第3話 ウルフス族の青年に助けられる



 馬車を乗り継ぎ七日を過ぎた。なんとかシェリルは隣国であるフルムルへ辿り着いていた。あとは城下の町で仕事を探すだけだ。


 フルムルへと入ると景色ががらりと変わる。最初は田園風景が出迎えてくれて、それから大きな湖の側を通り、林を抜け、小さな町へと着いた。


 そこは石煉瓦の建物が歪に立ち並んでいるところだった。珍しい景色にシェリルは感動したのを覚えている。国から一歩も出たことがなかったので見るもの全てが珍しく心が躍った。


 逃亡していることを忘れそうにもなるほどだった。そんなシェリルは乗り継いでやっと城下町へと向かう馬車へと乗ることができた。乗れたと言っても荷車の後方なのだがそれでも乗れただけ有難いことだ。


 フルムルへと入ったあたりから人間の姿はなかった。見る人、見る人、獣の耳と尻尾を生やしている。見た目は人間だというのに獣耳と尻尾があるのが不思議だった。彼らは半獣人族の一種、ウルフス族だ。狼の耳と尻尾を持つ彼らをシェリルは盗み見る。


 シェリルはローブのフードを被っているため、相手からはぱっと見は人間かどうかは分からない。匂いを嗅がれると分かってしまうらしく、隣に座ったウルフス族の男に「人間とは珍しいね」と声をかけられたぐらいだ。


 彼らの耳と尻尾は本当に生えているのだとわかるほどにぴくぴくと動いている。毛がふわりとしていたり、撫やかだったり、艶があったり。思わず触ってみたくなる欲をシェリルはぐっと堪えた。


 正直に言えば、その獣耳を触ってみたいと思う。ふさふさなのだろうか、ふわふわもこもこなのだろうか、それともさらさらしているのか。その毛感触と触感を堪能したい。けれど、そんなことを頼める訳もないので我慢するしかない。


 どうして城下町にと問われた時は「出稼ぎに」と答えるようにしている。人間が一人で此処にくるということで訳ありだと察してくれて「若いのに大変だね」と納得してくれた。


 それは丁度、城下町近くの森でのことだ、馬車が止まった。どうしたのだろうかと外を見遣ると幼子を抱えた母親が路上で頭を下げているではないか。



「この子をお医者様に診てもらいたいの……」



 話を聞くに子供の病を診てもらいたくて町まで行きたいのだという。しかし、馬の手綱を引く男は「荷車の方なら乗せても良かったが、今そっちもいっぱいだ」とその頼みを断った。それでも母親は何とかと縋り付いている。


 シェリルは丁度、荷車の一番後ろだった。ここならば泣く子供も迷惑にはならないだろう。他に乗っているウルフス族たちは知らぬ顔をしている、自分たちには関係ないと。此処から先を歩きたいとは思わないその気持ちは分からなくもなかった。



「私が降りますわ」



 けれど、シェリルは知らぬ顔ができなかった。荷車から降りると男が「いいのかい?」と問う。「幼子を放っておけませんので」と答えれば、男は少し考えてからこの道を戻れば小さな集落があることを教えてくれた。



「そっちにも馬車が来るから訪ねてみるといい。此処から近いから、歩いて城下まで行くよりはいいよ」


「ありがとうございます。訪ねてみますわ」



 シェリルは礼を言ってから母親に「さぁ、乗って」と促す。母親は何度も何度も頭を下げながら荷車の方へと乗った。走っていく姿を見送ってからシェリルは小さく息をつく。


 今日中に辿り着けると思ったのだが無理そうだ。シェリルはこうなってしまったものは仕方ないと男に教えてもらった集落へと向かうために来た道を戻ることにした。


 なるべく荷物は少なめにしたものの、やはり少し重い。シェリルは慣れない森の道を歩きながら少しだけ降りたことを後悔した。でも、あの場ではそうするのが一番だと思ったのだ。病に苦しむ幼子を見捨てるなど自分にはできなかった。だから、これでよかったと。


 広がる景色は鬱蒼と茂る木々ばかりでどれだけ進んだのかも把握することができない。シェリルは疲れたと少しだけ休憩する事にした。ゆっくりと荷物を置こうとした時だ。何かの気配を感じて慌てて振り返る。


