中(2/3)

「閉。」


 始祖鳥が完全に姿を現したタイミングでソフィーが言った。


 タツトは出現した生き物に魅入っていた。可愛らしい瞳がこちらを見ている。

 想像図では幾度となく見てきた憧れの存在であるが、こうして目の前で見る日が来るとは。


「ほ、本物なの?」


「本物だよ。」


「どうやて召喚したの?」


「召喚? そんな言葉よく知っているな。これは召喚術ではない。私が使っているのはネクロマンシーだ。」


「ネクロマンシー?」


「そうだ。死霊術とも言うが、私はこの言い方は好まない。ネクロマンシーと呼ぶのが好ましい。死んだ組織からそれが生きていた状態を再現・再生する技術だ。」


 タツトがポカンとしているのを見て、少し面白そうな顔をしながらソフィーは説明を続けた。


「一般にはあまり知られていないが、我々人間の中には、先天的に特殊な能力を使えるものがいる。どんな能力を持っているのは遺伝子を検査するとわかる。私はネクロマンシーと延命と治癒の能力を持っている。」


「治癒…? 森で僕のケガを治してくれたやつ?」


「そうだ。私の “治癒” は他人にしか使えず、自分には使えない。このように能力にはいくつか制約があることが多い。ネクロマンシーも顕著な制限がある能力の一つで、再生できる生き物の種類やそれが生存していた時代などが個人によって著しく異なっている。」


 タツトはその能力を頭で理解しようとしたが、難しそうだった。

 それ以外の能力は、何となく理解できそうな気がした。


「延命というのは?」


「“延命” は能力を持っている者ならほぼ持ち合わせている最も一般的な能力だ。その名のとおり、寿命を延ばすことができる。」


「ソフィーも延命しているの?」


「しているよ。私は今年でだいたい400歳前後になるはずだ。正確な年齢は忘れてしまった。」


「え…!!」


「“延命” を使うと、自分の望んだ年齢からほぼ歳を取らないように処置することができる。ただし、完全に止まるわけではないから、いずれ寿命は来るんだがね。まあ、他の生き物にしたら永遠と言っても差し支えないくらいは生きられるだろう。反対に、寿命を縮めることもできるし、自分の意思で命を終わらせることもできる。」


 ソフィーが重要な話をしているのは解っていたが、先ほど蘇らせた始祖鳥がギャーギャー鳴いたり、床に降りて走り回ったりしているので、全く集中できなかった。

 そんなタツトの様子に気が付いて、ソフィーが家の奥から、大きな鳥籠のようなものを持ってきた。


「これは前に飼っていたカラスのガーコが入っていた籠だ。」


 言いながら、ソフィーが指を鳴らすと、驚くべきことに始祖鳥が素直にその籠に入った。


「この子たちは私の言うことは何でも聞く。」


 驚いているタツトに向かって微笑みながらソフィーが言った。


「さて、どこまで話したかな…。そうだ。まあ、そういったわけで、私は見た目よりものすごいババアだし、恐竜をこの世に再生することができる。私が恐竜専門でお前は運がよかったぞ。これが、現存する生き物担当だったりすると、なるべくフレッシュな死骸が求められるから、家じゅう生き物の死体ばかりという家もある。私の元師匠がそうだったのだがね…。」


 ソフィーは少し苦い顔をした。ソフィーの元師匠とはいったいどんな人なのだろうか?

 彼女も迷い子だと言っていたが、その人に助けられたのだろうか?


 タツトはソフィーのことをもっと知りたいと思う一方で、この魔法のような特殊能力にも大変興味が湧いていた。

 それから、ガンフの存在だ。彼はいったい何なのだ?


「おい、ソフィー、そろそろ俺の説明をしてくれよ。」


 タツトの心を読んだのかどうなのか、ガンフが自分から話を切り出してくれた。


「ああ、そうだったな。すまない。ガンフは、アロサウルスに私の遺伝子が混入してしまって生まれたキメラだ。」


 アロサウルス…。かなり凶暴な奴だ…。


「ガンフを蘇らせた時、私はひどいケガを負っていてかなりの流血があった。ネクロマンシーを使う際に、一定量の遺伝子が混在すると、キメラになってしまうのだが、それを私の元師匠は教えてくれていなかった。それで、自分の身を守るために、かなり慌ててガンフを再生したら、私の血液が混ざって人間と恐竜の両方を持つ者が生まれてしまった。元にした化石がオスのものだったので、人間版のガンフも男になった。本来であれば、生きているもの、もしくはアクセス権のない生物は再現できないはずなんだが、自分自身だとできてしまう場合がある。」


 そのように説明されて、何故だかガンフは得意げな顔をしていた。


「ネクロマンサーに伝わる太古からの掟として、“人間の再現” は禁忌となっている。人間を蘇らせるのは忌み嫌われるんだ。私の場合は死体を使ったわけではないので微妙なところだが……学会の評価は “黒” だった。それで、本来なら処刑されるべきところだったが、私の元師匠が事故であることを何とか証明して、私はただの破門ですんだ。」


「破門…?」


「そう、術師たちには、それなりの組織があるんだ。我々は “学会” と呼んでいる。そこに所属していないと、大きな仕事はできない。私は破門されて、こんな人里離れたところで暮しているのだよ。まあ、丘の上に住む “良い” 魔女として、町の人たちの治療をして何とか生活はできているけど。」


