Side-A 三枝アリスは自分の話を語らない②


「……お疲れのようですね、お嬢様」


 しばらく車が走ったところで、運転席の爺からそんな風に声をかけられたので、アタシは正直に答えた。


「ええ、本当に疲れた。お父さんも、忙しいならわざわざ時間を作らなくてもいいのにね」


「それは、旦那様がお嬢様たちのことを大切に想っている証拠ですよ」


 爺は、波風の立たない返答でアタシの質問に答える。


 確かに、爺の言うことは間違っていないのだろう。


 それでも、アタシは家族が揃うあの食事の時間が、昔から嫌いだった。


「お父さんはそうなんだと思うよ。だけど……あの人はきっと違う」


 あの人……というのは、アタシの母のことだ。


「あの人にとって、あの時間は品評会なんだよ。自分が産んだ子供が、いかに優秀かってことを、お父さんに知ってもらう為のね」


 そう自虐的に言ってしまったあとに、こんなことを聞かされる爺の立場も大変だろうと、心の中で反省する。


 ――反省はするが、撤回はしない。


「……そんなことはありませんよ。奥様も、お嬢様が立派に育ってくれて嬉しいのでしょう」


 しかし、爺は母をフォローするように、そう告げる。


 他の人が言ったなら、アタシも反発するかもしれないけれど、爺に言われてしまうと不思議と飲み込んでしまう。


 それに、こんなことで言い争いになっても、不毛な戦いになるだけだ。


 そう思って、アタシは再び窓の外に視線を向ける。


 いつの間にか、街の景色は見覚えのある通りに入っていた。


 夜の街灯に照らされていて、雰囲気は少し違うけれど、唯一アタシがアタシらしく振る舞える場所がある通学路の道。


 アタシが通う、聖堂院学園までの道のりだ。



 明日から、アタシはまた、この道を歩いて学園に通う。



 そして、いつものように、あの部屋で先輩のことをからかって笑うことができる。



 今のアタシにはそんな時間があるのだと思うと、苛々していたはずの心の波が引いていく。



 そういえば、先輩の家も、学校の近くなんだっけ?


 先輩……今、何してるんだろ……。



「…………ん?」


 そんなことを考えながら、窓の外を見ていたアタシの目に、1人の女の子の姿が入ってくる。


「爺、車、停めて」


「……畏まりました」


 ほんの少しだけ間合いはあったものの、爺はすぐに言われた通りに車を停める。


 そして、アタシはそのまま自分でドアを開いて、走っていく女の子を呼び止めた。


葉子ようこ!」


 すると、一瞬、身体を振るわせてこちらに振り返った彼女だったが、アタシの顔をみて、すぐに安堵した表情へと変化する。


「アリスちゃん!?」


 どうやら、アタシがクラスメイトの三枝アリスだということは、すぐに分かってくれたようだ。


 しかし、驚きまでは取り除けなかったようで、再び彼女の顔には疑問の色が浮かび上がってくる。


 ああ、そういえば、今は制服ではなく、無駄に派手なロングドレス姿であることを思い出す。


 アタシの家のことは、クラスメイトの人たちには話していないから、アタシのことも単に珍しい髪の色をした女の子くらいの認識だったのだろう。


 わざわざ面倒な手間をかけて、家族関係を調べる人なんて、あの生真面目な風紀委員の先輩くらいだ。


「ごめんね、急に引き止めちゃったりして。でも、車から葉子の姿が見えたから、気になっちゃって」


「そ、そうなんだ……」


 そして、葉子はアタシの姿をじっと見つめながらも、特に服装についての指摘はしてこなかった。


 なので、これ幸いと思ったアタシは、葉子への質問を続ける。


「ねえ、葉子。アタシの勘違いだったらいいんだけどさ、なんか急いでなかった? それに、後ろのほうを気にしてたみたいだったし……」


「えっと、それは……」


「……もしかして、変な奴に追いかけられたりしてない?」


「!!」


 ふむ、この反応だと、どうやらアタシの心配は的中していたようだ。


 多分、普通の人だったら、アタシの推理が突拍子のないものだって思うかもしれない。


 だけど、アタシは昔からこの髪色のせいで人より目立ってしまうし、そのせいで変な人から声をかけられることだって多かった。


 まぁ、中学生ぐらいのときに勝手に夜中に歩き回ったりしてた自分にも悪い所があったのだけど。


 それはともかく、先ほどの葉子の行動が、アタシが知らない人から追いかけられていたときの様子と重なってしまったのだ。


「葉子、アタシが家まで送ってあげる。それに、変な奴がいるんだったら、そっちの対処もちゃんと……」


「ち、違うの……! いや、そうだったんだけど、違うというか……」


 しかし、葉子からは、どうも歯切れの悪い回答が返ってくる。


「でも、私……どうしたらいいか、分からなくて……!」


 すると、葉子はずっと我慢していたのか、肩を震わせて涙声になってしまう。


「葉子、大丈夫だよ。ゆっくりでいいから、話してみて」


 念のため、アタシは葉子の身体を覆い隠すようにして、子声で彼女に向かって話しかける。


 気づけば、爺も車から降りて、周りを警戒してくれていた。


「アリスちゃん……私ね……」


 だが、葉子から出てきた言葉は、アタシの想像を遥かに超えるものだった。


「助けてもらったの……鷹宮たかみや先輩に……」


「……えっ?」


 鷹宮……先輩?


 どうして今、あの人の名前が出てくるんだ?


 アタシは、そんな疑問がずっと頭に残ったまま、それでも葉子が話してくれた内容を、なんとか頭の中で整理していくのだった。


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