 最初に目に飛び込んできたのは金色に輝く獣の瞳だった。毛に覆われた四つ足の獣、それは狼の姿をした魔物――ワールルだった。


(これはまずい)


 ワールルは飢えていれば人間をも食べると言われている危険な魔物だ。城下の近くの森だったこともあり油断していた。それは視界に見える限りでは二頭いる。


 シェリルとワールルは見つめ合う、二頭ならば誤魔化せるかもしれない。シェリルは指に嵌めていた指輪をそっと撫でる。


 ふわりと淡く光ったかと思うと視界が一瞬、真っ白になった。目を潰されたようにワールルたちが瞼を閉じて首を振っている。シェリルは魔法があまり得意ではなかったが護身用にいくつか使えるように訓練していた。それを発動させて隙を作ったのだ。


 ワールルが混乱している隙にシェリルは森の中へと駆ける。あれは目眩ましだ、視界が解ければ追ってくるのも時間の問題で、どうにか逃げきらねばならない。


 森の奥へと入ってしまっては帰り道が分からなくなる可能性もあった。けれど、見晴らしの良いあの場所よりは木々に紛れる方が逃げ切れる気がしたのだ。


 旅行鞄を抱えながらシェリルは必死に走った。息が切れて胸が痛むけれど、足を止めることはしない。どうだろうかと後ろを確認しようとして――足を踏み外してしまった。


 ごろんと盛大に転げてしまう。頭を地面に強く打ったけれど痛みに悶えている場合ではなかった。慌てて起きあがろうとした時だ、黒い影が覆った。


 顔を上げればワールルが飛びかかってくる瞬間だった。


(あ、駄目……)


 襲われる。そう思った一瞬、ぱんっという破裂音と共にワールルが吹き飛んだ。木々に叩きつけられて地面に落ちる。何が起こったのか分からず驚いて固まっていれば、さっと何かが目の間に降り立った。


 黒い外套が風に靡く、ダークシルバーの短い髪に目立つ狼の耳と尻尾——ウルフス族の青年だった。彼が現れたのと同じく草むらからワールルが飛び出してきた。


 襲いくる彼らに青年は指で小石のようなものを弾く。ぱんっとまた破裂音がして射抜かれたワールルが地面へと倒れた。青年の魔法だろうか、片手に弓を持っていたがそれを必要としないように仕留めていた。


 倒し切ったようで茂みから飛び出してくる気配はない。周囲を見渡して他に外敵がいないことを確認すると青年はシェリルの方へ向いて肩肘をつく。



「大丈夫か」



 それは綺麗な金の瞳だった。その眼が映えるような端正な顔立ちに思わず見惚れてしまう。少しして青年がまた「大丈夫か」と問いかけて手を差し伸べてきたので、シェリルは慌てて手を取ると立ち上がった。



「あ、ありがとうございます」

「どうしてこんな森を一人で歩いている」

「それはその……」



 シェリルは先ほどあったことを青年へと話した。馬車から降りて近くの集落まで向かっていたと。すると彼は不用心なと顔を顰めてしまった。



「確かに此処は王都からほど近い場所の森だが魔物も動物もいる」



 青年に「知らないのか」と言われて、シェリルは「私はこの国に来たばかりで」と自身の無知さを素直に答えるしかなかった。確かにちゃんと下調べもせずに国を飛び出してしまったので、此処がどういうところなのかも知らないのだ。


 怒られるのも呆れられるのもしかたなかった。シェリルは黙って俯きながら彼の話を聞くしかない。



「城下の町に何か用があったのか」

「その、働き口を探しに……」

「なんだ、職に困っているのか」



 青年に「親にでも追い出されたか」と言われて、「そんなところです」と誤魔化すようにシェリルは返した。


 自身がエイルーン国の公爵令嬢であるのは知られたくなかった。どこから自身の身が見つかるか分からないからだ。


 シェリルの返答に違和感を覚えたのか、青年はじっと見つめてくる。その視線に思わず目を逸らした。冷たいというほどではないが鋭いのだ、彼の瞳は。


 一つ、息を吐かれる。青年は「仕方ない」と小さく呟くとシェリルの手を取った。



「着いてこい。このままお前が城下の町へ行っても働き口は見つけられない」



 そう言って青年は歩き出してそれに引っ張られる形でシェリルは着いていく。着いていってもいいものかと思ったけれど、彼が悪い存在には見えなかったので大人しく従うことにした。




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