4-6 わたしはきっと救われた?

「どこまでトイレ行ってたわけ?」

「うう、ごめん……迷っちゃって……」


 おぼろげな記憶を頼りにふらふらと歩いていたところをコモリに捕捉され、低空飛行していた年上の威厳は地の底にまで落ちた。

 しょんぼりと肩を落としながら反省するサクラを見て、コモリがやれやれと溜息をつく。


「あなたにパパを騙したりする気がないのは確かね。似合ってなさすぎる」

「そんなつもり最初からないよぉ……」

「逆に面倒見てあげたくなる気持ちはわかるかも」


 弁解したいところだが、詳しく説明すればメリーからコモリを遠ざけた意味がなくなる。

 しっかりサイケシスからガードするという役目は果たしたのに、一見すると中学生に迷惑をかける高校生という構図でしかない。


「わたし、お姉さんなのに……」

「言わなきゃバレないよ、身長差もあんまないし」

「べつに秘密にしてないよ!」


 憤慨するサクラだったが、おかげでやけに長いトイレのことは怪しまれることはなかった。


「なんでもいいから連絡先教えて? また迷子になったら困るから」

(くっ……迷子を言い訳にした手前ならないとは言いづらい!)


 プライドが著しく傷ついたような気もするが、正体を隠す者にはよくあることである。

 サクラは正義の涙を胸のうちで流しながら、コモリと連絡先を交換した。


 駅から徒歩数十分もかからないうちに目的のホテルに辿り着いた。

 コモリは時間を確認した後、ダイチへと電話をかけていた。


「あー、パパ? 今どこにいるの? ホテル、うん……わたし? 家にいるー」

(よくそんな自然と嘘が言えるなぁ……)


 サクラはもはや感心しながら通話に聞き入り、コモリが話し終えるのを待った。


「……わたしも今日は夜まで暇してる。サクラちゃんとも話したいし……うん、じゃあ夜にね」

(サクラちゃん……)


 普段は呼び捨てなのに、どうして電話口ではちゃん付けになるのだろう。

 コモリはサクラが思っていたより手短に話を済ませると、悪巧みを始める悪童のようににやついた。


「さぁて、パパは目論見どおりホテルにいる! 作戦開始よ!」

「お、おー……!」

「じゃあサクラ、まずは飲み物買ってきて」

「……パシリじゃん!」

「お金なら渡すし、お釣りで好きなもの買ってきていいよ?」

「むしろ、受け取れないよ!」


 コモリから飲み物と軽食を頼まれ、サクラは複雑な気持ちでコンビニを探して歩く。

 土地勘はないが、京都の中心街となれば、大きな通りに出て歩いているだけでコンビニくらいあるはずだ。


「んーと……あったあった、買うのなんでもいいよね……ん?」


 順調にコンビニを見つけておつかいを済ませようとしていると、サクラのスマホから軽快なメロディが流れる。


(コモリちゃんかな?)


 追加で買ってきてほしいものでもあるのかと、仕方がないなぁという寛大な心で電話に出たところ予想外の声が聞こえてきた。


『ハート? 早く来なさいよ』

「……えっ、ノワール!?」


 耳からスマホを離して画面を見ると、見覚えのない番号からの着信となっていた。タイミング的にコモリからの電話と思い込んでいたので不意打ちである。

 しかも、第一声からして不機嫌であり、内容の予想がつく。サクラは嫌な予感を必死に拭いながら、恐る恐るたずねた。


「あのぉ……もしかして、パラノイアが出たというお知らせでしょうか……?」

『何よ、馬鹿丁寧に。昼寝でもしてたの?』

「まだ午前中だけど……」

『そんなことはいいのよ。言っとくけど今日のヤングレーは見ものよ、こんなの見たことないわ』


 ノワールが見たことないというレベルのヤングレーはサクラも気になるが、直線距離で五百キロメートルは離れている以上、すぐに向かうことは厳しい。

 正直に話せばノワールが荒れることは想像に容易い。サクラは穏便に事態が解決することに一縷の望みをかけて、ふわっと休暇申請をしてみた。


「実はちょっと遠出していてさぁ……バトルはお休みできないかなー、って」

『はぁ? もうヤングレー出ちゃってるけど? すぐ来ないと知らないわよ』

「すぐって言われても……ノワール、五時間待てる?」

『……今どこにいるの』

「……京都」


 誤魔化しようのない話の流れに居場所を白状すると、数秒間の沈黙が訪れた。


(ああ……無音なのに、耳が痛い)


