やっていると、同じ演目を弾いても人によって微妙に違う、音色がわかるようになった。

 階下にも引き戸がある。

 ゆっくりと開けた。

 ぶわっと熱気が一気に身体中を通り抜けた。

 今までの冷気から反転して、身体が温かい空気層に支配された。

(なにこれ)

 身体の急激な変化に、脳が追い付かない。

 縮こまっていた肌穴が、全開していた。

 手足が急速に伸びる気がした。

 目の前に、突然カウンターだけの小さな店が顔を出した。

 茶色い壁、お品書きは赤い縁取り、右手にピンクの公衆電話、

 カウンターは赤い毛氈、椅子は四角い縄で編んだもの、一瞬でこの店の名前もどこにいるのかもわかった。

 店の名前は「三玄」

 正樹の母親照子が営む居酒屋である。

 場所は正樹が16歳まで育った広島。

 正樹の母親は、義太夫三味線を背中に引っ提げて、繁華街を練り歩く、当時大変珍しかった、「義太夫三味線の流し」だった。

 幼い正樹の手を引いて、一軒ずつ店を周る。

「義太夫三味線」と「幼子」で一躍有名になり、贔屓の客も増えた。

 そんな生活をしながらお金をためて、店を出した。

 店の名前「三玄」は、三味線の糸の三玄から来ている。

「あんた、何ぼうっとしよるん」

 いきなりカウンターの中にいる女性に云われた。

 母親だ!照子だ!

「生きてる!若っ!」

 思わず正樹は叫んでいた。

 照子は、10年前に亡くなっている。

「何、おべんちゃら云いよるん」

「正樹くん、幾つになったん」

 カウンター席にいる赤ら顔の男がにやけながら聞く。

「今年17歳です」

 照子が、愛想笑いして答えた。

「早いのう、月日の経つのは」

「えっ17歳!誰が!66歳じゃよ」

 真顔で正樹は答えた。

 カウンターにいる客が大笑いした。

「すんませんねえ。もうこんな阿保ばっかり云うちょる」

「母ちゃん、何で17歳なん」

「もうええ加減にせんと、ほんに怒るで」

 母親の剣幕にたじろぐ。

 店内に有線放送が流れていた。

 尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が終わり、鶴田浩二の「傷だらけの人生」に変わった。

「鶴田浩二は最高じゃけん」

 客が赤い顔をして唸っていた。

 カウンターには、たばこ「ミスタースリム」「ハイライト」がある。

 青地に白の英語の文字のデザインは、亡くなったイラストレーターの和田誠の作品である。

 客の一人が広島新聞を持っていた。

 一面の見出しを正樹は見た。


 横井庄一グアムから25年ぶりに帰国

 札幌冬季オリンピック、明日開幕


「横井庄一だって!札幌オリンピックだって!」

 正樹は、頭の中がフルスピードで回転する。

 日本は、冬季オリンピックは二回行われている。

 札幌と長野。

 横井庄一さんの事はうっすら記憶にある。

「えええええっ!」

 突然正樹は叫んだ。

「何!急に大きな声出して!」

「正樹くん、どないしたんや」

 恐る恐る広島新聞の上部の日付を見た。


 昭和47年(1972年)2月2日

 

 目まいがして倒れた。

 すぐに目が醒めた。

 変な夢を見たと思った。

 麻紀が帰って来たら、話そうと思った。

 ゆっくりと目を開ける。

 麻紀がいると思ったら、中年の男が心配そうに眼を向けた。

「父さん!生きてる!若っ!」

「またその言葉。お前、頭大丈夫かあ」

 酒臭い息を吐きかけて来た。

 父の三郎だった。

 実父ではなく、養父だ。

「父さん、鏡あるかな」

「何するん」

「顔見ようと思って」

「色気づいてきよって」

 ニタニタ笑いながら三郎は母親の手鏡を渡した。

 そおっと見た!

「えええええええっ!」

 再び正樹は叫んだ。

「うるさい!お客さんに聞こえるぞな」

 自分の顔が66歳から一気に17歳になっていた。

 皺一つない顔、ふさふさの頭髪は黒一色。

 白髪なんてない。

「ああ、長い夢やなあ」

「何が夢じゃあ」

「いや別に」

「学校で勉強わからん、嫌いで現実逃避しちょるやろ」

「いえ、別に」

「隠さんでもわかる」

 三郎が照子を呼びに行き、入れ違いに照子が部屋に入って来た。

「目、醒めたか」

「はい」

「そしたら、店入ってよ」

「僕が?何するんですか」

「あんた、やっぱり今日はおかしいよ。ほれ、いつものあれの演奏タイムでしょう」

 照子が義太夫三味線を差し出した。

 カウンターの中に顔を出すと、一斉に拍手が鳴り響く。

 さっきより格段と客の数は増えて立っている人もいた。

「不肖うちの息子、正樹が今宵も義太夫三味線を弾きます」

「よお、正ちゃん!」

「たっぷりと!」

「頑張って!」

 あちこちから大向こうがかかる。

(そうだ、そうだ。これやってたよなあ)

