焼きりんご 第9話

 これのどこが喫茶店だ。  

 そう言おうと思った。でも、エリちんはさっさと待ち時間の表に名前を書いている。  

 入り口に日本酒の酒瓶のいっぱい飾られた「喫茶店」は、平日だというのに、疲れたサラリーマンで賑わっている。  

「日本に帰ったら日本酒。そうしないともったいないっしょ」  

 エリちんは私にメニュー表を渡し、勝手に食べ物をさっさと決めて注文した。鶏軟骨、焼き鳥、かにチャーハン、大根サラダ、刺身3種盛り合わせ、和風サイコロステーキ、なすの漬け物、ざるうどん、お茶漬け……。私はコンサートの後に夕食を済ませていた。こんなには食べられない。責任とって全部食べてくれるんだろうか?  

 エリちんは勝手に頼んだオーダーをほとんど一人で平らげた。私は、この人の体格を作り上げてきた事情に納得した。  

「で、なんで泣いてたんだっけ?」  

 お茶漬けをすすりながら、エリちんはこちらをちらりと見た。凄いな、この人、掃除機みたいに米を吸い込んでる。どんだけ入るんだ、はるかが余るほどの鍋を作ったのはそのせいだったのか。  

「あ、ええと」  

 こんな「喫茶店」で、まだ酒も多くは入っていないのに、そこまで語る気にはなれない。エッチが上手すぎて不安になるなんて言ったら、この人は私にむかって米を吹き出しそうだし。向かってくる感情が強すぎてとか、そもそも、それはなんの惚気かと言われるような話で。そもそも不安の原因がなんなのか、自分でもわかっていない。私は違う言い方をした。  

「ちょっとしたことで、はるかの昔付き合ってた人のこと、考えちゃうの」  

 エリちんは米を口元につけたまま、動きをとめて私を見つめた。  

「どんな?」  

「だから、たとえば、ほんと、ちょっとした……」  

「たとえば?」  

 私は耳がかあっと熱くなるのを感じて、冷たい酒をあおった。かえって喉が熱くなった。  

「あの、たとえば……料理とかしてても、はるかは、なんかあるみたいなのね? なんとなく、不機嫌なのよ」  

「なんじゃそりゃ。ちゃぶ台ひっくり返すオヤジじゃあるまいし」  

「何ていうのかな……ひっくり返しはしないし、はるかも作ってくれる。ちゃぶ台オヤジとか、そんなんじゃないんだけど……」  

「あいつも料理好きだしねえ?」   

 エリちんは手をあげて店員を呼ぶと、新しく酒を追加注文した。そして私のために白玉ぜんざいを頼んだ。

「あ、お茶漬けください。取り皿として、同じ大きさのどんぶりも空でください」

「え? 私、お茶漬けまでは無理だけど……」

「大丈夫」

 エリちんはお茶漬けと取り皿が来ると、お茶漬け用の空のどんぶりに日本酒を注いでよこした。  

「ほれ。丼で飲むの、好きだろ。ウヒャヒャヒャ」  

 私はべつに、丼で飲むのが好きなわけじゃない。ただ酔ってくると、ちっちゃいグラスにちびちび注ぐのが面倒になってくるだけだ。こんなふうにまだ酔ってないうちから、人目のあるところで丼に注がれても。  

 お茶漬けでしめるのかと思っていたら、エリちんはまた同じようなオーダーを繰り返しはじめた。唐揚げ、豚サラダ、ピザ、チーズもち、芋団子、かぼちゃの煮つけ、いかの刺身、さんまの塩焼き、さつま揚げ、たこわさび、ポテトサラダ、うなぎのカリカリ焼き、……。  

「シメじゃないの!?」  

「え? お茶漬け頼んだから? バカだね、あんたにどんぶりを提供するためだよ」  

 どれだけ酒乱だと思われてるんだ。はるかのせいだ。はるかが私を酒乱だとか言うから、この人はそれを信じきっている。  

「酒乱なんだろ?」  

 エリちんはにやりと笑った。  

「飲むと脱ぐレベルの」  

 エリちんの声は野生のように太く、魂を割って話すための起爆剤のようなものを含んでいる。彼女はにやっと笑った。  

「全部話せ。飲むと脱ぐレベルのが、今さらいいかっこすんな」  

 そんなふうに言って、エリちんは、はるかには黙っててやるからと請け負った。私はそれを全部信用するわけではなかったけど、料理についてエリちんに愚痴った。  

 はるかが、食べて、ぶーたれだしたのだと。きっと昔の彼女といろんなものを一緒に食べて、いろいろと遊んで、同じ時間を共有して、一緒に料理をつくったのだろうと。  

 正直、女の子同士で付き合ってみたはいいが、うっかりするとただの友達のような付き合いになりそうな感覚もあって、恋愛のテンションを保っていけるのかも心配だった。だからといって、無理に男女の真似事をする気にもならない。無理をすればはるかは気づく、それはいたたまれない。

