果実 第20話

「児嶋、さん……?」

 飾り過ぎない爪先は、今日はうっすらとグラデーションがかかって、何の石もついていない。指を絡めたくなるような細いみずみずしい指先が、なぞるような動きで児嶋さん自身の肌をすべる。襟を少しずつあける。ちらりと鎖骨がのぞく。

 そのまま彼女はパジャマから両肩を抜いた。首から下の流れるようなラインが現れ、児嶋さんは目をとじてのけぞった。

「ちゃらら~~らららら~~」

 彼女は座り込み、足を高くあげた。そして睨むようにこちらを真正面から見た。

「ちゃっちゃっちゃら~~」

「なにしてるんですか」

 私は口をあけたままになってしまっていたようだ。

 な、なにこれ。本当になにしてるんだ? ストリップか? 笑うところ?

 パジャマのズボンを時間をかけて全部脱いでしまうのを見ているうちに、まるで遠くから自分たちを見ているみたいに冷静になれた。行動に出そうだった脳の火照りが冷めた。児嶋さんは見せ付けるかのようにパジャマの布をはだけ、腕をしなやかに上げ、そして半分脱いだ状態で足で水面をなぞるように床にゆっくり円を描いた。

 うつむいた背中のラインや表情にふと児嶋さんの孤独が入り混じり、今にも崩れそうな崖の上の花のような色気を放っていた。ダンスは様になっていないが。だんだんこっちも肝が据わってきた。

 襲ってほしいのか? なんなんだ!

 我慢プレイですか。我慢させて楽しみたいんですか。たのしいですか。私をからかおうっていうんですか。残念ながら私はMでもありますよ。ええもう我慢してやる。マゾ上等!!

 児嶋さんは袖からパジャマを抜いた。

「麻生さん、ちゃんと見てる?」

「見てますよ」

 ムラムラというのは、限度を超えると、イライラに近くなる。

 見てほしいって言うなら見てやる。

 どこまでできるか、見てやる。

 児嶋さんはパジャマのズボンも脱いでしまった。ブラのホックもはずした。脱いだ服を旗のように振りながらお尻を振って踊っていた。途中からマラカスでも振るかのような動きを楽しみ始めた。踊りすぎて酔いがまた回ってきたのか、彼女はふらついて、へなへなと座り込んだ。

 そのまま、彼女は、視線の先に脱ぎちらかされていたパジャマを丁寧にたたみはじめた。

 たたみ終えたパジャマを見て、首をかしげ、児嶋さんは唇をちょっと歪めてムスッとした。仕草が可愛かった。

 自分のやってること、わかってないな?

「続きは?」

 意地が悪いと、自分でも思う。

「見てほしいんですよね?」

 児嶋さんはうつむいた。光るサテンのシルバーのブラジャーが、肩に引っかかって、かろうじて胸を隠している。児嶋さんはするりとそれを抜くと、胸の前で両手で握った。サイドリボンの揺れるパンツだけの姿になっていた。

「目の前で1人でしてもいいですよ。全部見てますから」

 私をまっすぐに見る瞳に、みるみるうちに涙が盛り上がった。

 いじめすぎた!

 私はうろたえた。

「うそですうそです! 今のはなし、」

 児嶋さんの口がへの字になってくる。やらかした、失言だった。

「な、泣くぐらいだったら、脱がなきゃいいじゃないですか。もう、児嶋さん……いいじゃないですか。いいですよ、途中でやめても」

「だって、こうでもしないと麻生さん、そばにいてくれないんでしょ!」

 掠れた涙声だった。

 ガツンと頭を殴られたような衝撃が襲った。思わず飛び起きた。

「え?」

「麻生さんが、一緒にいてくれないから、私」

 何を言っているのか、わからない。

「ええっ、嘘、ちょっと、何言ってるんですか! 避けてたの、児嶋さん……ですよね?」

「脱いでやる」

 児嶋さんは頬を膨らませて、さっきたたんだ服を掴んで、床にたたきつけた。立ち上がると、腰からリボンを引っ張り、最後の下着を落とした。

「ちょっと、児嶋さん」

「脱いでやる!」

「脱いでも別にいいですけど、そういうつもりじゃないんですってば!」

 っていうか、もう脱いでるじゃないですか! どこ行くの!? 全裸で!