「おかげで、俺もルルフも生き延びたのさ。」


 ガンフの感じからすると、破門されてよかったと思っている節がありそうだった。


「僕にも能力があるのかな?」


 タツトはここで暮らしていくにあたり、何か能力を使って役にたてたらと思い始めていた。


「興味あるか? 調べてみよう。」


 ソフィーはテーブルの上に無造作に置かれた裁縫道具から針を取ると、タツトに指を出させて、ブスっとそこに針を刺した。

 タツトはびっくりしたが、不思議と痛くはなかった。


 流れ出たタツトの血液を、ソフィーはそのへんにあった水晶のような鉱物に垂らした。


「これで明日あたりには解るだろう。」


 ソフィーは言って、タツトの血を垂らした石を居間の片隅にある祭壇のような場所へ置いた。

 あんなので解るのか…? タツトはてっきり医学的な検査をするのかと思っていたので、驚いてしまった。


「さて、まだ、いろいろ聞きたいことはあるだろうけど、今日はここまでにしよう。ひとまず、君はこの始祖鳥ちゃんを飼いならしてみなさい。」


 そう言ってソフィーは先ほど始祖鳥を入れた鳥籠をタツトに渡した。

 ソフィーは軽々と持っていたが、受け取ると、両手でしっかり持たないと落としてしまいそうなほどには重たかった。


 始祖鳥は、タツトに懐くどころか隙間からくちばしを出して攻撃してきた。

 これは時間がかかりそうだ…と思いながら、とりあえずタツトは始祖鳥を連れて自室へと向かった。


「まず、その子に名前をつけてあげて。」


 後ろでソフィーが言っているのが聞こえた。


 タツトは自分の部屋の机の上に鳥籠を置いた。

 そうしてベッドに座ると、ちょうど目を突かれない程度の距離から始祖鳥を観察することができた。


 始祖鳥は大変に美しい生き物だった。

 恐竜でも鳥でもない。

 そしてかなりワイルドだ。


 大人しく籠には入っているが、全く隙がない。


 このような生き物を人間が飼いならしてもよいものなのだろうか…とタツトは罪悪感に似た感情を抱いた。

 しかし、この子は既に絶滅している生き物だ。自然界に仲間はいない。これほど孤独なことはあるだろうか。


 やはり自分が責任を持って育てていくしかないだとタツトは悟った。


 そうして始祖鳥を眺めていると、ドアをノックする音がした。

 見ると、ソフィーが小さな皿に何かを乗せて立っていた。


「その子は肉食だ。まずはご飯をあげようか。」


 言いながらソフィーは部屋に入って来て、タツトの隣に腰を下ろした。

 ソフィーが持っていた皿には、芋虫なようなものが乗っていた。


「庭で捕って来た。この子はこういった虫も食べるが、ネズミやカエルなんかも食べると思う。あ、鶏肉だけは食べさせちゃダメだよ。」


 ソフィーが芋虫を一匹つまんで差し出して来たので、タツトはそれを手のひらで受け取った。

 芋虫は生きていて、タツトの手のひらの上でもぞもぞ動いていた。


「そう、そうやって手のひらに乗せてあげるといい。」


 タツトが恐る恐る手のひらを鳥籠に近づけると、始祖鳥はしばらく警戒したような様子を見せていたが、急に素早く動いて、タツトの手のひらの芋虫を器用にくちばしでつまんで食べた。


