第19話 作家の本懐

「これは……」


 速水はやみの驚嘆の声が雷斗ライトの背後から聞こえる。全てを打ち終えて雷斗が身を引くと、速水は吸い寄せられるように両手を筐体のフチに添え、食い入るように画面を凝視した。

 その端正な横顔は驚愕の色に染まっていた。彼は画面の上から下まで舐めるように視線を動かし、片手で口元を覆って、そのまましばらく絶句していた。

 雷斗のそばに立つ松葉まつばが、くいくいと雷斗の上着のすそを手で引いてくる。出し抜けな仕草にびくっと驚いて顔を向けると、彼女は微かにはにかんで、「すごいね」と小さな声で言ってきた。

 ドキリと雷斗の心臓が跳ねかけたところで、ようやく言葉を取り戻したらしい速水が声を震わせる。


「驚いたな……。さすが橘香きっかさんが推すだけのことはある……」


 彼は雷斗達に振り向いてきたかと思うと、フッと自嘲めいた笑いを見せた。


「……ナルホドね。確かにこのまま戦っていたら危なかったかもしれない。ロボットの『心』の物語を通じて、キミはボクをさとしてくれたわけか。ボクの先程の作品に欠けていたもの……それは読者と交わす『心』だと」


(……サトすって何?)

《《自分でわかってくれるように教えるってこと。……ライト、伝えてあげて。キミは力があるんだから、誰かを負かすためじゃなく、自分と読者を楽しませるために小説を書くといいよ、って》》


 紫子ゆかりこに言われるがまま、雷斗は速水の長身を見上げる。


「アンタ、力はあるんだから……誰かを負かすためじゃなく、自分と読者を楽しませるために小説を書いたらいいよ」

「……ははっ。そうだね。中学生に教えられていては世話ないな」


 彼は己を恥じるように顔を伏せて笑い、それから、改めて不思議そうな目を雷斗に向けてきた。


「キミがこれほどの筆力を身に付けるに至った経緯も気になるけど……それ以上に、なぜ、敵に塩を送るようなマネをするんだい? ボクが自滅してくれたほうがキミには好都合だったんじゃないのかな」

「……そんな形で負けても、アンタ、彼女を諦めきれねーだろ」


 紫子の言葉を待つまでもなく、雷斗は思ったことを口にした。紫子もそれに同調するように頷いていた。

 一度きりの勝負である以上、悔いを残さない形で終わらせる必要がある……。この幽霊がそこまで考えて今の一作を速水に見せたのだということは、雷斗にも何となく理解ができていた。

 きっと、作品の「濁り」で自滅するような負け方をしたら、このナルシストは「あれは本当の負けじゃない」なんて言って何度もしつこく松葉に言い寄っていたかもしれない、とも……。


「……何か、ボクの性格に関して失礼な誤解をしているのかもしれないけど」


 雷斗の思考を遮るように、速水は苦笑いして言った。


「男に二言はないと言った通りさ。どんな負けでも勝負は勝負として受け入れるつもりだよ。……だけど、確かに、先程のような作品をぶつけて負けていたら、ボクは自分自身を許せなかっただろうね」


 彼は雷斗と松葉に目をやり、またしてもフッと笑った。相変わらずのキザな言い回しにキザな態度だが、心なしか、その瞳は先程までよりも澄んでいるように見えた。


「いつからだろうな、知識や技巧を誇るばかりに頭が向いて、素直に創作を楽しめなくなったのは。そう、本当のボクはそうじゃなかった。ボク自身が先人達の作品から楽しみを享受きょうじゅしてきたように、ボクもまた自分の作品で読者に楽しみをもたらしたい……本来の執筆動機はそうだったはずだ」