 デートだって、はるかがどんな付き合いを望んでいるのか、よくわからない。外でベタベタはしにくいから、家デートが多いけれど、本当はどこかで美味しい食事でもとって、映画に行きたいのかも知れない。  

 正直、私は今まで男の子とばかり付き合ってきて、しかも自分から動くことがほとんどなかった。恋愛に慣れていない初期の頃に失敗したからだ。基本的には動かず、むしろわざと引くように努めていた。デートコースも全部相手におまかせで、私はただ「何が食べたい」「どこへ行きたい」と言っていれば、彼らは喜んでリードしてくれた。はるかが相手だと、なんとなく任せっぱなしにしては悪いし……自分でいざそういうことをしてみようとすると、不安が抜けない。

 私は、意外と空っぽだった。  

 外でベタベタしていいのか……も、わからない。私がいいと思っていても、はるかが嫌だったら? はるかがいいと思っていても、私は、知り合いに会いそうなところでは不安だ。それをはるかに伝えたとき、はるかかがどういう気持ちを抱くのかもわからない。

 家での食事を作ったはいいが、自分ではそれがおいしいのかどうかもわからない。はるかの料理が美味しいので、私も得意料理を作るようにはしているけど、はるかの反応がぜんぜんわからない(反応がいまいちわからないのはHもそうだけど)。  

 そんなにおいしくないのか。一生懸命作っているんだから、ちょっとぐらい嬉しそうにしてくれたっていいでしょう。 

 笑ってよ、私のすることで喜んでよ、おいしいって言いながらそんな顔しないでよ。そんな顔してもかまわないけどさ、せめて、まずいと思っても隠してよ。どうしていいかわからなくなるよ。  

「要はね、私が料理からデートプランから、まぁエッチ的なのも含めて、下手なのかもしれないけど、一方的に私だけが楽しんでて、はるかは楽しんでないの。私だけ楽しいんじゃ、楽しくないの、不安になるの」

 本当に愚痴っていた。エリちんが黙って差し出す丼で酒を飲みながら。エリちんは、私が一人で長々とこぼす言葉を、ほとんど合いの手もいれずに、ずっと黙って聞いていた。  

 そして、最後に言った。  

「はっきり言って、考えすぎだと思うよ。はるか、たぶん一緒にいるだけで喜んでると思う。うち来なよ。料理以外のことはまぁ、本人たちでどうにかするしかないと思うけどさ、料理なら食ってもいいんじゃないかな。あんたが好きすぎて、料理がくそまずいの、ハッキリ言わないってことはあるかもね。うちでそれ、作ってみなよ。食ってやる。考えてやっからさ」

 ――はるかには内緒でね。好きな子の料理をあたしが食べてるとか、怒りそうだし。

 エリちんはそう付け足した。

 



「酒くさい」  

 次の日の朝、はるかは私の変化にすぐに気付いた。  

「児嶋さん、飲みましたよね?」  

 はるかはトントンと書類を机で揃えてクリアファイルに入れてから、私のデスクのほうにそれを滑らせた。いつもはちゃんと手渡してくるのに。紙がしゅっと音をたてて私の手元に滑り込んだ。相変わらず作業が早い。こっちによこすのまでスピードをつけられると、なんだか攻撃されているみたいだった。こういう時は、仕事の机が隣同士なのはあまり具合がよくない。  

「いいでしょ、飲んだって」  

 昨日の酒の原因ははるかなんだから、ちょっとは気遣ってほしい。  

「私の机にまで、お酒のにおいがただよってくるって言ってるんです」  

「じゃあ鼻栓でも耳に詰めててよ」  

「それを言うなら耳栓を鼻にでしょ? 児嶋さん、お酒残ってるんじゃないですか!」  

 ブグッ、と、後ろで笑いをこらえる音がした。振り向くと、派遣の指揮命令担当の堺が、二重顎をくるしそうにゆがめて、息を飲み込んでいるところだった。  

「あのさ、二人とも、仲良く喧嘩するのはいいんだけど、新入社員くるからね。また前みたいな戦争勃発しないでね。面白すぎる会話ぐらいにしといてね」  

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