 玄関先でドアノブをガチャガチャやっている児嶋さんに抱きついて、ブラを放りなげてしまう手を押さえた。彼女は暴れて、私を引っかいた。

「大嫌い、麻生さんなんか!」

「玄関から出るつもりじゃないですよね?」

 児嶋さんをぎゅうっと抱きしめた。

 彼女は私に抱かれたまま、天井を見上げて、嗚咽していた。

「どうしろっていうの」

 いつもよりも低い、彼女の声が耳元で震えている。

「あんなふうにされて、あんなのされたら、私、どうしたらいいのかわからないよ? 私から麻生さんに近づけなくなっ、……」

 語尾をへろへろとゆるませて、彼女は喉をつまらせた。

「児嶋さん……?」

 彼女は私の手を振り払い、私を睨みつけた。

「いきなりあんなの、ない! 何も言えなくなる。これで私が麻生さんに普通に近づいたら、麻生さんはそう……そういう、ふうに、とるんでしょ。麻生さんと恋愛? わかんないよ。わた、私が、まだ麻生さんといたいと思ったって、私から動けっこないでしょう。どうしろっていうの。わけわかんないよ」

 すとんと、得心がいった。

「それは、そうですね」

 そんなことを考えていたのか? ずっと?

 襲ってもいいとまで言い、脱ぎまでしたのは、そうしないと私が冷たいから? 自分がどんなよそよそしい態度を取ってしまっているか、まったく気づかずに、私が泣かせてしまったのか。

 児嶋さんに、ここまでさせてしまったのは、私なのか。

「ごめんなさい」

 私は、背中をゆっくりと撫でることしかできなかった。

「責任をとれ」

 睨むように見上げてくる目は真剣そのものの炎を宿していた。

「責任……」

「私からは、麻生さんに近づけないから。逃げるしかないから。ちゃんと、前みたいに遊べるように。修復しなさい。普通に、一緒に、いられるように、してよぉ……」

「――――」

 完全に血がのぼった。涙がこぼれないように息をとめて我慢している児嶋さんを、抱くようにかかえこんで、唇に唇を押し付けた。児嶋さんがじたばたともがいた。

 ――うれしい、うれしい、どうしよう――!

 児嶋さんに平手打ちをバチンとやられた。

 すぐに我にかえることはできなかった。児嶋さんの引力から自分の身体をひきはがして、息をととのえた。感情の高ぶりを、どうしていいのかわからない。

「私がちゃんと好きになる前に、そういうことをしないで」

「ごめんなさい。ちゃんと、ちゃんと好きになっ、てから、……」

 いったん答えるのをやめて、頭の中で反芻する。

「児嶋さん」

 児嶋さんはむすっとふくれた顔で私にハテナマークを返した。

「それは、あの、可能性がある、ってことですよね?」

 可能性……。児嶋さんが小さくつぶやく。

「私を好きになる可能性、ないわけじゃないんですね?」

 児嶋さんの頬がみるみるうちに真っ赤になった。

「……知りません」

 なに、この反応?

 花火があがった。

 冷静に――冷静に――冷静に!

「児嶋さんが私を好きになるまで、もう、むりやりチューしたりエッチなことしたり、しません」

「……あたりまえだよね?」

「約束します」

「じゃあ、抱っこ」

 急にドキドキしてきて、私は児嶋さんを抱きしめた。児嶋さんの素肌のままの胸の、とがった小さな桃色が、ふにゅっとゆがんで柔らかさを主張した。あまりに目に生々しかった。そこばかり見てしまいそうで、パジャマを拾って着せた。着せるそばから児嶋さんはパジャマを脱いだ。