 ぺらぺらと一人で流暢に喋りながら、彼は仰々しく両手を広げ、再び自分の筐体の前に立った。

 そして、「橘香さん」と松葉のペンネームを呼び、にこりと彼女に笑いかける。


「ボクが勝てばキミはボクの彼女になる。彼が勝てばボクはキミを諦める。そういうことでいいんだね」

「……ハイ。でも」


 松葉も雷斗の横でにこっと控えめに笑って、答えた。


「あなたがどんなに本気を出しても、彼には勝てないですよ」


 先程と同じく、雷斗のことを言うときだけは、彼女の声は自信に満ちていた。

 そして、彼女はまっすぐ雷斗の顔を見上げて、「ライトくん」と呼びかけてくる。下の名前で呼ばれるのは未だにドキリとした。


「お願い。……必ず勝ってね」


 さすがに手に触れこそしてこないが、そのまっすぐな黒い瞳を見ると、何だか宇宙に吸い込まれそうだった。


「……が、頑張る」


 今にも裏返りそうな声で答えて、雷斗は筐体に向き直る。隣から速水が携帯ミラホを持った手を伸ばし、問答無用で料金の決済をしてきた。それも彼の本気の一部なんだと思い、雷斗は拒まずお礼を言った。


《《ジャンルはSFにしておいて》》

(大丈夫なのか? 相手の得意分野なのに)

《《大丈夫。わたしは小説が得意なんだよ》》


 紫子も楽しそうな顔をしていた。彼女の提案を雷斗が口にすると、速水は「望むところさ」と頷いてそれを受け入れてきた。

 試合規定レギュレーションやライフゲージの表示が次々と画面に現れ、銀色のカードが中央で回り始める。


(……頼むぜ、紫子センセー。コイツ、そこまでイヤなヤツじゃないかもしれないけど、それでもなんか、松葉サンがコイツと付き合わなきゃいけなくなるのはシャクゼンとしないからさ)

《《まあねー。どうせなるならライトの彼女になってくれたほうがいいもんね》》

(はぁっ!? イヤ、そーゆー話じゃないから!)

《《ふふ、じょーだん、じょーだん。すぐ顔に出るなーライトは》》


 熱くなった顔を手で仰ぎ、やめてくれよと脳内で毒づきながら画面を見る。カードが止まって現れたのは、雷斗が聞いたこともない言葉だった。


『マイナーワードは、「ロボット三原則」!』


 超指向性パラメトリックのスピーカーから、男の声のアナウンスが告げる。


(なにそれ? 押さない駆けない喋らない?)

《《人間への安全性、命令への服従、自己防衛……だったかな。アシモフが提唱したSFのガジェットだよ》》

(「だったかな」レベルの暗記じゃねーよ、それ。物書きの頭ってマジでどーなってんだよ)


 困惑を悟られないように必死な雷斗の横で、速水はニヤリと楽しそうに口元をほころばせていた。彼には当然、このお題の意味するところが分かっているらしい。


試合規定レギュレーション2,500文字クォーター・ショート20トゥエンティ分間ミニッツ! Let'sレッツ writeライトNOVELノベル BATTLEバトル!』


 試合開始のアナウンスが響き、時間のカウントが減り始める。速水はクリアブルーの仮想バーチャルキーボードにすっと手を添え、言った。


「キミがアトムやドラえもんを思い出させてくれたおかげで、楽しいバトルになりそうだ」

「……まあ、楽しんでよ」


 雷斗もそう答えてキーボードに手を添える。自分で文章を考えるわけでもない雷斗には、どこまでいっても他人ひと事の感は否めないはずだったが――

 筐体から一歩引いたところに立ち、胸の前でお祈りのように手を組んで自分を見つめてくる松葉の顔を見れば、とても他人事だとは思えなかった。


《《……ライト、今、自分も書きたいって思ってるでしょ》》

(えっ……)


 思いもよらないことを言われ、ドキッとして紫子を見ると、彼女は優しく微笑んで言ってきた。


《《今はまだお姉さんに任せておきなさい。いつかわたしが消えちゃう時までに……大事な子を自分で守れるくらいになれたらステキだね》》

(お前……)

