第9話 慌てんぼうの殺人犯

 目が覚めると、足元に仰向けになった死体が転がっていた。

 何故死体か判ったかというと、胸に深々とナイフが刺さっていたからだ。

 顔にはシーツがかかっていたが、かろうじてそれが男性であることは判った。

 ナイフはまっすぐ胸に突き刺さっていた。血はあまり流れていない。

 もしかしたら、玩具かもしれないと思い、柄を動かそうとしたが、柄と刃は完全に男の胸に呑まれており、ピクリとも動かなかった。顔にかかったシーツも動いていない、どうみても息をしていないのは明らかだ。

 全く記憶になかった。酒を飲んで家に帰ったまでは覚えている。その後の記憶が無いのだ。

 そそっかしい私の事だ、部屋を間違えているのではないかと考えたが、ここは間違いなく一人暮らしの自分の部屋。そして部屋には自分の他は死体しか存在しなかった。

 夏。暑いはずなのに汗は出ない。まるで氷の中にいるような気分だ。

 指をゆっくりと動かす。それまで硬直していた私の体は次第に緊張がほどけたのか柔らかくなってきた。

 先ずは落ち着こうと思い水を飲む事にした。ふらふらとした足取りで台所に向う。

 直接蛇口から飲もうと思ったが、思うように蛇口をあけられない。仕方が無いので仏前に備えてある水を飲んだ。温かったが、無いよりマシだった。

 「どうしよう大変な事になった」

 うめくように呟く。上手く発声できたか解からない。水を飲んだばかりなのに喉はからからだった。

 これからどうしたものか──。警察に連絡するべきか。だが、この状況で死体と共に寝ていたのが自分だと解かると、容疑者は間違いなく自分になる。

 部屋をもう一度見る。荒れている形跡は無い。乱闘の末、刺してしまったという線は無さそうだ。

 殺意のある一突き──。そんなフレーズが頭をよぎった。事故では済みそうにない。

 「しまった。ナイフの柄を触ってしまった」

 口に出してぎょっとする。そう、私は確かにナイフの柄に触れてしまったのだ。そそっかしいのもここまで来ると致命的だった。指紋が付いてしまったのだ。私以外の指紋が出てこなければ、これで決め手となってしまう。触り方はどうか。順手だったか逆手だったかも覚えていない。だが、べったりと指紋が付いている事は明らかだ。

 指紋をふき取ろう。そう思って手ぬぐいを探したが、途中でやめた。拭き残しが有ったり、特殊な方法でDNAなどを採取されたらかなわない。これで警察に連絡するという線は消えた。

 死体を隠す──。こうなったらそれしかない。

 何処か山にでも埋めたいところだが、車は持っていない。死体を担いだまま歩くわけにはいかなかった。

 ばらばらに刻んでトイレから流すのはどうだろうか。家の中で処理する事ができるし、家から運ばないで済む。しかし、これにも問題がある。死体を刻むのには道具がいる。包丁でことが足りるとは思えないし、切れば血が出るのだ。その大量の血を跡も残さずに綺麗に処理できるとも思えない。そもそも、トイレに流している途中で、もし詰まってしまったら一巻の終わりだ。

 そんなことを考えていると、何処からともなく風が吹いた。

 風が吹いた拍子に男の顔にかかったシーツがめくれ、顔があらわになる。その顔をみた時、今までの悩みが杞憂だったことに気付く。

 シーツの中の男の顔は、何度も鏡でみた顔。そして自分のそそっかしさが死んでも治らなかった事を恥じた。

 つまるところ、私は自分の死体の前で右往左往していたのだ。

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