 そして、もっとくれ、というような顔をした。


 タツトは皿から芋虫をもう一匹取ると、再び始祖鳥に食べさせた。


「うん、君たち相性はいいみたいだな。そうやって毎日ご飯をあげると仲良くなれるぞ。」


 タツトは、この始祖鳥をとても愛おしく思った。


「名前は決めたか?」


 ソフィーの問いにしばらく考えてから、タツトは答えた。


「ケオ…。」


「ケオか。いい名前だ。」


 ソフィーはにっこり微笑むと、タツトの頭を手のひらでポンポンと優しく叩いて部屋を出て行った。


 その日、タツトは行くところ全てに籠に入ったケオを連れてあるいた。

 と言っても、家の中を行き来しているだけなのだが。


 ケオは時々やかましく鳴くことがあった。タツトはすぐにそれが、腹減ったの意味であること知った。

 ケオの食欲はものすごかった。ソフィーが言うには、再生直後の数日間は、通常の3倍程度の食事が必要になるとのことだった。


 タツトは庭から芋虫やバッタの類を捕まえて来てケオに与えた。

 残念ながら、ソフィーの庭にはカエルはいなかったし、タツトにはネズミなどを捕まえる能力はなかった。

 モグラの穴をいくつか発見したものの、モグラを殺すのはなんだか忍びない気がしてやめた。


 とにかく大量の虫が必要だったので、庭の外にまで出て探しに行った。

 餌集めにはガンフが同行してくれたので安心だった。


 夜になっても、ケオはぐっすりは眠ってくれず、2~3時間おきに鳴いて食べ物をせがんだ。


「たった数日の辛抱だ。乳飲み子を抱えてる気持ちでがんばれ。」


 ソフィーはそう言ってさっさと寝てしまった。


 翌朝、ほとんど眠れていない状態でタツトがフラフラと居間へ向かうと、ソフィーが神妙な面持ちで、水晶のような鉱物を覗き込んでいた。


 それは、昨日、タツトに能力があるかどうか調べるために、彼の血液を垂らしたあの石だった。


「何かわかったの?」


 タツトは興味津々で、ソフィーの横から石を覗き込んだ。

 石の表面には何やら記号のようなものがいくつか出ていた。


「ふむ…。」


 そう言いながら、しばらくソフィーは角度を変えたりして、じっくり石を調べていた。


「君には、延命、治癒、そして鑑定の能力があるようだ。」


「鑑定?」


 “延命” と “治癒” は昨日の話にも出てきたが、“鑑定” というのは初出だった。


「“鑑定” は地味だが何気にすごい能力だぞ。この世の全ての情報を開示することができる。」


「この世の全ての情報を開示?」


 タツトはアホみたいにソフィーの言葉をそのまま繰り返した。それが具体的にどのようなことなのか、全く想像できなかったからだ。


「まあ、説明するよりやってみた方が早い。確か “鑑定” の体系は書斎にあったはずだぞ。」


 言いながらソフィーは書斎へ向かった。タツトも慌ててついていった。


 書斎に入ると、ソフィーは山ほどの本をぐるっと見渡して、中から一冊を抜き取った。

 それは、他の本と同じように古めかしく、タツトには読めない文字が書かれていた。


「あった。これだ。去年だったか、古本屋で見かけたときに自分には必要ないはずのこの本を何故か買っていたんだ。」


 ソフィーはパラパラとページをめくった。


「きっと君と出会うことを知っていたんだな。……うん、なるほど。」


 パタンと本を閉じると、ソフィーはそれをタツトに渡した。


「まだ読めないだろうけど、君にあげよう。」


 タツトは本を開いてみたが、全く読めなかった。

 それでも自分のための本が見つかって嬉しかった。


「ありがとう。ソフィー。」


「じゃあ、試しにその本に書いてある初歩的な詠唱をやって見ようか。」


「ここで?」


「そうだ。」


「詠唱って何?」


「昨日、私がケオを蘇らせた時に、呪文のようなものを唱えたのを覚えているか?」


 タツトは頷いた。


「あれが詠唱だ。詠唱は能力を発動させるための決まり文句みたいなものだ。」


 ソフィーは本棚に置いてあった黒っぽい色をした石を取ると、タツトに渡した。


「それがどんな石なのか知りたいか?」


 タツトは石をまじまじと見た。

 よく見ると透き通っている箇所があり、まるで黒いガラスのような石だった。


「よし、じゃあ、その石のことを知りたいと強く思いながら、私が今から言うことを繰り返して言ってみて。」


 タツトは頷いた。


「開。」


「開。」


 石に集中しながらタツトは言った。

 すると、ボワンと石の周りが青白く光ったような気がした。


「遂行、波。それ自らの情報を開示せよ。波。」


 タツトはソフィーが言うとおりに繰り返した。

 すると、黒い石とタツトの間に光の文字が浮かび上がった。


 それはタツトにも読める文字だった。


≪鑑定:鉱物/種類:黒曜石/硬度:5~6/解説:黒、または黒みがかった緑の半透明な結晶。ガラス質。マグマが水中などで急激に冷やされることで形成されると考えられる。その特徴から古くから石器として使われる。≫


 タツトは無言でソフィーの方を見た。

 ソフィーの眉毛がピクリと動いた。


「何か出たか?」


 この質問で、ソフィーにはこの文字が見えていないのだとタツトは知った。


「うん。この石が黒曜石で、その特徴とかが出ている。」


「文字で出ているのか?読める文字か?」


 タツトが頷くと、ソフィーはにっこり微笑んだ。


「タツト。それが “鑑定” の能力だ。さっき唱えたのが、基礎中の基礎らしいぞ。」


「へぇ……。この文字はどうやったら消えるの?」


「終わり、と思いながら、“閉” と言えば閉じる。」


「閉。」


 ソフィーの言うとおりにすると、先ほどまで出ていた文字が消えた。


「術は開いたら閉じるのが鉄則だ。開きっぱなしにならないように、必ず “閉” する癖をつけとくといい。その本にはかなりの数の “鑑定” の技術が載っているようだ。読んで練習するといい。」


「ああ、でも僕、この本の文字が読めません。」


「そうだった、すまない。」


 ソフィーは再び本棚をぐるりと見渡し、大きな本を取り出した。


「術関連の古い本は、だいたいラテン語で書かれているんだ。」


「ラテン語…」


「そう。古い言語だ。これは辞書。これもあげる。」


 タツトは大きな本を受け取った。


「ラテン語はもはや生きている言葉ではないから習得するのが困難だ。わからなくなったら、何ても聞いてくれ。」


「ありがとう。」


 ぎょえーっとタツトの部屋からケオの声が響いて来た。

 先ほどは寝ていたから部屋に置いて来たのだが、どうやら腹が減って怒っているらしい。


「もう一つ、君に大事な話があるんだけど。朝ごはんの時に話すよ。」


 ケオの元へ慌てて戻ろうとするタツトに向かってソフィーが言った。


 部屋に向かう途中で、ガンフが台所から顔を出して、ベーコンの切れ端をくれた。

 ケオは虫も食べるが、ベーコンもやたらうまそうに食べるのだ。


 部屋に戻ると、ケオがずいぶんとお怒りで待っていた。

 タツトは先ほどソフィーからもらった二冊の本を大事に本棚に置き、ケオにベーコンと昨日の芋虫の残りをあげた。

 ケオはペロリとそれらを平らげた。それで幾分か満たされたのか鳴きわめくのをやめてくれた。


 腹が満たされて落ち着いたケオを眺めながら、タツトはふとこの子を鑑定してみよう、と思った。


 そして、先程ソフィーに教えてもらった詠唱を言おうとした瞬間に、すでにケオの前に例の光る文字が表示された。


≪鑑定:生物/名:ケオ/年齢:不明/性別:メス/種族:アーケオプテリクス/解説:現時点から約1億5千万年前に生息していた恐竜獣脚類。全身に羽毛が生え最古の鳥類と考えられていた時期もあるが恐竜である。現時点では絶滅している。鳥類の祖先に近い生物。≫


 詠唱を行う前に表示されたが、タツトはよく解っていなかったので、そういうものかと思った。

 この情報は、おそらく、書斎にある本よりも正確で新しそうな内容だ。


 現物を見ているネクロマンサーたちの情報よりも詳しく正しい内容なのか?

 これらの情報はいったいどこから来るのだろうか?


