短編小説集(ノベルバー2021参加作品)

三葉さけ

お題:鍵 ― 鍵を開けて戻る

11/1 お題:鍵



 誰かの物語、その不幸、悲しみ、絶望に涙を流した。

 乗り越えた先の幸福でページを閉じ、程よい疲れと心地よい余韻に浸る静かな部屋にアラームが響いた。

 子供を迎えに行く時間だと伝える電子音を止める。カバンにスマホを入れ、キーケースを握って家を出た。朝よりもさっぱりした気分で車を発進させる。


 涙を流すことが必要だった。

 泣きそうなだけで泣けない日々を送る私には、わかりやすく泣ける悲しみが必要だった。私と少しも関係ない彼らの、傷付き絶望する姿が必要だった。

 一つも解決しない、解決もできないモノたちを抱え続ける代わりに、私ではない誰かのために流す涙が。


 子供を迎え、買い物を済ませて車に乗った。日常の荷物を背負って帰る。怒りと苦しみを内包する安らぎ、モザイクの我が家へ。


 鍵を開け、その内へ踏み込む。そしてまた求めるのだろう、誰かの物語を。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る