第4話 約束通りに



 次の日の夕刻、リビングにて。

 少しだけ偽りを混ぜて両親に報告する。


 予想通り。

 なぜそんなことをした。どれだけ苦労して婚約にこぎつけたと思っている。もう二度と嫁の貰い手は現れないぞ。情けない。これからどうする。ずっと家にいるつもりか――嘲笑の混じった罵倒が何時間も続いた。


 いつもなら悲しくて悔しくて、胸が押しつぶされそうになっていたのに不思議なものだ。今のマリアベルには一切響かなかった。

 鋭利な言葉で切りつけられても、小さな瑕疵すらつきはしない。


 ――一度覚悟を決めると、人とはこうも強くなれるのね。


 途中で眠くなってきたマリアベルは俯いて顔を隠し、こっそりと欠伸を零す。

 出て行けと言われたらさっさと荷物をまとめて出て行こう。子供の頃に贈り物として頂いた宝石類があるので、それを売って当面の生活費に充てればいい。尽きる前に働ける場所を探し、一人でも生きていけるよう地盤を固めなければ。

 使用人のように動いてきたもの。職種を選ばなければ何か見つかるはず。


 マリアベルが冷静に今後を考えていたその時、勢いよく部屋のドアが開き、妹クローディアが駆け込んできた。



「お姉さま、お姉さま! 大変ですわ! お姉さまに、ふふっ、婚約のお申し込みがきておりますわ! 急ぎエントランスまでお出でになって!」


「こ、婚約? ちょっと待ってクローディア!」



 ――何の冗談かしら。


 どうせまた、いつものくだらない嫌がらせだろう。不穏な噂まみれの人物か。人売りの商人か。そもそもそんな物好きはいなかった、というオチも考えられる。


 どうせ馬鹿にされるだけ。分かっていても、逆らうことは許されていなかった。


 クローディアに腕を掴まれ、引っ張られるままにエントランスホールまでやってくる。

 巨大なシャンデリアが目を引く屋敷の入り口。その煌びやかさとは裏腹に、いつもは静まり返っているこの場所が、今日はなぜだか物々しい雰囲気に包まれていた。

 使用人たちのざわめきが雑音のように耳にこびり付く。


 何がそんなに楽しいのか。

 クローディアは憫笑を湛えながら、顎をくいと動かした。


 ――人は、いるみたい。一体誰が。


 マリアベルは両階段から下を覗き込む。そして、驚きのあまり目を見開いた。



「あ、あなた様は!」


「やあ、マリアベル。宣言通り君を貰いに来たよ」



 凛とした張りのある声。涼やかな青い瞳。さらりと流れる黒い髪。

 見間違うはずもない。昨晩、ラムレスク公園にある橋の上で出会った青年だ。夜の闇が見せた幻ではなかったのか。確かに婚約者に立候補するとは言われたが、あんなのは世辞の一つ。冗談のはずだ。それがどうして。

 あまりのことに理解が追い付かず、マリアベルはその場でへたりと座り込んだ。



「マリアベル? 大丈夫か?」



 大丈夫なわけがない。

 ああ、なんて眩しい。光の下ですら見惚れるほどの美しさは健在で、エントランスを満たすどの装飾よりもキラキラと輝いて見えた。自分が、釣り合うはずもない。



「元貴族の……ええと、オズ……なんでしたっけ。まぁお名前は自分でお聞きになって。書面は本物でしたわよ。ほら、よくお目に入れて。ねぇ? 実にお似合いでしょう? お姉さまにピッタリ。ぜひ婚約して差し上げたら? うふふ!」



 放心状態のマリアベルを見下ろしていたクローディアは、くすくすと可笑しそうに肩を震わせていたが、次第に耐え切れないとばかりに口を開けて笑い出した。



「クローディア。あなた、何を言っているの? このようなお美しい方、わたくしなど不釣り合いもいいところ――」


「お美しいぃ? あら、もしかして魔力のないお姉さまは別の世界が見えているの? お可哀想に。私には腰の曲がったおじい様にしか見えませんが。……あら、失礼いたしました。口が滑りましたわ」


「御尊老? そんな……」



 視線を落とせば、ぱちりと目が合った。

 いつまでも待たせているわけにはいかない。マリアベルは慌てて立ち上がり、階段を駆け下りて彼の傍まで急いだ。


 魔力の弱い者、存在しない者のみかかってしまう幻影か何かだろうか。だからこれほどまで現実離れした美しさなのだろうか。

 いいや、違う。

 マリアベルが青年を美しく思うのは姿形だけではない。彼の言葉があまりにも優しくて綺麗だったから、殊更そう感じてしまうのだ。



「お待たせしてしまい、申し訳ございません」


「それはいい。気にするな。だが、彼女の言葉は事実。君以外には腰の曲がった初老の男に見えているはずだ。やはり、このような偽りだらけの男に婚約を申し込まれても頷いたりはできないか」


