第27話 遅刻の理由
「お前が寝坊で遅刻するなんて、マジで天変地異級だろ。本当は何で遅れたんだよ? 白状しやがれ」
「ホントに寝坊だって」
「もし本当なら、音羽くん、疲れがたまってるんじゃない?」
上西が心配そうに僕を見つめる。そんな目で見られても、本当のことなんだから仕方ない。
ガチで本当の寝坊だ。ただしその責任は僕にはない。
美術室のポスターをにんまり眺めている幽霊女を横目で睨みながら思う。
今朝の寝坊に起因する遅刻の原因の全てはこいつのせいだ。
僕は朝いつも定刻に目覚まし時計をセットしているのだけど、今朝に限ってなぜかアラームが働かなかった。故障かなんかだと思うけど、それだけなら運が悪いだけで済んだ。
朝、目が覚めると体が動かなかった。意識はあるのに、全身が麻痺したように指の先すらぴくりとも動かない。動かせない。この感覚には覚えがある……りんごの金縛りだ。
以前にも彼女は『あ、縛っちゃってたか~』と言ってにへらっとした笑みとともに金縛りを仕掛けてきたことがある。普段はおよそ幽霊っぽくない彼女だが、時折幽霊らしさを
『――ん! 翔くん! 起きてください。遅れちゃいますよ~っ!』
りんごの声ではっと目を覚ますと、全身が鉛のように固くなって動かない。
僕は夢を見ていたのか……ひどく
「りんご……いい加減に解いてくれない、金縛り」
すると、りんごはきょとんとした顔でつぶやく。
『え? わたし、縛ってませんよ~。翔くん、普通にお話できてるじゃないですか。疲れすぎですよ、きっと。昨日も遅くまで勉強してたみたいだし』
「ホントに……?」
そう言われると確かに金縛りにしては普通に口が動く。
どうやらりんごの言う通り、疲れが溜まっているらしい。でも、ちょっとは無理して勉強しないと。今の成績で北城高校受けるって考えたら、遊んでる余裕はないし。
『翔くんを起こすためにちょっと縛っちゃいましたけど。もしかして強かったです?』
「やっぱり金縛り仕掛けてじゃないかっ!?」
いくら起こすためとはいえ、人に金縛りを仕掛けるのは勘弁してほしい。
『じゃあヒヤッとするやつの方が良かったですか?』
「どっちもダメ!」
ふぅ、と小さくため息をついてから、のっそりと体を起こす。りんごとくだらない問答してる場合じゃない。さっさと支度して学校行かないとな……そう思って部屋の時計を見た瞬間、僕は思考が止まって、全身の血の気が引いていく。八時……? いや、全力で急げば間に合う……ギリギリか……? なんで目覚まし鳴らないんだ? まさか……!
「りんご、勝手に目覚まし止めたり――」
『そんなことしません! わたし、ずっと起こそうとしてました! それより、早くしないと遅れちゃいますよ!』
そうだよな……いくらりんごでもそんなバカなことするはずない。彼女に何の得もないし。僕は首を振って意識を無理矢理前に進める。余計なことを考えてる時間はないんだ。
身支度をそこここに荷物を持って居間へ向かう。母さんが僕を見てびっくりした顔で言った。
「翔、あなた今日、学校休みだったんじゃないの?」
「寝坊! ごめんなさい。朝ごはん食べてる時間ないんで、もう行きます!」
母さんは僕が起きてこないものだから、学校が休みだと思いこんでいたらしい。
もっと色々説明しなきゃいけないんだろうけど、今はそんな暇はない。
玄関で靴を履いて出ようとしたとき、母さんが封筒を持って慌てて走ってきた。
「三者面談の日程希望。忘れずに先生に出すのよ」
「わかりました。いってきます」
「いってらっしゃい。気をつけるのよ~」
家を出て全力で走っていると、学校の方から予鈴の音が聞こえてきた。
あと五分しかない!
