2-8 ヒナタの正義 己の世界は傷つけさせない

「いやあ! 連絡してくれたのにすまない!」


 駆け足で向かってくるヒナタは、会話するには遠すぎる距離感で話し出すが、大きな声量ゆえに問題なく通じた。

 いつも通りの真っ赤なジャケット姿で、いっそ着替えてきたのかと思うほど普段と変わらない格好と態度である。

 ヒナタが来てくれたことは幸いだが、いざとなるとサクラは話題を切り出し方に戸惑った。


「あのぉ、どこに行ってたんですか?」

「妹の見舞いだ。それについて話すことがあるんだが……場所を変えないか?」

「えっ」


 不意に飛び出した『見舞い』というワードに驚きを隠せないサクラ。

 イズミは多少、面食らった様子ではあったものの、努めて平静に返した。


「わかった。家の中で話す?」

「それが……うちは散らかっていてな、女子を招くような状態じゃないんだ」

「あんたの部屋が?」

「いや、玄関からして片付いてない」

「は? 引っ越しでもしたわけ?」


 一体どんな状態なのか気になるサクラだったが、大学生どころか男子の部屋も想像つかない。

 ひとまず落ち着いて話せるところを、と考えているとすぐに思いついた。


「ねぇ、わたしの家はどうかな?」

「近いの?」

「うん、すぐそこだから!」


 本当に歩いて数分のところにあるので、サクラも都合の良さに少しびっくりしていた。

 ヒナタはサクラの申し出に感謝を示しつつも、困ったような表情で言った。


「その提案はありがたいが、いきなり押しかけて迷惑でないだろうか?」

「あんた、そんな気の回し方できたの?」


 イズミは嫌味ではなく素の驚きから飛び出たような口調で、ヒナタに失礼な言葉を浴びせる。

 サクラは苦笑いしながら、手をぶんぶんと振り回しながら大丈夫と自信満々に返した。


「平気だよ! わたしの両親は戦隊のことも知ってるし、多少のことでは動じないから!」

「知ってたらオッケーってもんでもないけどね……」


 溜息まじりに呟いたイズミが、グッとサクラに顔を寄せる。


「ともかく、戦隊のこと"も"知ってるってわけね」

「うん? ……あっ」


 この場でサクラが魔法少女と戦隊をかけ持ちしていることを知らないのはヒナタだけである。

 そのことをサクラの親は知るよしもなく、ヒーロー仲間だと紹介しただけでは、ひょんなことからバレかねない。

 暗にそのことを忠告してくれたイズミに感謝しつつ、サクラはグッと拳を握って注意しなくてはと誓った。


「ついてきて、案内するね」



     + + +



 桃瀬家はサクラと両親の三人暮らしである。

 娘が魔法少女なこと以外はごく普通の家庭だと、サクラ自身は思っている。

 恐る恐る我が家の玄関を開けながら、サクラはいつもより張りのない声で叫んだ。


「ただいまー……」

「おかえり。あら、見かけない顔」


 迎えてくれたのはサクラの母親だった。

 童顔なサクラが大人びて眼鏡をかけたような人で、突然の訪問だったイズミとヒナタを怪しむこともなく、穏やかな眼差しを向けている。

 イズミとヒナタは人の家の玄関という環境に促されるように自然と頭を下げた。


「お友達? お知り合い? ごめんね、もう夕飯の支度終わっちゃったのよ」

「い、いいえ、お構いなく!」


 会って数秒で食卓に誘われかけて、イズミは驚きながらもきっぱりと断った。

 サクラは魔法少女の話題が出ないうちに、部屋へ上がることにした。


「二人とも戦隊の知り合いなの。ちょっと話があるから、部屋に入ってこないでね」

「えぇ? 今から? 夕飯の支度終わったって言ってるじゃない」

「大事な話だから、ごめん、とっといて!」

「もう、お父さんも今日遅いのに……」


 サクラの部屋は二階にあるので、二人を連れて階段を上がる。

 小学生の頃から使いこまれている学習机とピンク色のベッドがあるシンプルな部屋だ。

 人数分の座布団なんてものもないので、サクラは申し訳なさそうに床への着席を促した。


「つまらない部屋だけど、どうぞくつろいでね」

「……いいけど。本当にサクラの母親、動じてなかったね」