 サクラが耐え切れずに謝ろうかという瞬間、先にノワールがブチ切れた。


『はああああ!? なんでよ!? 修学旅行でもしてんの!?』

「ち、違うよ……あのね……」

『中学の修学旅行できなかったから!? 今更!?』

「違うってば! それにあのときはノワールが日程ピッタリに襲撃予告したからじゃない! 今回とは関係ないけど、気にはしてるんだからね!」

『だって、あなたに三泊四日なんてされたら、わたしのストレスの捌け口はどうなるの!?』

「そんな理由で青春の思い出を潰されたらたまったもんじゃないよ!」

『そんなこと言い出したらわたしだってねぇ――!』


 それからしばらく、お互いが魔法少女のためにどれだけ身を犠牲にしてきたか、というマウント合戦が続いた。

 そこそこ盛り上がったが、早々に二人とも虚しさを感じ始めて意気消沈してきたので、サクラは今回の経緯をサッと説明した。

 ノワールはサクラが一週間帰らないかもしれないと聞いて、絶望したような声をあげた。


『一週間って……冗談でしょ』

「帰ったら七倍相手するから、今日はわたし抜きでパラノイアどうにかしてよ」

『わたし、あなたのライバルで、どっちかというとパラノイア側なんだけど?』

「でもパラノイアが勝って力をつけたら、わたしとの勝負は満足にできなくなるよね?」

『……屁理屈言うようになったわね』


 ダイチやコモリの影響だろうか。サクラはいいことなのかな、と微妙な顔をして首をひねる。

 そのとき、別の着信が入った。コモリからだ。


「あ、ごめん。コモリちゃんから電話だ、じゃあまたね」

『え、誰よそれ、まだ話は――』


 これ以上は話を続けてもサクラが理不尽に責められるだけだ。

 パラノイアはノワールがなんとかしてくれる、という信頼はあったので、ひとまず面倒なことは忘れてコモリからの電話に出た。


「どうしたの、コモリちゃん?」

『……また迷子になってるの?』

(――あっ)