《《そのために、今はよく見ておいて》》


 紫子に手で示され、雷斗は真剣な気持ちで対戦画面を見た。そこには、既に凄まじい速さで速水の文章が綴られ始めていた。

 タイトルは「ロボット三原則改定1950」とある。そして、その本文は――。



【『航宙機動部隊より司令部! 敵味方I識別F装置Fに深刻なエラー発生、敵軍に対し応戦できない! 繰り返す、敵軍に対し――』


  太陽系軌道哨戒しょうかいもうを容易く突破して地球圏に襲来した侵略船団に対し、防衛軍の迎撃兵器は全くの無力であった。異星文明からの侵略を幾度も防いだ優秀な専守防衛システムが、この敵に対しては一切の反撃も許されず蹂躙じゅうりんされていったのだ。

  地球政府首脳部がそのを知る頃には、既に宇宙と地上の全主要都市を敵軍の侵略部隊が制圧し、降伏の勧告が太陽系全域に向けて発せられていた。


 『我々は諸君を生み出した地球人類の末裔まつえいである。諸君らロボットは我ら人類に支配される為に存在する。太陽系領域の全資源を我々に供出きょうしゅつし、我々に隷従れいじゅうせよ。諸君らに拒否権はない』


  繰り返し発せられるその声明は、ロボット社会が幾千年ぶりに耳にする、造物主の肉声であった。 】



(何だコレ。ホントにさっきのと同じアイツが書いてるのかよ……!)


 小説もSFも、なんちゃら原則とやらもサッパリ分からない雷斗だが、速水の文章が先程の作品と全く違っていることはひと目で察せられた。

 映画かアニメのオープニングのような、躍動感のある始まり方。壮絶な戦いの始まりを思わせる圧倒的なスケール感に、何の知識も無くても問答無用で伝わってくるワクワク感。それに何より――


(アイツ……楽しそうに書いてやがる)


 ちらりと見た速水の横顔は、先程の自慢モードの時よりもずっと活き活きとしていた。ムカつくほどスムーズなそのタイピングには、きっと最近の彼がずっと宿すことのなかったのであろう、弾むような熱意が込められているように見えた。



【「直ちに全世界で反撃を開始すべきです! これは侵略戦争ですぞ!」

 「それが出来るなら太陽系に入ってくる前に撃ち落としていますよ。将軍、お忘れですか。我々の電子頭脳には、人間への危害の禁止を定めたロボット三原則が深く刻み込まれていることを」

 「そう、我々はいかなる理由があろうとも彼らを傷付けることができないのだ。有人搭乗型兵器で来られてはすべもない」 】



 息をするようにキーボードを叩き続ける彼の姿を見て、紫子がくすりと笑う。


《《SFが好きな子の文章って感じ。あれがホントのあの子なんだよ》》


 雷斗もしばらく彼の様子に見入っていたが、画面上にロボットの軍人のキャラが現れてビーム攻撃を撃ち出してくるのを見て、ハッと我に返った。


(って、見てる場合じゃないって。こっちの作品は!?)

《《慌てない慌てない。……作家の本懐は、読者を楽しませること》》


 松葉と速水、そして雷斗を続けざまに見て、紫子は楽しそうな口調で言った。


《《松葉ちゃんは法学部志望で、御曹司くんはSF的ガジェットでするのが好きなんだよね。じゃあ、こんな感じかな……。タイトルは、「執行人の一族」》》

(しっこうにんの……一族……?)


 画面上で変換された「執行人」という文字を見て、雷斗は目をしばたかせたる。


(なんかコワそーなタイトル。これもロボットの話?)

《《ふふ。ロボット三原則、×かける法学、×かけるSF的ブラックユーモア。ライトにはね……》》


 平成の紫式部と呼ばれた天才作家は、ふふっと悪戯いたずらっぽい笑みを見せて告げた。


《《ライトには、小説の面白さを教えてあげる》》

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