第396話 染み
「海の審判、か」
世界が血の海に沈んでしまう。
かつて、世界を手に入れることが叶わなかったオロロ。グルベールはオロロに成り変わり、その夢をもう一度叶えようとしているに違いない。
だが、肝心の術の条件はどこにある。
「太陽の始祖が対峙した時も、海の審判が発動している。その時、始祖達がどう対処したのかが分かれば……」
海の審判はおろか、オロロが何故倒されたのかの記載がほとんど無い。
この街のどこまで血の海に浸かっただの、山の向こうに赤い水平線が見えただの、そんな話ばかりだ。
焦りからか、呼吸が乱れる。無理やりページを開いたが、そのページに書かれた日付は遥か先のものだ。
「おい、開き過ぎたか」
ページを戻そうとした、その手が止まる。
その日付は、太陽の始祖がオロロを対峙した、およそ二十年後。
「駄作の術の兆しあり……?」
オロロは倒され、穏やかで平和な日々を手に入れた筈の世界。
「暁月の日、空が赤く染まり、月が二つに別れた──って、
巨大な術の光線が、空を駆けていた。
海の審判が起きた、あの日と同じように。だが、兆しだけで、結局世界は穏やかなまま何も起こらなかったという。
「二十年後、どこかでオロロの術が発動した?」
離れた場所から目視できる程の、巨大な術の兆し。
術者が命を失っても、術は残る。あの、上下があべこべになってしまった観光地のように。
オロロが置き土産として残したのは、見えざる者だけではなかったのかもしれない。
「1000年前、雷火の年の暁月……。この日付け、どっかで見た気もするが……ん?」
ふと脳裏に、アイリの姿が浮かぶ。
「
ブライアンはそう告げた。
19年ぶりの
18歳のアイリには、関係ない筈の話だが。
「
苦笑しながら、ページを戻そうとめくった──次の瞬間。
キイイイ──バタン!!
はっきりと、重い扉が閉められたような音が響く。
「お、おい! どこか閉まったぞ?」
「まさか、んなわけねぇ。扉なんて無いっすよ、どこの音だよ」
ショウリュウも辺りを見渡すが、盗賊達の言う通り、扉らしきものは見当たらない。
スクワラも、ショウリュウに倣い探索するが、すぐに戻り首を横に振った。
「特に出口も閉じられておりませんぞ」
「おい、クー。臭いで辿れるか?」
腕にしがみつくクーに尋ねるが、クーは不安そうに体を震わせるだけ。
「クー?」
「キュ……」
呼びかけるが、様子がおかしい。明らかに怯えている。
「おーい、そこに誰かいるのか!?」
ボスが当てもなく叫ぶが、返事をするのは壁に跳ね返った彼自身の声だけだ。
「一度、引き返しますかな」
「いや、もう少し──」
呟くように返したその時、ぞくっとした感覚がショウリュウの背中を撫でる。
「そこか!!」
素早く振り向き、歯で無理やり札を引っ張り出し、足でうまく蹴飛ばす。
「
風が刃となり、本棚の間をぬうように飛んでいく。同じ方向に、クーも飛びかかった。
──沈黙。
ボスが、恐る恐る背後から声をかける。
「やったんかい」
「……いない」
そこにはもう、何の気配も無い。クーも困惑した様子で、キョロキョロと見回す。
どうやら勘違いだったらしいと、盗賊達は揃って安堵する。だが、ショウリュウは警戒したまま、忍び足で先に進む。
腕が使えないのは、こうも不便か。軽く舌打ちした──次の瞬間。
ショウリュウは、ハッと顔を上げた。
「違う、上だ!!」
ズズーーーン!!!
「うわあああ!!」
ショウリュウのとっさの叫びと、盗賊達の悲鳴が重なる。
図書館全体が、激しく揺れだし立っていられない。
バコバコと本棚が動きだし、弾き飛ばされた本がバラバラになり、床に散らばる。
天井に紫色の染みが広がり、じわじわと形を変え、人の顔の形を成していく。天井から下へ、みるみる染まっていく。
「クソッ、また術か!」
──何者か?
「か、壁が動いとる!!」
「逃げろおおお!!」
──この神聖なる塔に立ち入り、眠りを妨げるは何者ぞ?
「おい、声が聞こえるじゃないか!!」
「な、なんて言ってんだよぉ!!」
「キュッ!!」
「クー! おい、そっちに行くな!」
床の下から、隙間から、力が溢れだす。
図書館がショーウィンドウのように輝く。キラキラと光を放つ力の波に、我を忘れたクーが突っ込んでいく。
ショウリュウよりも、盗賊の部下の腕が先に伸ばされた。精一杯伸ばした指先が、クーに触れる。
「イタチ、こっちだ! 転がれ!」
「危ない!!」
紫の力の渦が、彼等を飲み込もうとしていた。
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