 おつかい開始から二十分以上は経っていた。

 慌てたサクラは適当な軽食を急いでかき集めると、とてつもないスピードでコモリのもとへと戻る。

 おつかいを済ませたサクラが買ってきたものをコモリに渡すと、コモリはそれを怪訝な顔をして受け取った。


「……あんぱんと牛乳って」

「は、張り込みならこれかなーって」

「いいけど。で、これを買うのになんでこんなにかかったわけ?」

「それが、そのぉ……迷子に……」

「百メートル以内に三軒はあるコンビニ行くのに迷子になんないで!?」


 正論だった。耳が痛いサクラは縮こまって黙っているしかなかった。

 さすがに無理がある言い訳を怪しまれても仕方がない、とうなだれていると、コモリがスッと手を差し出した。


「スマホ貸して。アプリ入れるから」

「えっ、なんの?」

「GPSアプリ。パパに使うつもりだったけど、サクラは別の意味で必要だわ」


 一応、魔法少女として秘密主義であるサクラは抵抗を示した。位置情報を共有などされては秘密裏に行動することが困難になる。

 しかし、二度の失態により信用を損なっていたサクラに拒否権などなかった。

 あっさりと押し切られて、滞りなくGPSアプリの導入が進んでいった。


「本人が同意してないのに、同意ボタン押すのはどうかと思うな……」

「つべこべ言わないの! 逆にわたしに対しても使えるから、お互いさまでしょ」


 ポチポチと手際良く二台のスマホを操作しながら、コモリは溜息をついた。


「はぁ、どうしてこんな短時間で連絡先と位置情報共有してんだか……仲良しかっつーの」

「あ、ホントだね」

「嬉しそうにすんなっ! パパとの関係、聞き出すまで信用してないんだから……聞いても信用しないけど」


 口ではそう言いつつ、コモリの表情は拗ねた子どものように見える。

 まだ言葉に刺々しさは残っているが、だいぶ砕けてきた印象をサクラは感じていた。

 コモリからスマホを返してもらったサクラは、ずっと気になっていたことを思い切ってたずねることにした。


「ねぇ、コモリちゃんはダイチさんのことが心配なの?」

「そうだけど? 大好きなパパを心配するのは娘として当然じゃない」


 即座に言い切るコモリからは迷いというものが一切感じられない。

 確かに家族愛と見れなくもないが、位置情報を探ろうとしたり、休日返上で尾行したりするのは過剰だろう。


「それにしては……その、やりすぎな気がするけど」

「……ファザコンって言いたいわけ?」

「そ、そこまでは言ってないけど」

「顔が言ってる。まぁ、否定はしないけど」


 そんな顔してるかな、とサクラは自分の頬に思わず手をあてる。そのままコモリの横顔へと視線を移して、ハッと見惚れた。

 コモリが時折見せる大人びた顔は、中学生の幼さと達観した眼差しが合わさったものだ。

 そんな顔を見せるときは必ず、コモリは遠い情景を思い出すかのように一点を見つめていた。


「パパがわたしの知らないところで何かするつもりなら、今度こそわたしは許さない」


 サクラに向けて呟かれたものではない。心情を吐露しただけのような独り言。

 それでも聞こえてしまったからには、サクラは無視できない。何があったかは知らないけれど、父親を許せない娘なんて悲しすぎる。


「詳しいことは言えないけど、ダイチさんはコモリちゃんのために頑張ってるんだよ」

「……そんなのわかってる」


 これまでの言動から察するに、コモリは状況をある程度わかっているのだろう。

 母であるユズハがいなくなったこと、ダイチとサクラが関わっていること、コモリを巻き込まないために秘密にしていること。

 誤魔化すには状況が整いすぎているので、ダイチも"言わない"という選択肢しか取れなかった。

 それはサクラも同じ考えではあるのだが――


(ダイチさんを説得するには、もっと知らなくちゃいけない。これ以上聞きたいなら、わたしも話さなくちゃいけない)


 サクラはまだダイチのことを深くは知らない。あの論理的で優しい男が、強い言葉でサクラを否定しないといけなかった理由もわからない。

 一週間で人質を助けるにしろ、メリーを倒すにしろ、ダイチの協力は必要不可欠で、そのためには信頼関係がなければならない。

 そういう意味では、これからサクラがしようとしていることは逆方向になるかもしれなかった。


「……今度こそ、ってどういう意味か教えて? ダイチさんは前にも何かあったの?」

「なんで話さなくちゃいけないの」

「わたしもコモリちゃんの知りたいこと、話せる範囲で話すから」


 サクラの言葉にやや驚きながらも、値踏みするように鋭い視線を向けるコモリ。


「それってパパへの裏切りになるんじゃない?」

「……同じものを見ていても、同じ方向を見てるとは限らないから」


 決してサクラは裏切るつもりでダイチのことを聞き出したいわけではない。サクラはジッとコモリの目を見つめる。

 その想いが伝わったのか、コモリは真剣な面持ちで口を開いた。


「パパはね、頑張りすぎちゃうの」

「……そうかな?」

「そうなの! 余計なこと言うなら話はここまでだけど!?」

「あぁ、ごめんっ! 続けて続けて?」


 あまりに本人のイメージとかけ離れたフレーズから入ったため、思わずツッコミを入れてしまった。サクラは反省しながら話の続きを促す。


「わたしが小学生になる前くらいだったと思う。お母さんとパパが別れることになったの」

「……その、離婚したってこと?」

「それがそうじゃないの。別居というか、仲だって悪くないの」


 自分で言ってて納得がいかない、といったように不満そうな顔をしながらコモリは語る。

 ユズハのことは知らないが、サクラも二人の仲が悪いとは思わない。ユズハを助けようとするダイチは実直そのもので、そのためなら手段は問わないという覚悟さえ感じた。

 しかし、離れて暮らしていることは事実である。サクラは単身赴任のようなものだと考えていたが、そうではないらしい。


「離れてからもちょくちょく会うんだけど、絶対に一線は越えない、踏み込まないって感じ。だから、パパだけ呼び方が更新されてないの。お父さんって呼ぶタイミングがなくて」