 タツトが他のものも鑑定しようとした同時に、台所の方からソフィーの呼ぶ声がした。


 それで、もう一つ話があると言われていたのを思い出した。


 ケオの籠を持ち、台所へ入ると朝食が用意されていた。


 タツトは無意識にそれらを鑑定し、ベーコン、卵、などの文字を確認した。

 この能力はタツトが知りたい度合いによって、どんな情報が表示されるのか勝手に調整されているようだった。


「まずは食べようか。」


 タツトが席についたのを見ると、ソフィーが言った。

 ソフィーとタツトとガンフは無言で朝ごはんを食べ始めた。


 タツトはやっていいものかわからなかったが、こっそりソフィーとガンフの鑑定をしてみる衝動を止められなかった。


 だが、二人の鑑定結果はいずれも「鑑定不可」だった。


 魔法使いは自分が鑑定されることをブロックしてたりするものなのだろうか。


 自分も他の人に鑑定されることを防いだりした方がいいのだろうか…タツトはあれこれ考えながら、黙々と朝食を食べた。


「どうした、神妙な面持ちをして。これから私が伝えようとしていることが気になるのか?」


 ソフィーがタツトの様子に気がついて言った。


「うん、それもあるんだけど…。魔法使いは自分の鑑定をされないようにブロックみたいなことをした方がいいの?」


「ん? なぜそんな事を考えている?」


 しまった、とタツトは慌てた。こっそり二人の鑑定をした事がバレてしまう…。


「もしかして、お前、俺たちの鑑定をしたのか?」


 バレた…。

 タツトは渋々頷いた。


「ご、ごめんなさい…ついうっかり…。」


「いつの間にやったんだ? 気がつかなかったぞ?」


 ガンフが不思議そうに言った。それでソフィーがハッとした顔になり言った。


「まさかとは思うが、君は詠唱なしで鑑定をしたのか?」


「え? うん。あ、いけないことだった…!?」


「いや、いけないこと、とかではなく、普通はできないんだ。どんなに簡単な術でも詠唱は省略できない。人間であれば…」


「人間であれば…?」


 ソフィーはふぅーとため息をついて、ベーコンを一切れ口に入れた。


「君にとって大切なことだから、食べ終わってから話そうと思っていたのだが…。実はな、さっきの石には “種族” も表示されるのだけど…」


「種族?」


「そうだ。君の種族の項目には、人間と、あとひとつ、ドライアドと表記があった。」


「どら?」


「ドライアドだ。木の精霊だな。知らないか? 君は半分人間で、半分精霊のようだ。」


「ええっ?!」


 タツトは心底驚いてしまった。妖精の存在ですら、先日の不気味なおばさんの訪問者を目の当たりにしても、未だ信じがたい気持ちでいるのだ。

 そこへ、恐竜の再生を見せられ、おまけに、自分が木の精霊だと?


「ドライアドは女神の一種でもある。ドライアドたちは時折、人間の男を取り込んで子を生すと噂で聞いたことがある。君はただの迷い子ではないかもしれないな。」


 タツトは、あはは~と力なく笑うと、そのまま白目を向いて倒れてしまった。


「タツト!? どうした!? タツト!!!」


 どこか遠くの方でソフィーが叫んでいるのが聞こえた。


・・・


 目を覚ますと、タツトは居間のソファーに寝かされていた。

 ハッカとオレンジが混ざったようなツンとする香がした。


 ソフィーとガンフの心配そうな顔が覗き込んでいた。

 ゆっくり体を起こすと、ソフィーが支えてくれた。


「大丈夫か? 具合でも悪いのか?」


 ソフィーが本当に心配そうに言った。


「違うだろう、ソフィー。タツトは入って来た情報量が多すぎて処理しきれなくなっちまったんだよ。」


 ガンフがズバリ言ってくれた。


「うん、まあ、そんな感じ。」


 タツトはガンフに同意した。それで、試しに自分の鑑定をしてみた。

 何も出なかった。


「自分の鑑定はできないのか…。」


「今、自分を鑑定したのか? こういった類の術は自分には使えないことが多い。」


 ソフィーが教えてくれた。


「いろいろ一遍に言ってしまって悪かったな。ひとまず、自分が何であるか悩む前に、ここで何者になっていくのかを考えるといいだろう。ちなみに、私もガンフも、君が死神だろうが何だろうがタツトはタツトとして受け入れるから、悩むことがあったら何でも打ち明けてくれ。」


 死神って…。もしかして、それも実在するのだろうか。タツトはぞっとした。


「お前、鑑定の能力を持ってるんだから、もうこの家での仕事が山ほどあるぞ。」


 ガンフが言った。


「そうだった。」


 ソフィーが引き継ぐ。


「見てのとおり、この家には石やら化石やらで溢れている。実はこれらは闇雲に集めたもので、それが何であるのか解っていないものが多い。だから、少しずつ鑑定士に頼んで解析をしてきたのだが、何しろ金がかかって大変だったんだ。その仕事を君に引き継いでほしいんだけど、どうかな?」


 その提案を聞くと、タツトの中でさっきまでの混乱が嘘のように静まり、一筋の光がさして来たような気がした。

 ソフィーはタツトがこの家で暮らしていくための役割を与えてくれたのだ。


「もちろんだよ!」


 タツトは即答した。


「それでちょっと話を戻すが、君は私たちの鑑定をしたんだね?」


 ソフィーの質問に頷くタツト。


「何と出る?」


「二人とも鑑定不可と出るよ。」


 それを聞くと、ソフィーとガンフが顔をあわせ、そして、ソフィーは指を顎に当てて、何か考えているような仕草になった。


「もしかしたら、私が禁忌を犯したことを安易に知られないように対応したのかもしれないな。元師匠の知り合いに何人か信頼できる鑑定士がいたと記憶している。」


 なるほど、それはあり得るな…とタツトも思った。


「ちなみになんだけど、ソフィーが破門されたのって、何年前の話なの?」


「250年くらい前だよ。」


 さらっとソフィーが言った。この人たちに時間とはあってないようなものなのかもしれない。

 タツトもいずれかの段階で延命をしたら、彼らと同じような感覚になるのだろうか?