「不思議な関係者連れてくることも、ここ数年で何度かあったから」

「どんな?」

「パートナーの妖精がいるんだけど、その子が住む国の王様とか泊めたことあるよ」


 妖精の国の王様だというのに姿形が人間だから、匿うのに苦労した思い出がサクラにはあった。

 魔法少女も数年やっていると、パラノイアとの戦い以外にも色々とあるものだ。

 感慨深い気持ちで思い出に耽っていると、イズミがげんなりとした顔で溜息を吐いた。


「そういうの慣れたくない……それより、あんたちゃんと後で夕飯食べなよ?」

「えっ?」

「子供が夕飯食べないのは家庭の危機なんでしょ?」

「あっ、あー……わかってるよ」


 夕刻、バーベキューヤングレーの話をしているときに、そんなことをイズミに話した気がする。

 活動優先になると家庭が疎かになるのはヒーローの常であり、サクラはばつが悪そうに肩を縮こまらせた。


「ほら、あんたも。サクラのお腹が鳴る前にさっさと話せば?」

「鳴らないよ!」


 イズミが真剣な目をヒナタへと向ける。

 ヒナタは大きく深呼吸をすると、覚悟を決めたように口を開いた。


「オレの妹はサイケシスに襲われて、今は病院にいるんだ」


 サクラはグッと息を呑んだ。

 ヒナタの口から漏れた言葉で暗に気付いてはいたが、明言されるとやけに緊張感が走る。


「大丈夫、なんですか?」

「心配してくれてありがとう。大丈夫、生きているとも」


 ヒナタが朗らかな口調ではっきりと言ってくれたことで、サクラは少し安心した。


(……サイケシスの被害者が、こんなに近くにいたなんて)


 魔法少女としてパラノイアと戦っていたときにはなかった感覚だった。

 決してお遊びでヒーローをしているわけじゃないが、サクラの肩に実感として重くのしかかってくる。


「その、お名前は?」

「ヒマリ。中学生になったばかりだ」

「へぇ、どんな子なんですか?」

「昔はオレのことをお兄ちゃんと慕う良い子だったんだが、最近は口もろくに聞いてくれないな。

 生意気ではあったが、やはりサイケシスに襲われたショックが大きいのかもしれない」


 入院生活で元気がないのだろう、とぼやくヒナタ。

 サクラはうーん、と曖昧に誤魔化したが、イズミは容赦しなかった。


「思春期なのに妹離れしない兄がうざったいだけでしょ」

「そ、そうなのか? どうすればいいんだ?」

「放っとくのが一番。用があれば向こうから話しかけてくるから」


 すっぱりと切り捨てるイズミだが、言っていることはサクラにもわかる。

 サクラは一人っ子で兄はいないが、親に対して似たようなことを思うときがある。

 その話、今必要? みたいなタイミングで話しかけてこられると面倒臭いものだ。


「とはいえ、放っとけないのが兄なんだよなぁ」

(ヒナタさん……)


 その瞬間、ヒナタの真っ直ぐな瞳の奥に、サクラは暴走しがちな熱量の根源を覗いた気がした。

 イズミは考え込むようにうつむいて、神妙な面持ちで口を開いた。


「……それがあんたの戦う理由?」

「ん? あぁ……」

「妹さんみたいな人が出ないように、後悔したくないから戦うってこと?」


 イズミはジッとヒナタを見つめながら、確認するようにはきはきと訊ねる。

 ヒナタは少し返答に戸惑うように声にならない言葉を発したが、やがて諦めるように頷いた。


「あぁ、そういうことだろうな。

 オレは医者じゃないから、妹を元気にしてやることはできない。

 だが、代わりに戦う力があるというのなら――


 オレはこれ以上、この世界の大事なものが傷つけられないよう、傷つけるやつを全力で倒すだけだ」


 ヒナタの言動はこれまでも暑苦しかったが、そのほとんどが上滑りするように通り過ぎていった。

 言葉の表面温度ばかりが熱せられて、芯の通っていないようにさえ思えた。

 今ようやく、アツくなりがちな男に火をつけた理由を知って、サクラはヒナタに共感できた。


「立派な戦う理由だと思います」

「そうか? エゴではないだろうか?」

「正義のヒーローなんて大概がエゴですよ!

