実習

 ぎりぎり、と骨が鳴る。

 一九九五年のことだ。気象衛星が東アジアを見下ろし、台風の発生をいち早く捉えられるようになってはいても未だ進路予想は曖昧なヒトの判断でしていた時代。ぎりぎりのタイミングで出航した東京発釧路行きのフェリーは荒れ始めた東京湾をのろのろと進み、房総半島で寄港し、バブル崩壊からまだ間もない時代にぎりぎりの生活――当時の観点では――をしているかに見える人々を乗せて北へ向かう。外洋に出てからは波もさらに高く、荒くなり、風も強く、索具やアンテナがぎりぎりびょうびょうと唸りを上げる。三十分ごとに手書きで更新される現在位置と台風情報の記された航路図はフェリーがじきに台風の暴風圏に捉えられてしまうことを予想させた。遅い船足では台風から逃れられないのだ。

 海がさらに荒れると重いぎりぎりという音が混ざりはじめる。船の底深くから響いてくるのは竜骨――骨となる構造材の軋みで、およそ日常では聞くことのない音だ。波がさらに高くなり、ラウンジから出られる側面のデッキは波とも風雨とも判別できない水流を被りはじめているのに、そこに出るためのドアは閉鎖もされない。手すりを握っていても水にさらわれてしまうだろう船上パニック映画のような状況であるのに。

 ぎりぎり、という不気味な竜骨の唸りは船首デッキが完全に波を被るようになってくると、同じように「ぎりぎり」と文字にしてみてもニュアンスが変わってくる。ききーき、ぎりぎりぎりぎり、がきん。鋼鉄の船が竜の鳴き声を発する。

 映画と違い不安を露わにするような乗客はいない。自衛官も行商の老婆も分解した自転車を持ち込んだ青年も、物珍しそうにはしてもおおむね平気な顔をしている。壁づたいに廊下を歩く人はよろめくのも楽しげだし、食堂で往復するグラスを前にしている人も同様だ。もちろん便器にすがりついて青い顔をしている人もいるけれど。

 そんな状況で私は最高に楽しい遊びを見つけてしまった。

 風呂だ。

 当時、外洋航路を走るフェリーには広々とした大風呂が備えられていた。窓はさほど大きくなかったもののそれなりに外を見ることができ、安全という観点からはかなりぎりぎりの揺れ方をしているだろう状況で湯に浸かり、湯船に揺られることができるのだ。

 傾斜が三十度を越えることもある中で、大きな浴槽に立つ波に揺られるのはとても楽しい。今では外洋航路のフェリーなどなくなってしまったし、豪華客船の類も正確な気象予報で嵐からはいち早く避難してしまう。軍艦でさえ、無用のリスクは好まず荒天を避けるだろう。今となっては得難い体験なのかもしれない。

 ぎりぎりと鳴く竜の悲鳴を聞きながら、ぎりぎりの安全を見極めつつ走る船の中で、小さな荒波にもてあそばれる。

 当時でさえ外洋フェリーはあまり良い選択ではなかった。制服の自衛官は仕事で任地へ向かっているだけだろうし、船旅を楽しむ乗り物としては乗客に開放された後部デッキのプールやサマーベッドのあるあたりはディーゼル排気の臭いで辟易となったし、一等船室のある区画でさえエンジンの響きは不快だった。しかも船足は遅い。車とともに移動できるくらいしかメリットはないだろう。

 ただ、この嵐の外洋フェリーという状況だけは他のどんな快適な旅でも味わえない。揺れを想定して仕切り板の仕込まれた湯船で、小豆のように洗われ揺れる体験も独特だ。これほどリスクの高い旅客船が運行されていたのもこの時期が最後だろう。

 今も思い出すぎりぎりという竜骨の軋み。ぎりぎりが許された最後の時代の悲鳴だったのかもしれない。

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