「君も早めに鑑定をロックした方がいいかもしれないな。自分でできなかったら誰かに頼まないといけなくなるかも。」


 ソフィーは居間をウロウロしながら、独り言のようにブツブツ呟き始めた。


「ドライアドとなると、鑑定石では測れない能力があるかもしれないな。庭の世話をさせたらいいのかな? それからまた誰かに襲われるかもしれないから、武術をガンフから学ばせて…」


「ソフィー!」


 ガンフの一声でソフィーはやっと我に返った。


「またタツトがひっくり返るぞ。」


「ああ、すまない、すまない。ひとまず、明日までタツトはケオをどうにかするのに専念してくれ。」


 ソフィーはにっこり微笑み、台所に戻って行った。そういえば、朝食の途中だった。


「百年以上ぶりに人間の同居人が増えて、ソフィーも若干混乱してるんだよ。大目に見てやってくれ。」


 ガンフがこっそりタツトに言った。

 二人も席にもどり、朝ごはんを食べた。


 食べ終わったところでケオが騒ぎ始めたので、タツトは庭に出て芋虫やバッタを捕まえ集めた。

 ソフィーに貰った虫かごにいっぱいになると、家に戻ってケオに食べさせた。


 それを2~3時間おきにやる一日が始まった。


 空いた時間で、タツトはソフィーにもらったラテン語の辞書で、まずは恐竜の本の解読をやりはじめた。


 ラテン語は古代語なだけあって難解だった。

 恐竜の本がなかったらやる気はでなかっただろう。好きな恐竜の名前を辿っていくことで、だんだん言葉がわかってきた。


 そうすると自信がついて鑑定術の方も少しずつだが解読ができた。


 数時間後には、タツトは “検索” を使えるようになっていた。

 “検索” も一度詠唱で発動させると、次からは詠唱なしでいけた。


 “検索” は、視界の中にあるものの中から、特定のものを探す能力である。

 本棚から本を探す場合や、ソフィーのごちゃついた石や化石の中から特定のものを見つけるのに役立ちそうだった。

 それから、何よりも、ケオの餌探しに大いに活用できそうだった。


 こうしてタツトは新しい自分と新しい環境に驚くべき速さで適応していった。

 これは、年齢的なものもあったが、ドライアドの素質でもあった。が、それには誰にも気が付いていなかった。


 翌日、ケオの警戒心がだいぶ解けたと感じたので籠から出してみることにした。

 念のためにソフィーのいる居間でやった。


 籠から出すと、ケオはおとなしくタツトの肩に乗った。

 それをソフィーは驚いた顔で見ていた。


「すごいじゃないか。すっかり仲良しだな。正直、慣らすのは無理なんじゃないかと思っていたんだ。これなら獣使いに世話にならなくても大丈夫そうだな。」


 タツトは肩に乗ったケオから絶対的な愛情が流れてくるのを感じた。

 きっとケオもタツトの愛情を感じていることだろう。


 こうしてタツトとケオの間には切っても切れない絆が生まれた。


「ケオは小さいけど攻撃力が高い。きっと君を守ってくれるよ。」


 ソフィーのお墨付きをもらって、タツトは心強い気持ちがした。


 それから毎日、タツトは鑑定術の勉強をし、ソフィーを手伝ったり、ガンフに武術を習ったり、ケオと散歩にでかけたりして暮らした。

 月日はあっという間に過ぎ去り、季節は巡った。


 そして5年の歳月が流れた。



 タツトは立派な青年になっていた。

 町の人ともよく交流するようになり、本屋の一角を借りて鑑定士の仕事も始めていた。


 と言っても、鑑定術は一般的にはあまり知られていないので、気味悪がられる可能性があり、肩書としては “勉強中の若い目利き” ということにしていた。

 幸いタツトは詠唱なしで鑑定できるので、バレずにすんでいた。


 自分が鑑定されるのをロックする方法は未だ解っていなかった。

 身の回りに他の鑑定士はいないようだったので、自分が鑑定される心配はさほどないものの、いつかやらねば…と思いながら今に至ってしまった。

 本当にそろそろどうにかしないといけないかとタツトは考え始めているところだ。


 武術の方もそこそこで、ガンフほどではないが自分の身を守るくらいのことはできるようになっていた。

 身体能力が高いのは、ドライアド由来のものらしかった。


 そのドライアドの本来の素質であるが、こちらはあまり顕著には表れていなかった。

 彼が世話すると、植物は元気になるが、異常に育つということはなかった。


 ただ、本人はあまり自覚していなが、全てにおいて通常の人間より能力が上回っていた。

 一度学校へ通おうとしたことがあったが、あまりに退屈で行くのをやめてしまったくらいだ。


 そして何より、彼は人に好かれた。


 それだけでなく、彼に言い寄って来る女も男も多くいた。

 けれどもどんな人と付き合ってみても、タツトは本気になれないのであった。


 本人は決して認めないだろうが、タツトの心はソフィーの元にあった。出会ったその時からずっと。

 何故だか彼はそれを後ろめたいことと思っていて、ないものとして心の奥にしまい込んでいた。


 一方のソフィーは、全く持って相変わらずだった。

 見た目はもちろん変わらないし、飄々としていて本心はわからない。


 時々外出してヘトヘトになって帰って来る以外は、町の人の治療などをしながら、のほほんと田舎暮らしを楽しんでいるようだった。


 町の人たちは、ソフィーが恐竜に乗っているのは知っていたが、魔女が操る竜か何かと思っているようだった。

 そもそも、ネクロマンサーという存在を理解していそうな者はおらず、魔女が何であるかも一般には詳しく知られていないようだった。


 まじないのできる人…程度のものだ。


 半竜半人のガンフは常に二人のよき理解者だった。

 ソフィーのことをよく解っているのはガンフ一人だった。そして親友であるタツトのことも。

 彼がいなかったら、この家はあっという間に機能不全になっていただろう。


 始祖鳥のケオは、タツトにとって無くてはならない存在となっていた。

 まさに一心同体とはこのことを言うのだろう。

 いつでも彼の肩に乗り、ほとんどの時間を一緒に過ごしていた。


 タツトがソフィーの家に来てまもないころは、家のまわりで不気味な人影を見ることもしばしばあったが、ケオが一緒にいると、そいつらは一定の距離を保って近寄っては来なかった。