「……本気、なのですか? ご冗談ではなく? わたくしを?」


「もちろんだ、マリアベル。僕は君がいい」



 真っ直ぐな瞳。彼の言葉はきっと本物だ。本気で自分に婚約を申し出ているのだ。


 じわり、と胸の辺りが温かくなる。

 たとえ見えている姿が偽物でも、歳の差があったとしても関係ない。昨日の今日で婚約の申し込み。何か裏があるだろうことは察しがつく。しかし、自分を選んでくれた。その事実の前にはすべてが些末なことだった。


 どうせ家を出て一人寂しく生きて行こうと思っていたところだ。必要と言ってくれるのなら全てを捧げたってかまわない。たとえその先に、何があろうとも。

 マリアベルはふるふると首を横に振った。



「あなた様がたとえどのようなお姿をされていても関係ありませんわ。わたくしでいいとおっしゃってくださった。それ以上に幸せなことはございません」


「君に不利益をもたらすかもしれなくても?」


「……それでも、わたくしでよいとおっしゃってくださるのなら」


「そうか。それほどまでに――いや、僕の目に狂いはなかった。マリアベル、君を僕の妻に迎えたい。どうか、よろしく頼む」



 青年はマリアベルの手を取り、花が綻ぶような笑みを見せた。

 自分との婚約でこれほど幸せそうな顔を見せてくださるなんて。嬉しさのあまり泣きだしそうになりながら、彼女は青年の手を握り返した。


 後ろからクローディアの「おめでとうございます、お姉さま!」という声が聞こえる。嘲笑の混じった声色であるのに、なぜか本気で祝われている気がするから不思議だ。



「頷いてもらえて助かったよ。無理やり攫わずにすんだ」


「それほどまでに?」


「多少強引な方が魅力的だろう? なんてね。では、さっそく手続きに入ろう。ああ、そうだ。できれば僕の屋敷で一緒に暮らしてほしいのだが、構わないか?」


「もちろんでございます。準備はいつまでに」


「今日だ」


「今日!?」



 あまりの性急さに驚いてしまう。最低でも一週間はいただけるものだと思っていた。

 マリアベルの私物は数えるほどしかなく、今すぐ準備をしろと言われれば出来ない話ではないが、なぜそこまで急ぐのだろう。

 不安そうに瞳をゆらめかせながら、彼を仰ぎ見る。



「手間取るほどの私物は持ち合わせておりませんので、急げと言われればおっしゃる通りにいたしますが……」


「そんな目をするな。君を誑かそうなどとは思っていないから。婚約を申し込むに至った経緯は追々説明する。中々込み合った話でな。落ち着いて話せる場所の方がいい。とりあえず今は――そうだな。目に余ったので早々に連れ帰りたくなった、とだけ伝えておこう」


「目に余った?」


「自覚がないのか? ……そうか。いや、まぁ、君の不安も尤もだ。即時対応できるものならば今ここで応えよう。何かあるか?」



 彼なりにマリアベルの不安を払拭しようとしてくれているのだろう。優しい人だ。きっと誑かすつもりはない、というのも本当だろう。

 ならば――聞きたいことは山のようにあるが――今必要としている情報は一つ。

 マリアベルは彼の瞳をじっと見つめた。



「でしたら、一つ。大事なことをお聞きしておりませんわ」


「大事なこと? ああ、なるほど。確かに形式は大事だな」


「形式?」



 ――お名前を尋ねようとしたのだけれど。


 不思議そうに首をかしげるマリアベルに対し、青年は跪いて手の甲に口付けてきた。



「愛しているよ、マリアベル。結婚しよう」



 強張った表情。一切の感情が含まれていない声色。なんて嘘をつくのが下手な人なのだろう。

 マリアベルは思わず吹き出してしまった。



「ふふっ、さすがにそれは……少々……うふふっ」


「嘘くさかったか?」


「ええ」


「出会ってまだ一日も経っていないからな。嘘は下手なんだ。すまない」


「いいえ、そうではなくて。ふふ、申し訳ございません。お名前を」


「え?」


「お名前をお伺いしていなかったので。何とお呼びすれば良いでしょう?」



 彼は目をぱちぱちと瞬かせた後、おもむろに立ち上がった。

 咳払いを一つ零し、少しだけ視線を彷徨わせる。心なしか恥ずかしそうな表情だ。



「そういえば君にはまだ名乗っていなかったな。失礼した。僕はオズワルド・エルズワース。自分で言うのもなんだが、魔導具界隈では少々名の知れた男だ。特許やら何やらで金だけはあるので不自由はさせない。安心してくれ」


「お、おず……え、える……え?」



 ――聞き間違い、ですわよね……?


 頭が真っ白になる。

 魔導具界隈で有名なオズワルド・エルズワースと言えば一人しかいない。マリアベルが敬愛する新域魔導具の祖。ただ一人。



「オズワルド・エルズワース、だ」



 ぐい、と顔を近づけてくるオズワルド。

 聞き取れていないと思ったのか、今度は一文字一文字ゆっくりと口に出してくれる。でも違う。そうではない。そういうことではないのだ。

 マリアベルは思わず彼の傍から飛び退いた。


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