第25話 彼の想いへの返事を考えたいと思った
夜も更けてランプの灯りに照らされる室内には甘い香りが漂う。綺麗に焼かれた林檎のパイをテーブルに並べる頃にラルフは帰ってきた。
いつものように荷物を置いてラルフはテーブルへとつく。シェリルが紅茶を淹れて差し出せば、彼はありがとうと笑みを見せた。
ラルフが林檎のパイを食べる時、少し子供のような表情を見せる。美味しそうに、懐かしむように食べるその顔がシェリルは好きだった。けれど、これもいつかしたら見れなくなるのだろうなと考えて少し悲しくなりシェリルは目を伏せた。
「シェリル、どうした」
「いえ、なんでも」
なんでもないことではない。けれど、ラルフには迷惑をかけたくはないので、黙ってパイを頬張る。それでも彼の視線が痛いものだからシェリルは苦笑してしまった。
そんな目を向けられては言わなきゃいけない気持ちになる。隠そうとしても彼には隠し事ができないように思えた。
「故郷のことを考えていたのです」
観念したように答えればラルフの眉が少しだけ動いた。シェリルは小さく息をついてパイにフォークを刺す。
「私が故郷に帰ったら、きっと両親はまず叱るでしょう」
フィランダー公爵の部下に見つかって、エイルーン国に帰ったらまずは両親に叱られる。一方的に怒鳴られて、娘の言い訳すらも聞いてはくれない。
その次はと考えてフィランダー公爵がマーカス王子に会わせようとするかもしれないなと思った。謝罪はちゃんと入れておくべきだと理由をつけて、そこで一芝居打たれるのだ。どんな惨めな思いをさせられるのか、想像するだけで乾いた笑みが溢れる。
「次に婚約者だった男に嘲笑れるの。周囲からもきっと白い目を向けらるんだわ」
フィランダー公爵とマーカス王子のことは言わずに話す。あぁ、戻りたくないなとシェリルは思った。此処まで話してやっぱりあんな場所に戻るのは嫌だとそう思った。
「……笑われるぐらい、いいわ。別に、そう別にもう気にしていないもの……。気にしてなんかいないもの……」
だんだんと声が震えていく。気にしていないはずなのだ、自身は。笑われたって、怒られたっていい、その覚悟があって逃げ出したのだ。でも、悲しいと思ってしまうのだけは許してほしかった。味方もいない中でまた暮らしていかなきゃならないのだ、それぐらいは許してほしい。
あぁ、泣きそうだ。いや、もう泣いているのか視界がぼやけていた。一度でも好きになった愛した男に見下されて、幸せを見せつけられて、自身は良い噂のない下品な男の元へと嫁ぐ。そんな現実に涙が出ないほうが無理な話だった。
フォークを皿に落とし、シェリルは顔を覆う。溢れてきた涙は止まらなくて制御ができなかった。
がたりと椅子を引く音がした。ラルフが立ち上がったようで彼の気配が側に近寄ってくるのを感じる。
そっと覆っていた手を退けてみるとふわりと抱きとめられた。ラルフに抱きしめられていることに気付いたシェリルは困惑したように顔を上げと彼の金色の瞳と目が合った。
綺麗な金色の瞳が僅かに揺れていて、けれど何かを決めたような色を纏っていた。ラルフの眼にシェリルは思わず身構えてしまう。
「俺では駄目だろうか」
「え……」
ラルフの言葉の意味が分からずシェリルは目を瞬かせる。彼はまた「駄目だろうか」と呟いて目を細めた。
「俺がシェリルの傍に寄り添うことでは駄目なのか?」
ラルフはそう言ってシェリルの頬を伝う涙を拭った。
お前が帰りたくないというのなら帰らなくていい。ずっと此処にいてくれて構わない。俺は傍から離れることも、見捨てることもしない。
誓うようにはっきりと紡がれていく言葉の意味を理解するよりも先にラルフが告げた。
「俺ではその男以上にはなれないのか」
シェリルは固まった。彼は今、なんと言っただろうか。どういう意味だ、それは。これはまるでそう――
一つ浮かんだのを確信させるようにラルフはシェリルの長い髪を梳いた。
「俺では駄目か?」
「えっと、ラルフさんそれは……」
混乱する頭でシェリルは問う。ただ一つ過ぎる可能性はあったけれど、そうだとは思えなくて。いや、思いたくなかったのかもしれない。
「俺はお前が好きだ、シェリル」
シェリルは悲しげに目を細めた、よぎった可能性の一つを彼は口にしたのだ。
好きだとそんな思いを受け止められるわけもなかった。だって、いつ此処を出ることになるのか分からないからだ。
信じられない、いや信じたくないといったふうに見つめれば、ラルフは「本当だ」とまた言う。
「俺はシェリルが好きだ」
「いつからですかっ……」
シェリルが「そんな気など見せていなかったじゃないですか」と苦しそうに問えば、「少し前からだ」と返ってきた。
きっかけは些細なものだった。シェリルの笑顔が素敵だとそう思った。嬉しそうな顔を見てるとなんだかもっと見ていたいと思うようになった。
任されたことをしっかりとこなしていく真面目さにも惹かれた。誰かを想って叱る姿を見て時に優しく、思い出に泣く姿が胸を締めつけた。好きだと、そう自覚するのに時間はそれほど掛からなかった。
「でも、私は……」
「お前がどんな人間だろうと俺は気にはしない。悪党であろうと、何かしでかして逃げてきたであろうとも俺は全てを受け入れる」
訳を言いたくないのならば話さなくていい、無理して聞くことはしない。思い出して泣きたくなるのなら傍にいて胸を貸そう。ラルフはシェリルの頭を撫でながら言う。
その瞳は真っ直ぐで、嘘の色などしていなかった。あぁ、本心から言っているのだろうな。シェリルはそう確信したけれど、その想いに答えられなかった。だって、追っ手はもうすぐそこまで迫っているのだから。
「……お返事、もう少し待ってくれますか?」
シェリルはか細く問えば、それにラルフは頷いた。
答えられると、受け止められるわけないと、わかっている。わかっているけれど、返事を返したかった。例え、叶うことはない運命だとしても、彼の想いへの返事を真剣に考えたかった。
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