エピローグ:そして緑が生い茂る(3)

 聖王暦二九九年七月。

 梅雨が明けてからりとした夏の空気が気持ち良い季節に、グランディア王国では、第二十代国王エステル・レフィア・フォン・グランディアの戴冠式と、騎士団長クレテス・シュタイナーとの結婚式が同時に執り行われた。

 アガートラムの民は、新たなる時代を担う若き女王とその伴侶を盛大に祝福し、式典を終えた二人が城のバルコニーに現れると、熱狂的な歓呼をもって迎えた。まだ帝国支配の傷痕はそこかしこに残っているが、幸福そうに手を振る二人が、きっと悪夢を消し去って、希望をもたらしてくれる。そんな期待を込めて、紙吹雪が舞った。

 解放軍の盟主から国の首座になったエステルはまず、帝国時代の腐敗した政治の膿を出し切る為、国内の貴族と、国外各地のグランディア駐在官の選定調査を行った。本人からの申告だけに頼らず、客観的な評価を下せる調査官を派遣して、現地の民の声を聞き、悪評多き者は任を解き、信頼できる者には正式な統治を任せた。

 帝国の悪政に苦しんでいた各国とも連携を取り、国内外問わず資金的、物理的、人的援助を送り、再建の道程を補助もした。それによって、大陸全土の文化水準は、一年を数える頃には、旧グランディア王国が在った時期並にまで回復し、道端に転がる痩せた子供の数は、劇的に減った。

 王婿クレテスは、王国騎士団前副団長シャンクス・キルギスタの師事を受け、騎士としての礼節や、部下達をまとめる威厳の保ち方などを学んだ。聖騎士ゼイル・ゲルマンをはじめとする先代からの騎士達も、自分より年若い団長が、真摯に現実と向き合う姿を目の当たりにして、心より仕え惜しみ無い協力をする事を誓った。

 女王を補佐する傍ら、クレテスは年に数度、部隊を率いて旧ラヴィアナ領に赴いた。生まれ故郷に残された人々の支援と、どこかで生きているかもしれない、生き別れた姉レーナを探す為である。当初こそ、「ラヴィアナを捨てて女を選んだ」と批難する声はあったが、辺境の村にも赴き、真剣に民の声に耳を傾けるクレテスの姿を見た者は、彼を四英雄ノヴァの再来と謳い、住む国は違えど故国を想っているのだと、深き尊敬の念を抱くのであった。

『優女王』の遺志を継いで、大陸平和に漕ぎ出す女王。その隣で、毅然とある騎士団長。陰に日向に二人を支える人々。その存在によって、シャングリア大陸は、緩やかだが確実に、復興の道を辿ってゆく。


 そして、女王戴冠から二年半が過ぎようとした、聖王暦三○二年の年明け。王都アガートラムには、年末から降り積もった雪も溶かすほどの喜ばしい旗が揚がる事となる。


 昨晩の報せによって、職務を放り出し騎士服からも着替えずに、眠れぬ夜を過ごしたクレテスは、うろうろと室内を歩き回り、続きの部屋を何度も不安げに見やった。

「少し落ち着きなよ、クレテス」

 転移魔法で送った使者より報せを受け、カレドニアから幻鳥ガルーダを飛ばしてきたアルフォンスが、ソファに腰かけ、苦笑しながらたしなめるが、クレテスは「ああ……」と生半可な返事をするばかり。そんな姿が我慢に耐えなかったらしく、アルフォンスは肩を震わせて笑いを洩らした。

「まったく、猿じゃあないんだからさ。君が落ち着かなくてどうするんだ」

「あら」

 それを見たファティマが、一歳になる息子ユリシスを抱き上げてあやしながら、揶揄からかい気味に、くすりと笑み崩れる。

「アルフォンス兄様だって、ユリシスが生まれる時には、見た事も無いくらい取り乱して見物だったって、ジャスターが言っていましたよ?」

 彼女も国家元首の妻、そしてひとの母という立場になって、人前に出る事が多くなったせいか、以前より顔つきは自信に満ち、物事をずばりと言うようになった。アルフォンスの笑顔が引きつり、かなわないな、と零してソファの背もたれに身を預けた時。

 火のついたように泣く赤子の声が続きの部屋から聞こえて、三人はばっと顔を見合わせた。

「……生まれた?」

「ああ!」

「ですね」

 しばらく待つのももどかしい時間が流れた後、続きの間に繋がる扉が開き、クラリスがはちきれんばかりの笑顔で飛び出してきた。

「クレテス兄様、おめでとうございます。可愛らしい女の子ですよ!」

 女の子、と。口の中で鸚鵡返しにする。先程までの落ち着きの無さとは打って変わって、ぼうっと立ち尽くしてしまったクレテスの背を、ソファから立ち上がったアルフォンスが少し強めに叩いた。

「ほら、早く行きなよ」

「お義姉様に、お声をかけてあげてください」

「『お父様』の初仕事ですよ。がんばって、兄様!」

 ファティマとクラリスにも声援を受けて、扉をくぐる。ベッドに身を沈めていたエステルがこちらを向き、淡く微笑む。出産の疲労からひどく青白い顔をしていたが、それすら愛おしいと思いつつ歩み寄れば、傍らに小さなベッドが置かれ、その中で、新たな生命がすうすうと寝息を立てていた。

「瞳の色はお母様似ですが、髪の色と目鼻立ちはお父様譲りですわね。きりりとした印象の、美しい王女様にお育ちになられますよ」

 産婆がにこにこ顔で告げ、「後はご家族水入らずで、ごゆっくりと」と言い残して部屋を出てゆく。クレテスはしばらく、妻と娘の顔を交互に見やっていたが、やがて、こわごわと左手を小さな命に差し伸べる。その手首では、いまだ瑠璃ラピスラズリの腕輪が光っている。願掛けのように今も外さずにいた物だ。

「瞳、翠なのか」

「はい」

 何を話題にすれば良いか模索しつつ、感想というよりは事実確認をすれば、エステルは幸福そうな表情で返してくる。

「貴方に似てるなんて嬉しくて、将来が楽しみです」

 子供は異性の親に似る、とはよく言ったものだが、自分似では、きつめな印象を与える娘になりはしないか。今から危惧を覚えるクレテスとは対照的に、エステルは両手を合わせ、無くなりそうなほどに目を細めて笑いかけてきた。

 娘の頬に触れる。ふにふにと柔らかくて、この手で抱いたらあっという間に壊れてしまいそうな脆さだ。だが、その感触が、次第次第に、クレテスの心に火を灯す。

 守り抜こう。この命も、共に歩む愛しい人も。そして、グランディア、ラヴィアナだけでなく、大陸中のひとびとの幸せも。

「クレテス」

 夫がその決意に至るのを待っていたかのように、エステルが微笑みかけて手を差し伸べる。

「私達、立派な父親と母親になりましょうね」

「……当たり前だろ。立派な女王と騎士にもな」

 細い手を握って頬に当て、クレテスも満面の笑みを返す。


 何も知らなかった少女と少年は、英雄になった。そしてこれからも、戦いは続いてゆくのだ。

 二人は共にこれまでの道程を思い返し、同時に、訪れる未来を想い描くのであった。



 第一部 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る