下準備転生~下準備チートは全てを駆逐する~

@Schuld3157

帝国暦733年 夏 邂逅

 壁で区切りを造り、部屋という箱の形に空間を切り取る意味が嫌という程分かるような部屋であった。


 その空間を作る者の技量、作らせた者の財力、そしている者の権力と権威を来客に知らしめ、如何なる目的の場であるかを分からせるために部屋は空間として独立する。


 貧しき者には相応に質素な場が、食事を作るにはそれに相応しき設備が、そして貴人が客を迎え入れるには威圧的でさえ感じるほどに豪勢な場が。


 この場は正に、身分ある者が待ち受けていると理解させるに十分すぎる豪奢さに満ちあふれていた。


 毛足の長い絨毯は自動化された機械織り技術が存在しない時代には財力の象徴とされており、30畳を優に超える広さの応接間に誂えた巨大な絨毯は館の主が所有する膨大な富を来客に見せつける。


 調度も素晴らしい。巻き金コイルが入った詰め物たっぷりの寝椅子は手触りの良い本繻子サテンの覆いが座面のみならず背もたれにも行き渡り、一枚板のテーブルは継ぎ目のない木目からして大いなる古木から切り出した物に相違ない。


 また、部屋の装飾も贅をこらした高価な仕立てであった。全面に壁紙を貼る余裕がある家は貴種にも少なく、壮麗な模様が金箔で描かれたものとなれば尚のこと。更に午後のうららかな陽光を部屋に通す窓には、高度な技術がなければ作ることのできない板硝子が惜しげもなく使われていた。


 専ら木枠に布の覆いをかけるか、蝶番で上に開くことのできる板だけが備わっている庶民とは大きな違いだ。製造法の発展により、ここ百年で透明度が上がって板硝子も安価になったとはいえ、ここまで不純物が少なく大きな板硝子を全ての窓に張り巡らせるには如何程の予算が必要になったであろうか。


 贅を凝らした部屋は、来客を持て成すと言うよりも部屋の持ち主の格を客に叩き着ける武器の如くある。


 しかして、その部屋に待ち受けていた者は、ともすれば奢侈で悪趣味とさえとられかねぬ部屋に全く劣らぬ威容の少年であった。


 「やぁ、よくぞ参った。今日という日をどれだけ楽しみにしていたか!」


 溌剌と、そして朗々と響く声は年の割に低く太いが、鼓膜を通して脳に染み入るような深みを持つ。両手を広げる年齢に不釣り合いで大仰な仕草は、されど長く伸びた手足のせいで外連味こそあれど滑稽ではない。


 何より目を惹くのは穏やかな弧を描いて笑みを作る切れ長の瞳。灰色の虹彩は叡智を宿して絢爛な光を放ち、緩く束ねた色素の薄い白とも金ともつかぬ髪と相まって得もいえぬ神秘を醸す。


 年の頃が10を僅かに超えたばかりとは思えぬ美事な立ち振る舞いは、学んだ礼節以上に内に秘めた精神の高尚さを香らせる。古式ゆかしい体の線を隠すチュニカとトガの装いは霊猿人の成人が纏う装束なれど、彼の内から出る特異さと精神の熟達によって、着られているようには感じられなかった。


 「さぁ、遠慮なく座ってくれ。直ぐに酒肴を用意させよう」


 「忝う御座います、若君」


 一方で迎えられた側もまた、出迎えた少年に負けぬ気品の持ち主である。


 鉄洞人特有の金属光沢を放つ髪は今正に溶け落ちようとしている熔鉄もかくやであり、大粒の石榴石を研磨したかのような緋色の瞳も髪に劣らぬ豪壮な光を放つ。


 顔付きこそ鉄洞人の成人とされる30歳より10も若いことと、元より霊猿人の感覚では幼いと見える造型も相まって童女のようだが、余裕のある表情のおかげで若さは感じられても幼さを感じ取る者はいるまい。


 職人風の厚手の襯衣シャツとだぶついた脚絆ズボンから地下の出であることは明白であるが、壮麗な夜会服で身を飾れば世の男性が彼女を放っておかないことは想像に難くない。特にこの多種族国家として成立し、多くの種を皇帝として玉座に座らせてきた国においては、種族の差など髪や肌の色と大差のない問題である。


 年若い貴人の命によって多くの食事が運び込まれた。古い霊猿人家系が建国黎明期より続ける文化、机上に多くの食事を並べて寝椅子を挟んで囲むという歓待の図式が瞬く間に整えられる。


 水で割られた葡萄酒は、酒精による消毒以上に蜂蜜なども加えられて舌を楽しませるためだけの工夫が凝らされ、焼き上がったばかりの肉は何かのついでではなく食べることのみを目的に肥育された家畜特有の油が食欲を誘う。パンもまた上等の白く柔らかなもので、付け合わせの果実の瑞々しさと同じく今日この時のために用意されたのだとよく分かった。


