第365話 杖

【コドマ通り】



「ルーカス……」



川沿いの穏やかな通り。トニーは、杖を必死に動かしながら小走りで駆ける。


心臓が激しく音を立て、口から不自然な呼吸が漏れた。


全力で走ることは出来ない。目の見えない彼は、周りの気配だけが頼りだ。神経を研ぎ澄ませ、ひたすら彼を探す。


足元の段差を見逃し、派手に転んでしまう。



「イタッ……」



杖の転がる乾いた音がして、慌てて腕を伸ばし杖を掴む。


だが、そんな彼に手を貸す者は誰もいない。



──おかしい、人の気配がしないなんて。



トニーは、自らの目の代わりには自信があった。


まさか、この通りには誰もいないのか。いつも賑やかな通りなのに。


肌寒い感覚が駆け抜け、身を震わせた──次の瞬間。



「あ!!」



一体、何本の足があるのか。


大勢の人間の足音が、強い気配と共に聞こえてきた。列になって並んでいるかのような、揃った足音。



「ルーカス、そこにいるの?」



いないかもしれない。だが、誰かに居場所を聞くことは出来る。


嬉しくなり、急いで立ち上がったトニー。手のひらにつく砂も気にしない。


だが、その勢いはすぐに削がれた。



「……口にチャックしてるの?」



確かに感じる、大勢の人の気配。騒がしい筈の彼等から、話し声が一切聴こえてこない。


ザッザッザッ。


そこでようやくトニーは、きっちりと揃えられた足音の不気味さに気付く。


足音は、みるみる大きくなっていく。揃った歩幅が、彼には見えないぬかるみに、連なった跡を残す。


トニーがじりじりと後退りした、その時。



「……!!」



この気配は。


背中の奥深くからせり上がってくる、ぞくぞくとした感覚は。



「アレ、アレェ、コドモダ、ヨヨヨ」



その見た目は、トニーの目には映らない。


子供のお休みの味方になれなかった、ぬいぐるみ。太く短い足をぶらぶらさせ、突き出した血管も揺れる。



「コンニチハ」



動いてはいけないと察し、足が震えてしまう。いや、足が動くなと訴えている。



「ムシ、カナシイ、カワイソウ」



目が見えないのは、この状況では幸いなのか。


聞きたいことがある。杖を握る手が震えだしたが、無視してぐっと力を込め、腹の底から声を絞り出す。



「ねぇ、ルーカスそこにいる?」



「……?」



わざとらしく傾く、ぬいぐるみの首。


目を閉じて集中するが、人波の中にルーカスの気配を感じない。この辺りにいたなら、恐らく見えざる者に襲われただろうに。



「ボクと同い年くらいの、赤いマフラーの男の子だよ! そこにいないの?」



そう尋ねると、ぬいぐるみがわずかに微笑んだようだった。



「……ココニイナイ、イナイイナイカナシイ」



「ここにいない、だって?」



それ、ここにはいないということではないのか。


ここにはいない、どこにいるかは知っている。トニーは、呼吸を無理やり整えてキッと顔を上げた。



「どこにいるんだよ、ルーカスをかえせ!」



「キイテミル?」



「え?」



ぬいぐるみの目が、ぐにゃりと歪み、周囲の景色が歪む。



──何だろう、きもちわるい!!



目には入らない光が、奇妙に点滅しながら周りを取り囲む。膨れ上がる光と共に、操られた人々がうめきだす。



「おおおお……」



「うう……愛してるわ……どうして……」



「サマンサ……ああああ……許せ……」



これは、今朝と同じ。


トニーは嘆き続ける彼等の中に飛び込み、なんとかルーカスを探そうとする。本当に、この中にはいないのか。


そんなトニーを見下ろし、ぬいぐるみは再び笑う。



「ミンナ、ルーカスッテシラナイ?」



機械のような抑揚の無い声で、上から人々に問いかける。泣き叫ぶ人々には、ぬいぐるみの声は届かない。


分かりきっていただろう。ぬいぐるみは手を叩いて、大袈裟にはしゃぐ。



「ミンナ、コタエナイ! ルーカスドコ、キミモカナシイ、カワイソウ!」



カナシイ、カワイソウなどと言いながら、愉快そうに喜ぶ。トニーは思わず顔を赤くして、言い返す。



「どこにいるか知ってるんでしょ、ルーカスを返してよ!」



「ヨヨヨ、カワイソウ!……すぐそばにいるよ、見えてないんでしょう?」



急に流暢になったその言葉に、トニーは驚き大きく目を見開く。



──さっきまでの気配じゃない、誰?



「分からないかい?」



「え?」



「ボクだよ、分からない?」



鮮明に耳に届く、まだ小さな子供の声。



トニーと同い年くらいの、あどけなさが残る高い声。



「え、その声……」



「やっと気付いた?」



──どうして、どうしてこんなことに。



「ルーカス!?」



トニーは混乱し、頭を抱えた。



「ど、どこ!?」



ぬいぐるみの話す声は、間違いなくルーカスのもの。だが、ルーカスの気配は全く感じない。


そこにいるのは、ただぬいぐるみだけだ。ルーカスの姿はどこにも無かった。


そう、ただぬいぐるみだけ。



「……どうなってるの?」



「どうなってると思う?」



「ルーカスは?」



喉の奥がカラカラと渇く。


言葉を失うトニーに、見えざる者はするすると近付き、小さな手を伸ばす。



「ねぇ、君もこっちにおいでよ」



ぬいぐるみの瞳に光が宿った──次の瞬間。



ピシュン!!



「……!!」



一筋の美しい光線が、見えざる者の腕を貫き、吹き飛ばす。



「ちょっ、ちょっと」



ワタワタするぬいぐるみの足元を、強い風が刃となって刺す。


風に煽られたぬいぐるみはバランスを崩し、ぽてんと地面に倒れた。



この気配は。



トニーの指先に、じんわりと血がぬくもりとなって巡る。



「みんなぁ!!」



「トニー君、良かったわ。間に合ったわね」



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