「ちゃら~らら~ら~」

「おね、おね、おねがいだから、ぱんつはいて……」

 パジャマごと児嶋さんをベッドに追いやった。

「まだわかってない、麻生さんは」

「なにがですか」

 児嶋さんは私をじいっと見つめた。

「私が、麻生さんのためだけに脱いだと思ってるんでしょ。そう思ってるでしょ。私はただ、脱ぐのが好きなだけなのよ」

 この人、……かなり重症だぞ。

「わかってる? わかってるんですか麻生さん?」

 どうしようこの酔っ払い。どっちにしても一人で帰したら危ない。

「いい子だから。抱っこしますから。もう寝ましょうね」

 ベッドの中で、脳みそがピンク色の湯気を噴出すのを感じながら、児嶋さんにパジャマを着せ、そのまま抱きしめた。

「ん……」

 彼女はうっとりと私の肩に頭をすりつけた。

 強烈に酒のにおいがした。

「なんだかな」

 呟く私に、児嶋さんがきょとんと目を合わせてくる。

「児嶋さん、明日になったら、今日言ったこと忘れたとか言うんだろうな」

「なにそれ?」

 この人そういうことしそうだしな。忘れたと言うほうが都合がいいって、計算するだろうな。

「だからね、お酒が入ってたせいにして、色々言ったの、全部忘れたとか言いそう」

「忘れるわけないよ」

「……そうですか?」

「私は、だって、話したいから来たんだよ。飲んでまで話したかったぐらい大事なことなんだから。忘れるわけがないでしょう」

 笑ってしまった。前後がぐちゃぐちゃだ。酔ってる。

「隆史さんと会ってる時間から飲んでたじゃないですか」

「さっき飲んだのは、麻生さんと話すためだよ。勇気を出すため。話したかったから。ちゃんと。忘れるわけないでしょ」

 そのまま、寝息をたてかけ、もう一度目をさまして、私を引き寄せる。

 胸が熱い。温かさがかたまりになって膨れ上がり、喉元までこみあげるが、言葉にならない。うなりたくなる。私が力を入れて抱きしめたのに満足したのか、苦しくなったのか、児嶋さんは後ろを向いてしまった。

「聞いてもいいですか?」

 児嶋さんは答えないでむにゃむにゃいっている。……ああ、ひっぱりたい、この頬。

「あのね。貴史さんとホテル行きたくないって言ってたでしょう、……私の部屋にくるのは無理だと思わなかったんですか?」

「…………?」 

「だから、つまり、あー…と、私のことを信頼してくれたんですかね? それとも、私とえっちなことするほうが、隆史さんよりいいと思ったんですかね? たとえば」

 勘違い人間と言われそうな事を聞いている。

 いや、でも、そうでしょう、疑問ですよ。私、あなたのこと押し倒しましたよね? いくらなんでも、普通はそこでこっちに来ようとは思わないでしょ。

「えっち……? 隆史より麻生さんとのほうが、……いいかと思った……か、うん? ……」

 考えてみるような間があった。

「うん、そうだと思う……」

 寝ぼけているのかと思ったが、児嶋さんはいたって真剣だった。

「隆史のことは、好きだから」

「…………」

「いま、そういうことしたら、だめなの。おかしくなりそう。できない」

 それは、なにか?

「私のことは、好きじゃないから平気とか言っちゃいます?」

 隆史さんとはそういうことになって耐えられないほど好きだけれど、私と何かあってもそこまで何も感じずにすむから、ましだった、と。まさか、面とむかって、そう言ってるんじゃないだろうな?

「…………」

 フォローがないのは、そのとおりだからなのか、もう意識が飛んでるからなのか?

 眉間がぎゅーっと水分を勝手にしぼりだそうとする。

 ひどい。児嶋さん。それはひどい。

 ひどいですよ。酔っ払いなんて、こんなもんか。

 もう我慢しないで、泣いてやろうと思った涙が、引っ込んだ。児嶋さんの体が震えだしたから。

「児嶋さん」

 肩に手をおいて話しかける。児島さんは振り向こうとしなかった。

「…………」

「え?」

 児嶋さんの喉が、空気を狭める音を出した。

「……大好きだったのに。大好きだったはずなのに、ぜんぜん、できない。隆史に、できない。……優しくできない」

 彼女の喉からヒイヒイと音が聞こえはじめた。

 なんだこれ……。ずるいぞ。どうしていいかわからない。

 きりきりと皮膚が痛むなか、児嶋さんを後ろから抱きしめた。抱きしめたはいいけれど、それ以上のことができない……身体を動かすことすらできない。触れたところから、痛みが伝わってくる。

 この夜の、まったく私に対して思いやりのない児嶋さんは、私のみぞおちに深く重く嵌まり込んだ。部屋とベッドをのっとられて、ぐでんぐでんのただの酔っ払いになってしまっているのに、たぶん、彼女の痛みに真剣味があったから。

 真剣なものに触れたら、真剣でしかいられなくなる。

 でも、児嶋さんがそういうつもりなら、私は縛ってやる。私が多少強引に縛ってあげないと、児嶋さんが私と関係を作りにくいというなら。児嶋さんが、少しでも一緒にいたいと思ってくれているというなら。その方法を一晩でも考えてやる。こんなチャンスをそのままにはしない。嫌われてはいないのだ。

 私は、今日言われたことは忘れないしね。  

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