っとに、なんで僕は寝坊なんかしたんだ。今日の寝坊は解せないことが多いけど、
今はとにかく間に合うよう走るしかない! りんごは僕の背中におぶさりながら『フレー! フレー! がんばれ、翔くん!』などと応援してくれている。
結局、教室に着いたのは朝のホームルームも終わりに差し掛かる頃だった。
担任の堀口先生やクラスの皆が、珍しく遅れてきた僕に色々言っていたけど、息がすっかり上がっている状態で、何言っているのか全然わからなかった。杉野のやつが目を見開いて驚いていたのだけはわかったけど。
机に座って鞄にしまっていた進路希望調査票を出す。第一志望には北城高校と書いてある。第二、第三志望の欄には学力で同じくらいの高校を書いた。滑り止めってやつだ。りんごは何も言わず、進路希望調査票をじっと見つめていた。何も言ってこないのが、気を遣われているみたいで胸がもやもやする。
ホームルームが終わってから堀口に進路希望と、母さんに渡された三者面談の日程希望を持っていこうとすると、りんごが僕の袖を掴んで言う。
『翔くん、先生には後で渡せばいいですよ。一時間目、体育でしょ。みんなもう更衣室に行っちゃいましたよ?』
そういえば今日は一時間目から体育だった。ま、休み時間にでも提出すればいいか。今日の体育って確か、持久走だよな……朝から走りっぱなしだよ……。
僕は提出書類の入った封筒を机にしまい、体育着を持って更衣室へ向かった。
――などという出来事があったのだけど、りんごの金縛りの件とかもあるし、二人に全部そのまま伝えるわけにもいかない。それで結局…………。
「昨日、帰ったらそのまま寝ちゃってさ。変な時間に寝ちゃったから夜眠れなくて、寝不足かな」
苦し紛れの誤魔化しだったが、人の良い二人はあっさり受け入れてくれた。
「……まあ、そういうことにしとくけどよ。あんま無理すんなよ」
「……言われてみると、なんとなく顔色悪いもんね」
「僕の顔色が悪いのはたぶん、朝から走ることばっかりだったからかも。ほら、慣れないことすると体に良くないって言うだろ?」
「だよな~! 朝の体育で今日の体力持ってかれたわ~」
「二組はまだ持久走やってるんだね。私のクラスはもう終わってるよ」
「上西はきつくなかったの?」
すると、上西は遠い目をして菩薩のような口調でつぶやいた。
「吐いたわ」
なんだかいたたまれなくなって、僕と杉野は話題を変えることにした。
「あのさ、テーマの小麦畑なんだけど、具体的なモチーフってあの映画だけなのか?」
杉野が卒業制作のテーマとして掲げた『小麦畑の少女』。背景には黄金の麦畑が風に揺られる荘厳な景色が広がっている……のだけど、僕らの周りには一面に広がる小麦畑なんてないし、背景画を描くにあたってイメージのとっかかりが欲しいと思っていた。
「そう言われてもな……俺も映画で見ただけだし、撮影地がどこかもわかんねえ。がっつり調べりゃわかるかもしれないけど、何しろ結構古い映画だからなぁ……」
そっか……テーマを提案した杉野だったら、元ネタじゃないけど、何か参考になるものでもあるかなと思ったけど、仕方ない。今度、図書館で使えそうな写真集でも借りてこよう。
その時、突然美術室のドアがガラッと開いて、三人ともビクッと驚く。
やって来たのは三条先生だ。駆け足で来たらしく、前髪が少し乱れていた。
「音羽、いるか?」
「なんですか先生、そんなに慌てて」
「まだ帰ってなくて良かった。堀口先生が探してた。大事なプリントを渡しそびれたらしい。早く職員室へ行ってこい」
「わかりました」
「それから杉野、上西。悪いが急な会議が入ってしまって、今日の作業は中止だ。すまんな」
三人とも、あんまり長居しないで帰れよ、と告げて、三条先生は戻っていった。どうやらよほど急な会議らしい。
杉野は勉強道具をそそくさと片付けながら、ぶっきらぼうにつぶやいた。
「だってよ。今日は解散だな。あ~あ、残念だな。俺はもっと勉強しようと思ってたのに」
「これほど嘘ってはっきりわかる嘘もないよね」
「そうだね。僕は職員室寄らないといけないから、二人は先帰ってて」
「あ~あ、上西とデートか……」
「いい加減、ぶっとばすよ」
「すみません」
険しい顔で微笑ましいやり取りをしている二人を尻目に、僕も荷物を片付けて職員室へ向かった。
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