テセウスの舟の観測者
長月瓦礫
テセウスの舟の観測者
テセウスの舟の観測者は言った。
「ここに1隻の船がある。摩耗した船のパーツをどんどん交換し、古いパーツがすべて取り替えられた場合、それは同じ船であると言えるのか」
テセウスの舟の観測者は言った。
「あるいは、古いパーツで船をもう一隻組み立てた場合、どちらが本物の船なのか」
ずらりと並んだ無数のフラスコの中には、細部まで綿密に組み上げられたジオラマが広がっている。
ありとあらゆる地形や天候、建物が敷き詰められ、世界中の街から借りてきたような様相である。
「これらのテラリウムにも同じことが言える」
両手を大きく広げ、テセウスの舟の観測者は言った。彼は世界の観測者だ。
下界にいる人間には理解しがたい哲学を投げかけ、実践させ、遊んでいる。
実際、彼らの理解に遠く及ばない服装を身に着けている。
「街に住む人々はもちろん、ビルディングやファミリーカー、バスにバイクに電車に飛行機その他諸々……我々はありとあらゆる物を観測しなければならない」
フラスコの中で街の動きを反映し、何もかもを再現している。
観測者はフラスコを丁重に持ち上げた。道路からは陽炎がのぼっていた。
「これは某国にある大都市の、とある1日を再現した物だ。
その日の天候は晴れ、最低気温は約23度、最高気温は約33度、湿度は約70%、要は
真夏日だ。高く昇った太陽はあらゆるものに熱を加え、焼き尽くさんとばかりに輝いている」
観測者は語りながら、フラスコを元の位置に戻した。
フラスコが割れてしまうと、その街も壊れてしまう。
このような壊れ物への扱いは慎重に行っている。
「さて、ここで最初の話に戻ろう。
このフラスコの中にあるビルディングやファミリーカー、バスにバイクに電車に飛行機その他諸々をそっくりそのまま寸分違わずに入れ替えたとすると、この街は以前と同じ街と言えるだろうか? ここに住む人々は同じ人間であると言えるだろうか?」
何もかもをすべて新しい物と入れ替えた場合、フラスコの中にあるジオラマは以前と同じものであると言えるか。
また、古い物でジオラマを組み立てた場合、どちらが本物の街なのか。
テセウスの舟の観測者は問うた。
「あるいは、ここにいる人々を一人残さずサイボーグ化した場合、それらは生身の人間と同じであると言えるだろうか?」
彼の語ることを実際に行ってしまうと、観測者の役目は終わってしまう。
世界を破壊することは誰も望んでいない。
世界の破滅を願う人々はそれなりにいるというのに、口ばかり達者な愚か者ばかりだ。不満だらけの世界を見ているときほど、不快なことはない。
「なぜ壊れ物の世界を抱くの? と?
それだけフラスコの中に世界を閉じ込め、何の意味があるのか? と?
実に愚かな問いだ。考えるまでもないだろう?」
観測者は少しだけ言葉をためてから、大げさな身振り手振りで語った。
「美しいからに決まっている!
下界にある物は不合理でありながら実に無駄が多い!
愚衆の動きは予測できないし、見ていて不愉快極まりない!
だがしかし、それ以上に美しいのだ。
建築や生物の造形美はもちろんのこと、息が詰まるような愚衆の動き、あっという間に消える命の儚さ……これほど見ていておもしろいものはない!」
世界は無限にある。世界の数だけフラスコは勝手に増えていき、現実を歩んでいく。
すでに滅んでしまった世界も記録として残している。
廃墟が立ち並び、名前のない怪物がうろついている。
それほどまでに下界にいる人間の営みは面白い。
「いつになったら観測が終わるのか?
さあ、いつだろうな。俺には分からない」
観測者は肩をすくめた。天に任せたところであまり意味もない。
人類は勝手に増殖し、滅亡する。それがいつものことだからだ。
それ故に、放っておけない。目が離せない。フラスコを手放せない。
壊れ物であったとしても、観測するのが彼の役目だからだ。
テセウスの舟の観測者 長月瓦礫 @debrisbottle00
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