来栖一香のとりとめのない日々

文尾 学

第1話 前歯のないおっちゃん

土曜日の朝八時、散歩の帰りにお腹が空いたので公園で肉まんを食べていたら、一人のおっちゃんが近づいてきた。


「こんにちはお嬢ちゃん。いやー、わい大阪から来てな。知り合いに会いにきたんや。東京は何回も来てるけどあかんな。人が多すぎるわ」


なぜか親しげに話しかけてきたおっちゃんは、私の横に腰を下ろす。


「なんやお嬢ちゃん、朝ごはんかいな。もっと栄養あるもの食べなあかんで」


そう言って、おっちゃんは笑った。

上の前歯が二本ともない。私は前歯のないおっちゃんの口元に釘付けになった。


「おっちゃんな、今はこんなやけど、昔はでっかい仕事を色々しててん。三億の契約かてとったこともあるんや。あれは一番の功績やったなー」


おっちゃんは嬉しそうに話しながら遠い目をしている。


そんな話の最中であろうと、私は前歯のない口元に注目している。


どうして三億もの契約を取れるような人間が、前歯が二本もないのだろう。身なりはまぁ普通に見える。忙し過ぎて、歯の手入れなどする暇がなかったのだろうか。でも、今おっちゃんがそんな大きな仕事をしているようには見えない。こう言っては何だが、どこかみすぼらしい。


「おっちゃんな、横浜に行きたいねん。友達が横浜におって、今日会う約束してるんや。やのにな、おっちゃん財布を何処かに落としてもうてん。携帯も無くしてな。もう最悪やわ」


おっちゃんは、さも困ったと言わんばかりに頭を抱える。


「多分電車で落としたんやと思うわ。友達と会えればお金借りれるんやけど、なんせ横浜やろ?どないして横浜行けっちゅうねん」


私は空洞になっている前歯を見ている。

アイスを食べる時なんてどうするのだろう。私が大好きなあずきバーを食べようものなら、歯茎が血だらけになるかもしれない。あずきバーが食べられないなんて可哀想だ。


おっちゃんの笑顔が素敵だ。下心をそのまま顔に貼り付けたあほヅラが哀愁を誘う。私はその空洞を何かで埋めてあげたい気持ちになった。私が今MONOの消しゴムを持っていれば、そのまま前歯の空席に突き刺してあげたのに…。


「いやー、困った困った。どっかに優しい人でもおらんかなー」


「おっちゃん」


おっちゃんは嬉しそうな顔をしながら私を見た。その目が期待に満ちているのが分かる。私のことを舐めている、と思った。


「私のこと、甘く見過ぎやで。私も元々は関西の生まれや。残念ながらおっちゃんが何が目的で近づいてきたのか何てバレバレやで。うぶな高校生でも引っ掛けようなんて魂胆が甘ったるいわ。若い子見つけて偉そうな話しした後に、金の工面してもらおうなんて恥ずかしないんか?くだらん話し聞かされて、こっちが金貰いたいぐらいやわ。そもそもな、横浜かどっかにある友達に会う前に、歯医者に行け歯医者に。そのスカスカの前歯でどうやってご飯食べてんねん。おっちゃんにやる金はない。どっか行けや。肉まんが不味なんねん。シッシ!」


「な、何や自分。めちゃめちゃ口悪いな」


「人を見た目で判断し過ぎやねん。ほら、邪魔や。はよどっか行って」


おっちゃんは舌打ちをして何処かに歩いて行った。

しょうもないおっちゃんや。


半分ほど残った肉まんに、辛子をたっぷりつけて頬張る。

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