 それら不気味な存在も、タツトが育ってしまうと徐々に現れなくなった。


 それでも辺鄙なところに暮らしていると、危険な生き物や、物取りのような者たちに遭遇することがまあまああったので、ケオの護衛がタツトには必要不可欠になっていった。


 ケオが相手を攻撃するときは、バサバサと翼を羽ばたかせて空中から襲い掛かる。

 タツトは、始祖鳥は滑空専門と思い込んでいたので、実際の始祖鳥が、翼を羽ばたかせて短距離なら地面から離陸して飛ぶことが可能だと知り、驚いた。


 実際、野生の動物に遭遇するよりも、危険な人間に出会う方が多かった。

 彼らは見境なく襲い掛かって来るので、その度にケオが鋭い鉤爪で彼らの顔に飛び掛かった。


 しかし、自力で空中に飛び立つためには相当なスタミナを消費する。

 ケオに負担がかかってしまっていた。


 そこで、タツトは腕に装着する発射台のようなものを開発した。

 ばね仕掛けになっていて、そこにケオを乗せて紐を引っ張ると、勢いよくケオを空中に放つことができるようになった。


 この装置のおかげで、一度ならずともタツトはケオに命を救われた。


 タツトは装置の改良を重ね、今では腕の装飾品といった程度の軽度な装備にまで進化させていた。

 これによって、いつでも装置を持ち歩き、不意な危険にも対応できるようになった。


 町へ行く際にも、タツトはケオを連れて行ったが、始祖鳥だということが知れ渡ると面倒なので、翼にある鉤爪と、特徴的な顔を隠せるように、ケオにはフードと翼のカバーを作ってやった。

 ケオは嫌がることなくそれらを装着してくれた。


 最初人々は肩に鳥を乗せている鑑定士に驚いていたが、そのうち見慣れてくれた。


 何事もしれっと続けることが重要なのだ。


 こうしてタツトはソフィーやガンフたちと平穏な日々を過ごしていたが、そんな日常はある日突然に終わった。


 それは、タツトが鑑定の仕事を終えて、町はずれの長い丘を登っている時だった。

 いつもより少し遅くなってしまって、だいぶ日が傾いてきていた。

 急いで歩かないと夕暮れ時までに家につかないかもしれない。


 タツトは少し歩調を早めた。


 いくらケオの護衛があり、タツト本人も強くなったからといっても、物取りたちが活発になり、さらに、物の怪たちの力も増す黄昏時から夜間にかけての一人歩きは危険、とのことでソフィーから禁止されていた。


 どんな理由があっても、夕刻前に家に戻るように強く言われていた。


 まったく…あのお喋りなおばさん…。


 帰り際に来店して来たお客がなかなか帰ってくれなかったのであった。


 足早に歩くタツトの前方に人影が見えてきた。

 こんな時間にあんなところで何をしてるのだろう?


 タツトは子どもの頃によく見ていた不気味な人影を思い出し、かつてお馴染みだった喉の奥に引っかかるような恐怖を感じた。


 近づいてくるにつれ、それが人間であることがわかり、少しほっとしたが、警戒心は解けなかった。

 タツトは、その人物と目が合わないように下を向きながら急いで歩いた。


「こんにちは。」


 タツトの努力はむなしく、道端に立っている人物は声を掛けてきた。

 できれば関わりたくなかった。


 タツトはチラッと人物の方を見た。


 若い女性だった。どこかで見たことがある。

 思わず立ち止まってしまった。


「タツトさん…。私、何年か前に学校で一緒だったエミーです。」


 そう言われてみれば確かに、学校に行っていた時に見た顔だった。

 無意識にタツトは相手の鑑定を行った。


≪鑑定:生物/名:エミー・ハウエル/年齢:18歳/性別:女/種族:人間・ヒナゲシの妖精/能力:延命・治癒・毒/職業:パン屋/解説:人間の父親とヒナゲシの妖精の間に生まれた混合種。≫


 ちょっとまて。ヒナゲシの妖精?


 タツトは慌てて一歩下がった。タツトの緊張を感じ取ってケオもマスクとフードの下で臨戦態勢に入った。


「怖がらないでください。私はあなたの味方です。」


 エミーは自分の正体が知られたことを察知したようだった。


「今日はあなたに忠告しに来たのです。お話するだけです。それ以上のことはしません。話を聞いてくれますか?」


「それ以上僕に近づかないのであれば、聞いてもいいですよ。」


 それを聞いてエミーは少し笑った。


「私も、その鳥にはあまり近寄りたくないので、安心してください。」


 エミーはケオを指さした。


「私が話したいのはあの丘の上の魔女のことです。」


「ソフィーの?」


 頷くエミー。


「私は彼女についてよくない噂を聞きました。彼女は時々、西の街道から永久墓地へ出入りしているところを目撃されています。」


「永久墓地…」


 そこは祀ってくれる相手がいない者たちの眠る墓地だった。浄化されない魂たちが彷徨い歩き、うかつに近づくとあちらの世界に引きずり込まれるとの噂があり、墓守以外は誰も近寄らない。


「丘の上の魔女はネクロマンサーですよね。もしや禁忌である人間の再生を行っているのではないでしょうか?」


 確かにソフィーは時々出かけて行ってヘトヘトになって帰って来ることがあるが、タツトはどこに行っているのか知らなかった。教えてくれないのだ。


「再生させた人間は、闇市場で高値で取引されています。もしや、かの魔女はそんな呪われた商売に手を出しているのではないでしょうか?」


 いやいやいやいや、ちょっと待て。そんなことがあるはずないだろう?