 助けてほしい人が『助けて!』なんて言ってくれることは、まずないですから。

 世界だって危ないから勝手に守ってるだけなんです」


 ちょっと調子に乗ったかな、と感じたサクラに、イズミがすかさずツッコミをいれる。


「どうなの、それは」

「まぁ、あははー……でもきっと正義感ってそういうことだよ」


 投げ出したってシシリィくらいしか文句を言わないはずなのに投げ出せないのは、サクラの心がそう決めたからである。

 それは魔法少女としてのプライドや経験から辿り着いた、サクラだけが持つ正義感。

 イズミのように困っている人を見捨てられない正義感もあれば、ヒナタのように二度と傷つけられないために戦う正義感もある。


「ヒナタさんの自分の世界を守りたい、っていうのも確かな正義ですよ」

「……そうか、ありがとう」


 ヒナタの心を少しだけ理解できたようで嬉しく思うサクラ。

 一方、イズミはまだ言いたいことがあるような難しい表情で、唇を尖らせていた。


「でも――」


 しかし、その言葉の続きはその場の誰も聞けなかった。



 ――――ズドォォォォオオオン!!



 窓をガタガタと揺らすほどの派手な爆発音が空間の音を塗り替えた。

 屋外の、それも付近ではないはずの場所で起きたであろう爆発の余波にしては、冗談では済まされない轟音だった。

 一体どこで何が起きたのか、想像したくないほどの惨事が脳裏をよぎる。


「ねぇ、今の爆発!?」

「サイケシス以外に何があるっての!?」


 サクラの問いかけをイズミが力任せに返す。

 突然の出来事で慌てる二人をよそに、ヒナタは驚くべき反応速度で立ち上がった。


「あっ、待って!」


 サクラが止める間もなく、ヒナタが窓から飛び出していく。

 追いかけるように窓から身を乗り出すと、変身したヒナタの背中が遠ざかっていった。


「早いっ! いつもこんなスピードで向かってたの!?」

「驚いてる場合じゃない!」


 イズミの言うとおりだった。

 サクラたちも変身して、ヒナタが走っていった方角へと急ぐ。

 辺りはすっかり日が落ちて、街灯の明かりが路面を照らしていた。


「で、どこに行けばいいわけ!?」


 怒気を含みながらイズミが訊ねるが、サクラにもわからない。

 そのとき、神出鬼没なシシリィが闇夜から現れ、二人と並走しながら情報を伝える。


「駅前の東大通りです!」


 サクラの部屋では姿を消していたが、しっかりとサイケシスの出現状況を探っていたらしい。

 シシリィに向かってイズミが走りながら叫ぶ。


「あいつは! ヒナタは方向合ってんの!?」

「ええ! ほぼ最短距離でサイケシスのもとへ向かっているようです!」


 あの轟音しか印象に残らない爆発だけで位置を割り出し、的確に現場へ向かうとは凄まじい直感力である。

 サクラが素直に感心していると、鋭い殺気が頭上より降ってくるのを感じた。


「避けて!」


 ほぼ突き飛ばすようにイズミを前へと押しながら、振り下ろされた衝撃を受け流すサクラ。


(戦闘ならわたしの直感も捨てたもんじゃないな……!)


 まだ記憶に新しい殺気の持ち主は、愉しそうに低い笑い声を響かせながら姿を現す。


「カカッ……テメェの反応がいいから、つい手が出ちまったじゃねェか」


 オーバードは白衣をはためかせて、にやりと口元を歪める。

 サクラは背後のイズミを庇うように立ちふさがり、フーッと息を入れた。


「イズミ。ヒナタさんを追って、お願い」

「……っ、すぐあいつ連れて戻るから!」


 オーバードは離れていくイズミには目もくれず、サクラだけをねぶるような視線で見つめている。

 サクラは戦場の緊張感が高まるのを感じながら、同じ轍は踏むまいと小さな声で唱えた。


「……変身」


 夜の街に響いた地味な変身コールに、オーバードは怪訝そうに眉を寄せる。


「あァ? もう変身してんじゃねェか」


 サクラは星霊戦隊のハートピンクであると同時に、魔法少女ピンキーハートでもある。

 先日の戦いでは戦隊の力だけで奮戦し、魔法少女の力は使っていなかった。

 無論、そのことをオーバードは知らないし、教えてやる義理もない。

 唯一、教えてあげられることがあるとすれば――


「教えてあげる。このあいだのわたしとは違うってことを――!」

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