惚れ薬を使用してみました

 惚れ薬を吹きかけた後、挙動不審だった七条の態度が急激に落ち着き始めた。


 頬に朱が差し込んでおり、恋する乙女さながらの表情で俺を見つめている。


「──……好き。大好き」


 俺がだんまりを決め込んでいると、彼女は脳内が蕩けるような甘い声で好意を告げてきた。



 もし、これが俺の手元にある惚れ薬による効果なのであれば、世界がざわめく大事件になるだろう。──が、おそらく世界に衝撃が走ることはない。


 それを今から証明したいと思う。


「こ、これ……ホントに効くのか」

「効くってなに? どうかしたの?」

「あ、いや……なんでもねえよ」


 そう言って、俺は右手に持った香水をポケットに忍ばせる。

 もちろん、本当に効いているとは思っていない。七条を欺くための小芝居だ。


 さて、これから俺は七条の演技を看破したいと思う。どうやってするか? そんなのは極めて単純だ。


 突然、熱々のおでんを顔に投げつけられて演技を続けられる奴がいないように。

 彼女が予期していないことをすればいいだけのこと。もちろん、七条には実害が出ないやり方で。


「古川。あたし、古川のこと好き、だよ」

「そ、そうですか……幸甚の至りであります」


 しかし、よく平然と「好き」とか言えるな。

 もしかして、この惚れ薬ホントに効果があったんじゃないか? 


 いや、そんな訳はない。ないはずだ。

 俺の憶測が正しければ、七条が演じているはずだ。

 いや、演じているって言い方はアレだな。七条が素直に好意を伝えてくれているだけだろう。


「古川は、あたしのことどう思ってるの?」

「え?」


 俺があたふたしている間に、七条は俺に顔を近づけてきた。


 恍惚とした表情で、そう問いかけてくる。


 しかし、これはチャンスだ。ここで仕掛ける。


 俺は、荒れる心臓をなだめるように吐息を漏らす。

 そして、出来る限り気持ちを落ち着かせてから、歯の浮くような台詞を吐いたのだった。



「──愛してるよ。世界で一番」



 うおおおおおおおおああお死にてえええええええええええ!? 


 俺の羞恥ゲージが限界突破して、どうにかなりそうになる。全身むずかゆくて仕方ない。

 体温が軽く四十度を超えそうになる中、七条からぼわっと何かが爆発したような擬音が聞こえる。


 見れば、頭から湯気が立ち上っており、黒目が泳ぎまくっていた。


「し、七条? 大丈夫か?」

「え、う、うん大丈夫大丈夫。ちょっとビックリしちゃっただけだから」

「ならいいけど……つーかこの部屋暑くないか?」

「そうだね。窓開けるね」


 そう言って、七条は腰を上げると窓を全開にする。

 涼しい外気が入ってくるが、それでもまだ俺の身体はマグマのように熱かった。だいぶマシにはなったけど。


 七条は、窓を開けた後、元の位置に……は戻らずに、俺の右隣に座る。


 遠慮がちに肩をくっつけてきた。

 電流が走ったみたいに、ピクッとする俺。


「し、七条さん……? 距離近くないっすか」

「だめ?」


 上目遣いでそう訴えてくる七条。俺の頬に赤いものが注がれる。


「いや、ご……ご自由に……」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 七条が更に俺との距離を詰めてくる。

 べったりと俺の右腕と彼女の左腕が密着。俺の右手の上に、七条の左手が覆いかぶさった。


 シャンプーの香りだろうか。爽やかな柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。


 男の身体とは違う、女の子の柔らかい肌の感触が服越しに伝わってきた。

 や、やばい。なんか頭がおかしくなりそうだ。


 ……あ、あれ? なんでこんなことになったんだっけ? 


 あーそうだ。


 俺が惚れ薬を使ったからだ。……いや、惚れ薬じゃなく香水だけど。


 しかし、この七条の変わり様。いくらなんでも凄すぎないか? 

 この香水、ホントに惚れ薬だったんじゃないのか? 


 再び、そんな疑心が芽生える。だが、今度はすぐに否定する気にはならなかった。


 どうしよう。


 もし、本当に惚れ薬なんだとしたら……。


「あのさ、七条……」

「なに?」

「これを俺に使ってもらってもいいか?」


 そう言って、俺は先程ポケットから香水を取り出す。


「……じ、自分で使ったらどうかな?」

「自分で使ったらダメなんだ。どうしても七条に使って欲しいんだけど」

「そ、そう言われても……」


 七条は、うろうろと視線を泳がし冷や汗を浮かべる。

 服越しに感じる彼女の体温がわずかに上昇した気がした。


「頼むよ。一思いにやってくれ」


 俺は、切腹前の侍ばりの覚悟を持って言う。


 この際だ。もうハッキリさせよう。

 彼女の演技を見抜くだとか、そんなまどろっこしいことをしていたら、多分その前に俺は羞恥で死んでしまう。


 ならば、いっそのこと香水を使ってもらうことにした。それが一番手っ取り早い。


 ……が、ここで一つ問題なのはこの香水が本当に惚れ薬だったパターンだ。そうすると、もう収集がつかなくなる。……まぁ、その時はその時か。


「うう……わ、わかったわよ」

「お、おう。どんと来い!」


 俺は胸を叩き、意気込む。七条は、控えめに俺から香水を受け取ると、発射口を俺に向けた。


「──も、もうどうにでもなれ!」


 おそらく、香水を使うにあたって絶対に言わないであろうセリフを吐きながら、七条は俺に香水を吹き掛けたのだった。

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