第5話 想いのこもっていない契約書の価値は重い?
「ねぇねぇ、りっくん。シオとりっくんのラブラブな気持ちがいままでで一番高まってる今だからさっ、これ、書いちゃおうね?」
そう言いながら出してきた紙切れ。
それがなんなのか、さすがの混乱状態の俺も、頭ではわかってる。
だけど、心が、精神がそれを認識することを拒む。
そうこうしている内に、無理やり理解させられるように、シオからの説明が繰り出される。
「婚姻届だよっ!シオ達はまだ結婚できない年齢だけど、今のうちに書いちゃって、2人の愛を永遠の形に残すのが良いと思うんだっ」
うんうん、そうだよな。
こんなに可愛いシオと1日でも早く夫婦になりたいもんな......ってそうじゃなくて!だめだ!思考が愛しさに占拠されてきてる。冷静になれ、恐怖を思い出せ。
この左腕を折られたとき、爪を剥がれたとき、日常のなかでの細々とした恐怖体験。
こんなのヤンデレとかの次元じゃない、ただの犯罪者だよ。そうだよ、愛しいなんて思うわけない、恐い、怖い、やばい。
......うん、大丈夫だ。俺は逃げられる。逃げたいと思える。生きたいと思えている。
婚姻届。結婚。これにサインしたら、今はまだ16歳だけど、後2年もしたら絶対に提出される。こんなに可愛......じゃなくて、危なすぎるシオが生涯の伴侶になってしまう。
だけど、よく考えたら、背中にはすでに婚姻関係よりも消すことの大変な証が刻まれてしまっている。
入れ墨は消せるのかもしれないけどそれなりの覚悟がいるんだろう。
多分俺にはそこまでの気力はない。
だからこれから生涯誰にも背中は見せないくらいの覚悟で隠し続けるだろう。
それを思えば、別に婚姻届を書くくらい、もはや大した問題ではないんじゃないか?
逃走計画がちゃんと成功すれば、結婚してようがしてまいが、どうせ関係なく高跳びして身を隠しながら静かに暮すんだし。
こんなにかわいいお嫁さんができるんだしっじゃなくて!!!!あぶねぇ、また引っ張られた。
それにこれに名前を書くのを断ったりしたら、それこそ俺の心だとか逃走計画がバレてしまいかねない。
うん、そうだ。だからこれを書くことに躊躇するのは愚策だ。
と、ここまでの思考がほんの瞬きの間に走る。
ここしばらくの内で最も速く思考できたと思う。
「あぁ、そうだね。ラブラブな俺たちが
たぶん、この一瞬での悩みをシオに気取られてはいないと思う。
シオは笑顔で、「うん!」と答える。
「ただ、左手が使えないからさ?それが治ってからでもいいかな?」
そう、まだ時間は作れる。合理的な言い訳はできる。
無駄な先延ばしかもしれないが、なにもしないよりは1日でも長く先延ばしにできるに越したことはないはず。
そう思っていたけれど。
「え?あはは、りっくんってばぁ〜。何を言ってるのぉ?そんなのだめに決まってるでしょぉ〜?」
口元は三日月状にひん曲がっており、笑ってるようにも見えるけど、目は明らかに笑っていない。怖い。
「え、でもこの腕じゃあさ?み、右手で書いても汚くなっちゃうしさっ。せっかくならキレイに書きたいじゃん?」
「だめ、今すぐその左手で書いて」
折れてる腕で書けってか!
「あ〜、なるほど、そりゃそうだよな、わかった、今から書こう!」
そうして激痛に耐えながら書いた。書いてしまった。
痛みでまともに書けないことが何度もあったせいで、何枚も失敗した。
でも結局、シオが納得するものが、書けてしまった。
シオはその成功作の婚姻届にすぐにサインして、必要事項を書き込むと、それを持って部屋の外に行ってしまった。
目を覚ましてから、ようやく開放された今まで、それほど長い時間じゃなかったはず。
だけど俺には永遠の地獄ようにも感じた。
「ただいまぁ〜」
それに比べて
「おかえり、シオ。君がいない間、すごく寂しかったよ!どこに行っていたんだい?」
あ、とうとう口に出す言葉にも愛しい気持ちが載ってしまった。もうホント嫌だ......。
「あぁん、寂しい思いさせてごめんねぇりっくぅん。パパたちに証人欄を書いてもらって、弁護士に渡してきたんだっ。これで18歳になったら自動的に法律的にも夫婦になれるんだよっ!」
やられた。提出する前になんとかできるかもしれないとか、甘いことも考えていたけど、もう無理だ。どうしようもない。
俺はあと2年余で名実ともにシオと夫婦になってしまうんだろう。
だからこそ、もう入籍自体は仕方ない。割り切るしかない。
そっちは諦めて、逃げる計画に、集中していこう。
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