第11話 オズワルドの屋敷
気力で倒れるのは防いだが、あと少しでも常識外れた情報が差しこまれたら気絶する自信がある。今はとにかく平常心を維持しなくては――と、深く息を吸い込む。
すると今度は屋敷の方から落ち着いた声が聞こえた。
「ほっほっほ。立ち話もなんでしょう。まずはお屋敷の中でおくつろぎくださいませ」
白い髪を後ろに撫でつけモーニングコートをきっちりと着込んだ壮齢の男性が、屋敷を背にして立っていた。
穏やかな表情、優しい声。線は細く、歴戦の猛者といった風貌でもないのに、なぜだろう。樹齢千年を超える大樹のような風格があった。
「なんだ、爺も出てきたのか。マリアベル。こっちは子供の頃から僕の身の回りの世話をしてくれている爺、エレマンだ。彼もせいれ――」
「坊ちゃま。ご説明は後でごゆるりと」
「む。そうか。そうだな。ならば朝食でも食べながらゆっくり話をするか」
オズワルドはようこそと手を引いてマリアベルを屋敷の入り口まで案内する。
さすが隠居したとはいえ元辺境伯の屋敷。派手派手しさはないものの、堅実なつくりの建物は広さも見栄えも申し分ない。ただ魔導具の祖が住む屋敷としてみると、いささかこじんまりしているように思えた。
人嫌いを自認している彼のことだ、使用人の数も厳選しているのだろう。ならばこれくらいの広さが丁度いいのかもしれない。
そんなことよりも、周囲に一切の人影なく広大な庭と山々に囲まれたこの場所はとても空気が澄んでいて、心が洗われるかのようだった。
「気に入ったか?」
「もちろんでございます!」
嬉しそうに頷く彼女に、オズワルドは満足げに微笑んだ。あまり人と関わるのが好きではないマリアベルにとっても、この屋敷は過ごしやすそうに感じた。
「ヴィント、お嬢様をお部屋までご案内しなさい。私は朝食の準備を」
「朝食なら俺が用意しましょか? キッチン担当俺やし」
「軽いものでしたら私で十分ですよ。それに、お嬢様好みになるよう家具の移動もお願いします。力仕事は貴方の方が得意でしょう?」
「まぁ、そういうことでしたら。閣下の仰せのままに」
ヴィントは胸に手を置いて軽く頭を下げた。
――閣下?
大精霊ヴィントが敬い、頭を下げるほどの相手。オズワルドが爺と呼ぶ彼も只者ではないのかもしれない。
マリアベルが視線をやるとエレマンはただ穏やかに微笑んだ。問いかけには気付いているが、応える気はないらしい。それは決して隠したいからではなく、マリアベルの身体を気遣ってのことだと瞬時で理解した。
きっと聞いてしまったが最後、意識が遠のいてしまう予感がする。
「不躾な視線、申し訳ございませんでした」
「ほっほ、お気になさらず。……よくぞ御無事で」
包み込むような優しい声。男性相手にこの例えはおかしいかもしれないが、胎盤にいる赤子のような気持ちにさせられた。絶対的な安心感と言えばいいのか。
まだ一言二言しか言葉を交わしていないのに、彼が裏切ることはないと――魂が知っている気がした。
「――、マリアベル」
「はい。なんでございましょう、オズワルド……さ、ま?」
親愛のこもった眼差しでエレマンを見つめていると、突如オズワルドが割り込んできた。
彼はマリアベルの真正面に立ち、視界のすべてを独占するため、ずいずいと顔を近づけてくる。なんて大人気ない行為だろう。エレマンは笑っていたが、ヴィントは「坊ちゃん、子供か」と呆れながら文句を吐いた。
「あの?」
「いや、悪い。君があまりに爺ばかり見つめるから」
オズワルドは恥ずかしげに後頭部を掻いた。
「ここには僕と彼らしかいない」
「え?」
「人間を雇うと後々面倒が起きる。それは過去に立証済みだ。ゆえにこの屋敷の仕事は爺とヴィントの二人で賄ってもらっている。安心してくれ。僕が信頼を寄せるほどに彼らは優秀だ。何一つ不自由などさせぬと約束しよう」
目と鼻の先で、夜色の瞳が揺れる。
彼は少しだけ悔しさをにじませながらマリアベルの仮面に触れた。その手があまりに優しかったので、何を求められているのか瞬時に理解してしまった。マリアベルはそっと顔を伏せて首を振る。
「オズワルド様、それは――」
「精霊は人間を見た目で識別しない。僕は美醜には興味がない。だからマリアベル。君はもう、そんなものに縋らなくても良いんだぞ」
はい、と頷けたらどれだけ良かったことか。
彼らの視線が怖いわけではない。ここにいる人たちは皆優しい。きっと、マリアベルのこの顔を見ても変わらず接してくれるだろう。化け物ではなく一人の人間として見てくれるだろう。分かっている。それなのに首を縦に振る事が出来なかった理由はただ一つ。心の問題だった。
マリアベルは返事を濁したまま頭を下げ、ヴィントに連れられるがまま屋敷の中へ逃げ込んだ。
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