 「大義であった、もう下がってよいぞ」


 「はっ、しかし若……」


 「私が良いというのだ、誰にも其方らを叱らせはせん、安心して下がって休め。後の差配は自分でするさ」


 酒宴の用意を終えた従僕を追い返し、人払いを済ませると部屋には二人……ではなく三人だけが残った。


 もう一人は、今まで口も開かずに男性の後ろに彫像の如く佇んでいた。肩幅に足を開いて手を後ろ手に組む彼女はひたすらに大きく、彫像のようという形容が比喩とは思えぬほどだ。


 その身の丈は、とある世界の人間に馴染みがある寸法でいえば2mと40cm少し。外見的な特徴は霊猿人と似ているが、彼等の骨格では遺伝的な病がなければ至らぬ高みを平均とする彼等は、低地巨人と呼ばれる人類であり、巨人種族の中では最も小柄な種族だ。


 身に纏うのは軍属らしいダブルボタンの簡素な上衣と動きやすさを重視した細身の脚絆。腰元には人間の寸法では長剣に近しい短刀がぶら下がっており、長躯と相まって抑止に十分過ぎる威を放つ。


 しかし、美事な体躯の上には不釣り合いに愛らしい顔が乗っかっていた。


 面長の気品溢れる顔付きに映える、憂いを帯びた伏し目がちな黒に近い褐色の瞳は、深窓にて沈む夕日を眺めているのが似合いの儚さ。淑やかに伸ばしたぬばたまの黒髪は、艶やかさに反して雑に括られており、婦女に流行している親和色のリボンを編み込むことすらしない。


 頬紅もなく白粉を振ることもせず、装身具らしい装身具は首元より覗く細い鎖が服の中に聖印でも吊しているのだろうと連想させる程度。


 実に勿体ないという評価が似合いの護衛は、主人と客のやりとりを無言で見下ろしていた。


 従者達がややあって完全に引き払った後、灰目の男が無言でドアに目をやれば、緋目の女は心得たと頷いて耳を寄せに行く。


 まるで生まれた時から通じ合った子供が悪戯の算段をするような所作なれど、これはあながち間違いとはいえない。


 この二人が公式には初対面であるとしても。


 しばらく耳を澄ませて納得がいったのか、女は右手を掲げて下座へと戻ってきた。


 するとだ、今まで見栄えの良い彫像もかくやの佇まいで主人の前に立っていた護衛が大股で空いた寝椅子に歩み寄って、剰え遠慮なく腰を降ろし――その重量に抗議の悲鳴が上がる――酒杯を手に取ったではないか。


 主人はそれを咎めるでもなく当然のことと受け取り、自身も酒杯を取った。


 そして矮躯の女が酒杯を手にするのを待つと、やがて微笑んで音頭を取った。


 「A・B・Cトリオの再結成を祝して……乾杯!」


 「「乾杯!」」


 前のめりに突き出された酒杯が打ち合わされ、杯を乾すと字の通りに中身が呷られた。喉が上下し、子供でも飲めるよう薄くされた酒精が一息に胃の腑へ落ちて行く。


 やがて、示し合わせたように呑み乾した彼等は、とてもではないが余人の前で晒すことのできぬ満足げな吐息を吐いて笑い合った。


 「ぶっははは! イケメン! 生意気にもイケメンになっとる! でも悪党クセぇ!! あっははは! お前、後半で絶対裏切るヤツだろ!!」


 「あっははは! ちんちくりんだ! すっげぇちんちくりん! 何それ! 予算のために身長を質入れして来たんか!?」


 「じゃあその利子がこっちに来た形ね! 出資法違反に問われたくないから幾らか返金しようかしら!」


 全員が全員、本人を知る者が見れば「誰?」と口にするはっちゃけっぷりであった。若き貴人は臆面もなく腹を抱えて両足をバタつかせ、鉄洞人の女はよそ行きの口調をかなぐり捨てて身分差など知ったことかとばかりに指を差し、低地巨人の護衛も無遠慮に歯を見せて膝を打ちながら大いに笑っている。


 さて、この三人のことを語ろう。


 若き貴人の名はアウルス・アルトリウス・カエサル・オデイシウス。贈り名などがあるため、正式名は更に10ほどつらつら続くが、必要最低限だけを列挙するとこうなる。


 彼は“帝国”の霊猿人貴族家の名門、アルトリウス氏族のカエサル家本流の次男として生を受けた若き俊英である。眉目秀麗にして迦陵頻伽かりょうびんが、齢7つの頃には大勢の家庭教師に「己にできることはない」と席を辞させた天才。


 更には三つ年上の兄を盛り立て家を発展させると、いじらしい目標を隠しもしない孝行息子として社交界にて名高い神童だ。


 熔鉄の髪も麗しい鉄洞人はベリル・グィンソン・デヴォン。デヴォン鉱山より出でし鉄洞人の有力氏族、その名高き当代親方グウィンの子ベリルは、成人前にして工房の出入りを許され、近々特例として未成年にも拘わらず工房に籍を与えられることが有力視される工作の寵児である。


 歩くが速いか造形用の短刀を手に取る鉄洞人の中の鉄洞人は、誰も見たことのない玩具を作って親に渡し、貴族達の歓心を一身に集めた生まれながらの職人として揺るがぬ名声を勝ち得ている。