 ソフィーが裏の商売をしているとは想像すらできなかった。

 禁忌は既に犯してしまっているけど…。


「ソフィーはそんなことはしませんよ。」


 タツトは迷うことなくそう答えた。


「タツトさん。私たちはずっとあなたを心配していました。私たちのような…その…どちらでもない者…半端者にとって、この世は生きづらい所です。ましてや、あんな魔女なんかと暮らしているなんて。」


「僕は生きづらいなんて少しも感じたことはないですよ。」


 彼女の言い草に、タツトはいささかムッとして反論をした。

 エミーはお構いなしに続ける。


「あなた、ちょっとお人よし過ぎますよ。なぜあの魔女はこんな辺鄙なところに住んでいるのですか? 変だと思いませんか? 何か秘密があるに違いありません。」


 ああ、エミー、それは正解だ。タツトは心の中で思った。


「エミーさん。確かにソフィーがあんなところに住んでいる理由はあります。でもそれはあなたが思っているような理由ではありません。お話はできませんが。」


 エミーはタツトを値踏みするような表情をした。


「誰が何と言おうと僕はソフィーを信じています。心配してくれるのはありがたいですが、これ以上僕たちに関わるのはやめてくれませんか?」


 エミーがまた何か言おうとしたので、タツトは右手を上げてそれを遮った。


「僕には門限があります。もう既に遅れそうです。申し訳ないですが、もう行きますね。」


 軽く会釈をしてタツトはその場から離れようとした。

 そこで、ひとつ思い当たったことがあり、足を止め、エミーを振り返った。


「エミーさん、一つだけ、教えてくれますか?」


「なんでしょうか?」


「あなたは、僕が迷い子になったことに関係していますか?」


 エミーはしばらく怪訝な顔をしていた。

 まさか何も知らないと言い出すつもりだろうか…。タツトは相手の出方をうかがった。


「迷い子ですか? あなたは迷い子だったんですか?」


 エミーは逆に質問してきた。


「それを知らずに僕を観察してたんですか?」


「はい…私にはいろいろ知る能力がありませんから。あなたは半ドライアドとだけ聞いています。」


 あちら側にも鑑定士がいる様子だ。やはり早めにブロックしておくのだった。

 タツトは自分の怠慢さを呪った。


「タツトさんが迷い子だったことは知りませんでしたが、私たちの仲間には元迷い子も何人かいます。ヒナゲシの妖精たちは半人を忌み嫌っていますから、見つけたら即捕まえて食料にするか、殺そうとします。私も幼いころに何度も殺されかけました。」


 エミーはおもむろに上着をまくって、へその上あたりに刻まれた深い傷跡をタツトに見せた。


「われわれ半端者は、そういった脅威から身を守るべく、結束が必要なのです。」


 なるほど…何となく、解って来た。

 彼女は本当に仲間意識を持ってタツトを救おうとしているだけなのかもしれない。でも…。


「エミーさん。何となくあなたの言いたいことはわかりました。でも僕はあなた方の助けは必要ありません。何度もいますが、ソフィーは心配ありませんよ。同類がいることを知れてよかったですが、ソフィーを疑っている人たちとは仲良くなれそうもありません。お気遣いありがとう。感謝はします。でも、あなたとはここでさようならです。」


 タツトは手を振ってエミーに別れを告げた。


「タツトさん! 何か困ったことがあればいつでも力を貸しますからね!」


 後ろでエミーが言っているのが聞こえた。


 タツトは家までの上り坂をずっと走って帰路を急いだ。

 あたりは夕暮れで真っ赤に染まっていた。


 全速力で走るタツトの肩の上で、ケオが絶妙にバランスをとっているのが感じられた。


 半端者だって?


 タツトは自分のことをそんなふうに考えたことがなかったので少しショックだった。


 やっとのことで家に到着すると、薄暗くなった玄関先でガンフが待っていた。


「遅かったな。」


 息を切らしているタツトを迎え入れながらガンフが言った。


「ごめん。町のおばさんに捕まってしまって…ソフィーは?」


「昼過ぎに出かけて行ったよ。いつもの急用だ。」


 いつもの急用…。よりにもよって、このタイミングでソフィーは謎のお出かけか…。

 タツトは先ほどのエミーとの会話をガンフに話そうか迷ったが、ひとまずやめておくことにした。


 ガンフはタツトの親友ではあるが、それ以前にソフィーの分身なのだ。

 ソフィーに話せないことはガンフにも話せない。


 タツトは普段どおりにガンフの用意してくれた夕食を食べ、風呂に入り、少し勉強してからベッドに入った。

 だが、全く眠れなかった。


 ソフィーは今頃どこで何をしているのだろうか?


 これまでも彼女がどこへ出かけているのか気になってはいたが、その話題に触れることは、この家では一種のタブーのようになっていた。“何も聞くな” というソフィーからの無言の圧力がとても強い。


 ソフィーが闇取引になぞに手を染めていないことは確実だが、永久墓地へは行っているのかもしれない。

 すべてはエミーのでっちあげかもしれないが、目撃情報は本当の可能性もある。


(ソフィー…いったい何をしてるんだよ…)


 タツトはベッドの中で何度も寝返りをうち、なかなか寝付くことができなかった。


 行くか…永久墓地へ…。


 タツトはもうこのまま黙って知らないフリはできない心境になってしまった。

 ソフィーが教えてくれないなら、話さざるを得ない状況を作るしかない。


 タツトはむくりと起き上がると、服を着替え、ケオを籠から出した。

 ケオは眠っていたので、何事かという表情をしたが、タツトが頭をなでると安心して肩に乗った。


 今夜ガンフは小屋の方で寝ている。正面から出たら気が付かれるだろう。


 タツトは家の裏口から外に出て、裏の石垣を乗り越えて抜け出すことに成功した。


 永久墓地へはもちろん行ったことはないが、場所は知っていた。

 ここから歩いて二時間くらいはかかるだろう。

 走ればもっと早く着くかもしれない。


 タツトは走り始めた。


 こんな夜中に外に出るのは初めてだったので、最初は少しの恐怖心もあったが、すぐに慣れてしまった。

 ちょうど満月の夜だったので、足元もよく見えた。


 夜はうじゃうじゃ魔物が徘徊しているかもしれないと、勝手に想像していたが、夜の森には何もいなかった。


 永久墓地へ向かう一本道へ差し掛かったところで、前方に人影が見えた。


 まさか…エミーか? と思ったが違った。


 ガンフだった。


「タツト。何をしに行くんだ。」


 タツトは何も言わずにガンフに向き合った。


「お前が家を抜け出したのはすぐに気が付いたが、お前ももう年頃だ。女にでも会いにいくのかと思って様子を見ていたのだが…。この先に何があるのか知って進んでいるのか?」


