実習

「無理ばかり言う」

 秘書や大臣たちが去った首相官邸の執務室で彼は息を吐く。わずかな時期、野党にその席を譲ったことはあったし、風向きの悪い時期には党内の他派閥の長を矢面に立たせたこともあったが、この二重数年、この国のトップに立ってきたのは彼だった。

「お疲れですか」

 来客を送り出した秘書が茶を入れて戻ってきた。三世議員の息子で、かつ宗教組織から派遣されたきたこの男もいずれ議員として立つのだろう。

「O淵大臣のES菌が君のところのアマテラス学との連携を模索したいと相談されたよ」

「それは良いお考えです」

 秘書が目を輝かす。保守本流を支える集団はどんな相手であれ手を結んでおきたい、というところだろう。秘書はO淵議員が他派閥に尻尾を振りかけたときに鞭となる工作を任せたことがあった。

「国のためにより勤しんでくれよ」

「もちろんでございます」

 秘書は深々と頭を下げた。

 これはつまり、と秘書は頭を下げたまま考える。

 ――近いうちにESと共同で担う仕事を回してもらえるということだ。

 それはおそらく疫病絡みだろう、と推し量る。彼のアマテラスはネット工作を得意としていた。ESを貶める風評を流したこともあるがそんな風向きの変化は茶飯事だ。首相は、票や金銭、党内での発言力に益となれば誰とでも手を結べる人物なのだった。それが政治家の器というものなのだろう、と彼はさらに深く頭を下げ、部屋を出た。

 一人残った首相は遠ざかっていく秘書の背中を窓から眺め鼻を鳴らす。

 ――奇矯な連中だ。

 首相にとっては親子三代で関わりを持ってきたのが秘書の属する宗教団体で、祖父が日本国内での足がかりを与えて以来互いに利用してきていた。宗教と言っても形ばかりで、要は集団を動員できて資金源にもなるというだけだ。末端の信者を搾取しているという批判もあることは承知していたけれど、権力というのはまさしく搾取するためのものであると知っていた。現に彼が実現してきた政権の強化は民衆からも支持されているではないか。大衆は搾取されることを望んでいるのだ。

 首相がグラスを手にしていたその時、アマテラスなるその宗教に傾倒した家族のために破滅に至った男が一人、行動を起こそうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る