 春の雪解けのように、遠い昔の記憶が顔を出して来た。

 毎晩、酔客相手に義太夫三味線を母、照子と弾いていた。

 茶の間で三郎は酒を呑んでいた。

「ほれ、いつものあれ、演奏」

 しかし、いつもの曲が蘇らない。

 正樹は腹を決めた。

「今宵は、少し趣向を変えまして、創作浄瑠璃をやります」

「正樹、本気なん」

「はい、本気です」

 正樹の義太夫三味線の音色が狭い店内に充満するのに時間はかからない。

 今まで喋っていた客はやめ、飲食する客もいない。

 有線放送のスイッチも切られた。

 一気に、正樹の奏でる義太夫三味線特有の低音が、店から客のこころの奥底まで瞬く間に支配した。

 客は一様に、口を開けて見つめていた。

 身体は17歳だが、腕前は50年やって来たのだ。

 その事を知っていたのは正樹本人だけだった。

 照子は、ツレ弾きしていたが、格段の進歩、演奏テクニックを身に着けた正樹を茫然と見ていた。

「正樹、あんたはいつの間に」

 絶句していた。

 驚愕の嵐が照子にも襲い掛かっていた。


 創作浄瑠璃「五十年(はん)歳月(せいきの)永遠(とわの)音色(ねいろ)」       

 ♬

 一の糸つま弾く 音の世界か

 異世界への   招待状

 お金なくても  いいですよ

 ごゆっくりと  耳を傾け

 聞いて下され  命のみなもと

 今宵は私と   共に参ろうぞ

 引戸開けての  三玄の中に

 義太夫三味線  音色があなたの

 こころの中に  ひたひたと忍び

 やがて一つの  光りを灯しましょう

 義太夫三味線  の魅力です

 義太夫三味線  人々の幸生むよ

 義太夫三味線  人々の夢はぐくむよ


 黙ってツレ弾きしていた照子が涙を目に生まれさせた。

 それを見てカウンターの客も涙を生まれさせた。


 自分の部屋に入る。

 勉強机の前の土壁にまず目が行く。

 今ではクロス貼りのつるっとした壁が主流だがこの時代はまだ、壁が土と藁で練った時代劇に出て来る壁だ。

 壁には、三角形のネパールの国旗のようなものが2枚張られていた。

「ペナント・・・」

 観光地でよく売られていたものだ。

 今、目にしているのは、この時代からすると2年前である。

 1枚目は両親と3人で行った、70年大阪万博の時に買った物だ。

 太陽の塔をモチーフにしたものだ。

 月の石が見たくてアメリカ館へ行ったが、待ち時間8時間だったので諦めた。

 すぐに入れる小国をあちこち見て回った。

 三菱未来館には驚いた。

 今では普通の鏡を使った展示物に中学生だった正樹は目を輝かせた。

 あの頃、科学の先端として展示してたものが、50年後実現していた。

 まず携帯電話。展示物は今のスマホの五倍はある大きさだった。

 通信物は、現実ははるかに越えていた。

 携帯電話でテレビ見れたり、コンピューターの役目をするなんて誰も思いつかない。

 動く歩道も実現した。

 会場の周囲を走るモノレールも東京、千葉、大阪、小倉、沖縄等全国に波及した。

 電気自動車も今では街に溢れていた。

 あるものは予想を遥かに上回る進化を遂げた。

 しかし、逆にそんなに進歩しなかったものもあった。

 宇宙旅行だ。

 万博開催の前年、アメリカは月に人を送った。

 それから50年。

 もう宇宙旅行なんて、海外旅行するみたいに普及すると思っていたが意外にも、発達しなかった。

 確かに宇宙ステーションは実現したが、未だに地球の周りをへばりついて回っているだけだ。

 もう1枚は、中学の時、熊本へ修学旅行に行った時のものだ。

 熊本城が描かれていた。

 でもどうしてこんなものが、大人気になったのだろうか。

 軽くて手軽に観光地を行った事が証明出来る。

 そんなせいだろうか。

 雑誌「明星」からの切り抜き写真が貼ってあった。

 天地真理、南沙織、小柳ルミ子の「新三人娘」だ。

 昨年、ザ・タイガースが日本武道館で解散コンサートを行い、時代はグループサウンズからアイドル時代へと芸能の顔のページがめくられようとしていた。

 男性アイドルは郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎の「新御三家」

 ジャニーズ事務所は「フォーリーブス」(北公次、青山孝、おりも政夫、江木俊夫)を郷ひろみと並んで売り出していた。

 江木敏夫は、テレビドラマ手塚治虫「マグマ大使」に出ていて人気者だった。

「南沙織は、カメラマンの篠山紀信と結婚するよ」

 とこの時代の人に云っても信じて貰えないだろう。

 机の上に目を移す。

 サンスター文具の筆箱を見て、

「懐かしい」と正樹はつぶやく。

「象が踏んでも壊れない」のCMで有名だった。

 中には、鉛筆が三本入っていた。

 三菱、トンボ鉛筆でなく、コーリン鉛筆。

 三菱ユニ鉛筆は高いのだ。それより安いコーリン鉛筆。

 手に取る。

 鉛筆を転がす。

 三角形のトレードマークを見つける。

「懐かしい」とまたつぶやく。

 造花の花が空き瓶に刺さっていた。

 緑色の瓶だ。

 表面のロゴを見た。

「スプライト」

 日本コカ・コーラが発売したものだ。

 二つ折りの小刀も入っていた。

 これで鉛筆を削るのだ。

 今の若者は、缶切りで開ける事も鉛筆も削れないだろう。

 教科書もノートもきれいで勉強した形跡がない。

 本棚の「平凡社百科事典」も開けた形跡がない。

 机の上には、マンダム化粧品が転がっていた。

 前年、CMにチャールズブロンソンを 起用した。

「うーん、マンダム」のつぶやきが大ヒットを起こす。

 養父の三郎は、丹頂チックを使っていた。

 親子で異なる化粧品だが、会社は同じ。

「丹頂」から「マンダム」に社名変更したのだ。

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