 タツトは頷いた。


「そろそろソフィーが何をしてるのか知りたいんだ。」


「だったら帰って来た時に聞きゃあいいだろう?」


「それではソフィーは教えてくれないよ。現場に僕が居合わせない限り…」


「ソフィーが永久墓地へ行ってるってどうやって知った?」


「町の噂で聞いたんだ。」


「今日、話していたというおばさんにか?」


「違う。エミーっていう女の子だ。彼女は…属性に人間とヒナゲシの妖精を持っていた。」


 ガンフの片方の眉毛が吊り上がるのが見えた。

 それは彼の中に怒りが芽生えたときに出る表情だった。


「なぜ俺にそれを言わなかった。」


「ガンフに言ったってどうせ何も教えてくれないだろう? 君たちはいつだってそうだ。僕を家族として迎え入れてくれたことには感謝してる。僕の一生をかけて君たちに尽くそうと思っているほどに。だけど、君たちは僕だけをのけ者にする時がある。どうしても教えてくれないことがある。」


 タツトは心の中に怒り…というよりも悲しみの感情が渦巻いてくるのを感じていた。


「そういう時、僕は…僕はずっと孤独だったんだ。」


 今にも泣き出しそうなタツトを前に、ガンフは黙ってしまった。

 彼だって解っているだろう。少年のころからずっとタツトのそばにいたのだから。


「どうして僕には教えてくれないんだ。僕はもう子供じゃない。そろそろ教えてくれたっていいんじゃないか?」


「危険なことだからだよ。」


 ガンフはぼそりと言った。


「危険…?」


「そうだ。だからソフィーは君を巻き込みたくねぇんだよ。彼女の想いも察してやってくれ。」


 ちがう…。それは違う…!

 タツトはそんな理由では納得できないのであった。


「危険なことをしているなら、なおさら…。」


「ダメだ。この問題はお前が何をしても解決できない。ソフィーにしかできねぇことなんだ。俺にすらどうすることもできねぇ。」


 ガンフにもどうにもできないこととは? タツトはますますソフィーが何をしているのか知らなければと思った。


「なあ、タツト。ソフィーが戻ってきたらお前に話をするように俺からも説得すっから。今日のところは俺と一緒に帰ってくれねぇか?」


 ガンフが一歩こちらに踏み出した。

 反対にタツトは一歩後ろに下がった。


「嫌だ。僕は行く。そこをどいてよガンフ。もしもどかないなら…」


 タツトは腕の発射装置にケオを乗せながら言った。

 これがタツトの戦闘モードだとガンフは知っている。


 一方のタツトは、どうやってもガンフには勝てっこないことを知っていた。

 だけど、自分が本気であることガンフにわかってもらいたかったのだ。


「それなら仕方ない…。」


 てっきりガンフが力ずくで止めに入るかと思ったが、彼はそうしなった。


「行けよ。ただし、どうなっても知らねぇぞ。それでお前が命を落とすことになって、俺やソフィーが死ぬほど後悔することになるかもしれないけど、お前がそこまでして行くというなら、俺はもう止めねぇ。」


 その言葉にタツトは一瞬怯んだが、もう後には引けなかった。

 命を落とすようなことをソフィーがしているらしいことを知ってしまった今、このまま帰るという選択肢はタツトにはもうなかった。


 ガンフは道の脇へ下がり、踏み出したタツトを通してくれた。

 実のところ、彼と戦うことにならずに、タツトは心底ほっとしていた。ガンフに感謝の一瞥を投げてタツトは永久墓地への歩みを再開した。


 ガンフを振り返る勇気はなかった。そのまま前を向いたまま、タツトは進んだ。


 やがて永久墓地の入口が見えてきた。

 それはまるで地獄へと続く門のように、タツトの前にそびえていた。

 いつ誰が作ったのかわからない古い門だ。人間技とは思えないほどの細かい彫刻が施されている。


 タツトは門に手をかけ、ゆっくりと押した。


 門の扉は思いのほか簡単に開いた。

 墓場はいつだって万人に向けて開かれている。


 少しだけ開いた門の間から顔だけ出して中の様子を覗った。

 そこからはソフィーの姿は見えず、何の音も聞こえなかった。


 念のために検索をかけたが、ソフィーは見える範囲にはいないようだった。


 広範囲の検索に切り替えると、奥の方にソフィーがいるようだった。


 門をさらに押し開けて中に入ろうとすると、珍しくケオが抵抗した。

 ケオはどうしても中に入りたくない様子だった。


 無理に連れて行こうとすると、ものすごく騒ぎそうだったので、しかたなくタツトはケオをその場に置いて行くことにした。

 もしも自分に何かあっても、ここからならケオは自力で家に帰れるだろう。

 それでガンフに何か知らせてくれるかもしれない。


 タツトはケオを地面におろすと、その愛おしい頭に口づけをした。


「朝になっても僕が戻ろなかったら家に帰るんだよ。」


 ケオはクエェーと小さくないた。


 タツトは墓地の敷地内へと足を踏み入れた。

 門のすぐ前は庭園のようになっていて、墓地はもっと奥の方にあるようだった。


 そちらの方へと進む。


 墓地のエリアへと進むと、月明かりの中にソフィーらしき人影が見えた。


 墓地の真ん中に立っている。

 特に何かしているようには見えないが…。


 そこで視界にあるものが入って来て、タツトの背中は氷ついた。

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