(……ちょっと気にはなってた)


 どうしてお母さんとパパなんて言い方をするのだろう、と思ってはいた。

 サクラには想像もできない思いが、コモリの胸中では渦巻いているのだろう。


「別れた原因をわたしは詳しく知らない。なんか、わたしのために……わたしを守るために一緒にはいられないって、そういうことを言われた」

「そんなこと言われても……」

「そう、納得なんでできない。せめて理由を聞かないと判断だってできない。本当にわたしのためだったの? ……でも、パパの顔見たら、そうだったんだとしか思えない」


 半ば愚痴をこぼすようなコモリの態度に、サクラは同情の念を抱かざるを得ない。

 しかし、それを言葉にすることをコモリは望んではいないだろう。強かな瞳がそう物語っていた。


「だから、今度こそわたしは何も知らないまま助けられたくなんかない。ヒーローになりたいなら隠さずに正々堂々すればいいじゃない」


 助けるなら隠さないでほしい。それは影から救いの手を差し伸べる気持ちがわからないでもないサクラに突き刺さった。


(あなたのため、なんて幾ら言っても本人はそう思うよね……)


 助けて。助けたい。助かった。

 どれか一つでも欠けてしまえば、円満な救助は成立しない。それでも助けなくてはいけないときもある。だからこそ、辛い。

 魔法少女を続けてきたサクラには、綺麗事では片付けられないことも数多くあった。助けても感謝されないことだってある。

 そんなことはわかっていても、どうしようもないのだ。だって――


「きっとダイチさんは、それでも助けたいって思ったんだよ」

「……うん」


 そこに疑いの余地なんてはじめからない。

 コモリはそれを承知で、ダイチの助けになりたいと思っているだけなのだ。

 結局、助けたいのはお互いさまで、ヒーローというのは全員どこか強引なところがあるのかもしれない。


「ダイチさん、なんだかんだ言っても正義の人だよね」

「当たり前でしょ。前職、警察だし」

「えっ、そうなの!? 意外!」

「……だーれがお巡りさんだと意外だって?」


 ドキン、と心臓が跳ね上がる音がした。

 冷や汗を流しながら振り返ると、呆れた表情のダイチが立っていた。

 コモリは諦めが悪いようで、背中にあんぱんと牛乳を隠しながら笑顔を作っている。


「ど、どうしてここにパパが……?」

「昨日、予定を確認されたときから怪しいと思ってたんだ」

「……騙された! 交通機関も動いてないうちから外出してるなんて!」

「そもそも親を騙すな、不良娘が」

「えーん、パパの正統な後継者なのにー!」

「……それは否定しきれないとこあるなぁ」


 サクラは二人のやり取りを聞きながら、ひっそりと気まずさに耐えていた。

 ダイチの過去を探るようなマネをしたばかりで本人登場となれば、気になるのはどこから気付かれていたのか、である。


(コモリちゃんには何も話せてないから、約束は破ってないんだけど……)


 それを釈明するのはここでは無理だ。コモリのいないところで話すしかない。

 覚悟していたとはいえ、紙一重でこうもりのようなどっちつかずのムーブを避けることができて、その点は少しだけホッとしていた。


「さて、オレはこれから本当にホテルにこもるから。ディナーまで遊んでおいで」

「ホントに? パパ、そう言いながら時間外で働かない?」

「うーん、そのお願いは厚労省にしてくれ」

(適当言ってるなぁ……あれ? ダイチさん、今まで何してたんだろう……?)


 どうやらこれから仕事をするのは本当のようだ。時間を作るためにダイチも頑張っているのかもしれない。

 そうなると今までの外出は仕事以外の用事だろう。メリーとの折衝は夜の山で行われるはずで、他には思い浮かばない。


(今回とは関係ない用事かな……)


 ふと、数時間前に駅で遭遇したメリーのことを思い出した。


(……まさかね)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る