3章 ヘンテコな声⑤
以前、腕を噛まれた公園を待ち合わせ場所とし急いで向かうも、すでに彼女はいた。
「こ、こんばんは、ミラさん」
「困ったら相談に乗ると言ったが……」
「ごめんなさい、電気が止まってしまって!!」
「深夜だ、あんまり大声出すな」
「ご、ごめんなさぃ」
そう言って彼女が背を向け、歩き出す。
私はその小さな背中を見送り、
「何しているんだ、瀬名。ついてこい」
「いいんですか、泊めてくれるんですか!?」
「良くないが、仕方ないだろ……」
慌てて追いかけ、彼女の隣に並ぶ。最悪だと落ち込んでいた気分も、一気にあがる。隣の先輩は不満そうな顔だけど。
「内緒にしろよ」
「誰にも言いませんよ、先輩の家にお泊りしたなんて。言いません、自慢したりしません! しないですよ、本当ですよ?」
「……やたらテンション高いな」
申し訳ない気持ちもあるが、好奇心が勝つ。
「だって、ミラさんの家ですよ? 気になるじゃないですか。お部屋の中は可愛いものだらけなのかな~とか、食器は高級品ばかりなのかな~とか妄想していたのが、答え合わせできる。謎だらけのミラさんの生活を見られるチャンスなんて、めったにないんですよ!」
「……やっぱりお金だけ渡して帰らせるか」
「駄目です! お金の貸し借りは良くありません。おばあちゃんが『身近な人でも金銭の貸し借りはいけんよ』と口酸っぱく言っていました」
「はぁー、ついたぞ」
ミラさんがため息をつきながら足を止めたのは、煉瓦模様の洋風な一軒家だった。ここがミラさんの家?
「一軒家なんですか!?」
大豪邸というわけじゃないが、一軒家だ。いいマンションに住んでいるだろうな~と考えていたので、予想を裏切られた。
25歳にして家持ち。驚きしかない。都内に家を持てるとは、この先輩はどれだけ稼いでいるというのだ。
「安かったんだ」
「安かったじゃ買えないですよ!?」
一人で一軒家を買おうという選択肢がまず存在しない。一人で……うん? 嫌な疑惑が生じる。
「え、もしかして旦那さんやお子さんがいたりしませんよね!?」
「いないいない」
「じゃあお嫁さん……?」
「誰もいない。寂しい一人暮らしだ!」
ムキになる先輩が可愛い。
そんな先輩を見て、良かったと一安心する私がいる。実はミラさんが誰かと結婚していたと知ったら、オタクとしてショックでこの場で崩れ落ちていただろう。引退の理由は結婚するから、お子さんが生まれるからという疑惑も消えた。付き合っている人がいるかどうかは知らないけど! 大人の先輩後輩となるとそういうことは聞きづらい。
それに毎度腕を噛まれるという『変態行為』に付き合わされているのだ。結婚していたとしたら、勝手に浮気認定されかねなかった。その点は安心だ。これでいくらでも腕を噛まれていい……わけではない。
「いいから入るぞ」
「はい、おじゃまします!」
ミラさんの家に入ると、「おお!」と思わず声を上げてしまった。
室内の壁も煉瓦模様で、落ち着いた雰囲気な内観だった。エレガントな模様の手すりがついたカーブ階段が目立ち、お城のような印象を受ける。
「あんまりじろじろ見るなよ」
「見ますよ、へ~」
腕を引っ張られ、引きずられる。
「瀬名は2階に泊まれ」
「はーい」
「……素直だな」
カーブ階段を登り、2階に上がる。2階には見たところ3部屋あった。
「どの部屋がミラさんの部屋なんですか?」
「入ろうとするやつに教えるか。入ったら追い出すからな」
「わかりましたよー、大人しくしまーす」
そう言いながらも、テンションは下がらない。ミラさんは奥の部屋の扉を開け、私を案内する。
「今日はここな。普段は私の仕事部屋として使っている。疲れた時に寝っ転がるベッドもちょうどあるので、そこで寝てくれ」
片側の壁を本棚が占有し、そこには彼女が演じた漫画の原作や、アニメのDVD、BD、今まで演じたであろう台本がきちっとしまってあった。
「わー、懐かしいこの漫画。私高校生の時に読んでいましたよ~」
「物色するな、明日も私は仕事だからな」
「どうせ16時スタートじゃないですか。夜はまだまだ長いですよ、女子トークしましょ、女子トーク」
「修学旅行じゃないんだからはしゃぐな。私は今日はお疲れなんだ」
お疲れモードなミラさん。出ていこうとするが、私は呼び止める。
「ミラさん、もう一つお願いが……」
嫌そうな顔をして振り返る。
「……なんだよ」
「お風呂借りても、いいですか?」
「……」
「汚れたまま寝るのは悪いので……」
「わかったよ、案内するから」
「ありがとう、ミラさん! ダイスキです~」
「……調子いいんだから」
お風呂は1階にあるらしい。ミラさんの後をついていき、階段を下る。
「ここだ。服は着れそうなの持ってくるから、ゆっくり浸かってろ」
「ありがとうございます! 至れり尽くせりですね。あっ、下着は家出る時に持ってきたので大丈夫です!」
「なら、服も持って来いよ!」
「うっかりですね」
ミラさんの服を着て見たかったとか、そういう下心は――あります。
「お礼に一緒に入ります?」
「入らん!」
「あれ、てっきり私の体に興味があると思っていたのに……」
「興味あるのは腕だけだ」
「ひどいですよ、先輩。弄んでいたんですね……」
「いいから、早く入れ~~~」
音を立て扉を閉め、ミラさんが脱衣所から出ていく。先輩の家でありながら、人の家にお泊りする楽しさは変わらない。ずっと陽気な私だ。
「わーお風呂が赤い!」
お風呂への扉を開けると、湯船にバラが浮いていた。さらにテンションが上がってしまう。なんだこのリッチなお風呂は。匂いも素敵で、うちの狭いお風呂とはまったく違う。「さすがミラさんの家だな~」と家に訪れてから感心しっぱなしだった。
「ごくらく~」
お湯にきちんと浸かったのはいつ以来だろう。久しぶりに人間的な生活をしている気がする。
洗った髪の毛が普段よりいい匂いがする気がする。高そうなシャンプーのおかげだろう。銘柄は覚えたが、後で検索したら驚きそうな値段だろうなと苦笑いした。
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