 軸を掌で回せば空に飛んでいく“竜中の羽たけとんぼ”は簡素ながら飽きが来ないために小さな子供が今もそこかしこでブンブンと飛ばしているし、巻き貝にも似た“喧嘩独楽”は下町のみならず貴種も屋内でできる遊びとして受け入れており、強い独楽を求めて職人に金貨を投げる酔狂人さえ現れるほど。


 此度もまた、新しい玩具を作りたいが強い後援がなければ難しいという進言を父が受け入れて後援者を探し始め、ならば我らがと手を上げたカエサル家から招かれたという望外の扱いを受けている。


 そして、次男に死ぬほど甘い母が、そろそろアウルスにも個人事業を与えてあげたいと夫に口を聞いて今の席が実現した。


 最後に黒髪も麗しい護衛の低地巨人は、カリス・イラクリオン・アルトヴァレト。イラクリオンのカリスはアルトリウス家の譜代家臣であり、代々続く軍属の一門にして帝都鎮護を務める第Ⅰ軍団の重鎮である父の下に生まれ落ちた。


 低地巨人は性の別なく軍人となる文化を持つがため、彼女もまた軍人となるべく教育を受けてきたが、また同時にアウルスの乳兄妹でもあった。


 低地巨人はその屈強な肉体と大きな牛と真正面から組み合える膂力から、一人で十人の戦士に劣らぬ働きをするとして知られるため護衛としても珍重され、奇しくも時期があったため母親がアウルスの乳母に選ばれたのだ。


 守るべき主人と共に育った低地巨人の美少女はすくすくと育ち、年若いが成長の早い巨人の習性に従って、今や押しも押されぬ名家のお坊ちゃまの小間使い兼専属護衛の座に納まっていた。将来は彼が個人的に抱える私兵の頭目となることも期待されつつ。


 彼女の地位に親の七光りや偶然、という誹りを向ける者は絶えて久しい。幼いながらに徒手では訓練でも喧嘩でも誰も彼女に土を奢ってやることが適わず、机上での演習でさえ現役の将官を手玉に取り見事な仮想の虐殺を繰り広げたとあれば、罵言を口にする方が空しくなろう。


 各々煌びやかな経歴の持ち主であるが、この三人には誰も知らない共通点があった。


 それは彼等が前世より硬い友誼を結んだ者達であると同時……とある目的を持って、異なる世界から上位存在によって送り込まれた者達であるということ。


 「ええと、何年ぶり? 俺の感覚だと20年ぶりなんだけど」


 ベリルは酒杯に酒を継ぎ足しつつ、内心で良いもん食ってんなコイツら、俺もこっちの生まれがよかったなと俗なことを考える。


 「誤差があるからな。私は11年だよ」


 「右に同じ」


 酒杯を置いて甘い果実に手を伸ばすアウルスと、その清廉な見た目を敢えて汚しでもしたいのか遠慮無く鳥の手羽を手づかみで豪快に食べるカリス。同い年である彼等は誤差にして10年程遅くこの世界に産まれていた。


 「そっか、まぁまだ見た目ガキだし、俺もおっかしいなぁと思ったんだよ。物心つくと同時に調べても、それっぽいヤツいねーんだもん」


 「見た目のガキさではどっこいでは? まぁ、私はあれだ、前もって誤差があるかもと言われていたから特になんとも思わなかったから、のんびり私の存在を報せるような話を流して待っていただけだ」


 「小職は……おっと、あたしも同じね。まぁ、誤差が10年もあったのは驚いたけれど、種族差も考えてたら丁度いいんじゃないかしら。鉄洞人って長生きだし、低地巨人は早熟で、霊猿人は短命ってね」


 応、三百年は軽く生きるぞ、と言ってベリルは再び豪快に酒を乾した。彼女の種は揃って大酒飲みであり、例に漏れず酒への耐性は強かったからだ。


 「いいなぁ、お前らみんな長生きで……霊猿人はホモ・サピエンスと大差ないのに」


 「いいんじゃなくって? 無駄に長生きするのもしんどいでしょ。生に飽いて枯れるように呆けていったり、世捨て人になるより建設的じゃないかしら」


 「おうおう、巨人様は物理的のみならず懐が広くいらっしゃる。これだから実質寿命がよく分からないとか言われる種族は……」


 「巨人といっても病気はするし死ぬ時は死ぬから、それこそオマケみたいなものよ。戦闘狂で率先して死にに行く連中が多いとなれば、長い寿命もあってなきようなもんよ」


 寿命の話をして思い出すことがあったのか、それぞれ手に持っていた物を置いて嘆息した。


 次は途中で死ななきゃいいんだけどねと…………。


【補記修正 2021/12/1】

 誤字・脱字・及び表現に修正。


 現在更新は不定期予定ですが、実施するとすれば金曜日19:00頃となります。

 更新予告、進捗報告などはTwitter(ID:@schuld3157)にて行う予定ですので、よろしければフォローなどお願いいたします。

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