果実 第17話

 児嶋さんはベッドに大の字になっていた。

 あー……シャワー浴びたからね。ナマ足だよね。脱いだストッキングってもう一度履くのイヤだし。よくわかります。

 ブーツ履いてれば問題ない丈だよね、そのニットワンピース。履いてればね。

「児嶋さん、帰りましょ」

「眠い。寝ます」

 彼女は髪が濡れたままで、私のベッドの枕は見事に湿っていた。

 朝まで寝かせてあげたほうがいい気もした。少しぐらいはハグしてもいいだろうか――せめて、においを嗅ぐだけでも、そう思いかけて、帰すべきだという結論に行きついた。

「シャワー浴びたんですか? お湯わかりました?」

「ん~~。水だった」

「は!? 水? 真冬ですよ?」

「雪山遭難みたいじゃない。眠いし。ふふふ?」

 何を言ってるんだ? とりあえず熱い飲み物だ。

「起きてください。児嶋さん、コーヒー入れますから。ね?」

 児嶋さんはぼんやりと起き上がり、ベッドからずり落ちて、こたつに入った。布団ごと移動した児嶋さんは、私の差し出した、普通よりも苦そうなコーヒーを一口、唇のあいだに流し込んで、ぽつりと言った。

「おいしいよ」

 あの後から初めての、児嶋さんの「おいしい」だ。彼女は満足げにカップを両手で包み、私に微笑んだ。あまりにも笑顔が唐突すぎた。急に涙腺がゆるんできた。ごまかしかたがわからない。私は彼女をみつめたままだった。

 児嶋さんは私のそんな表情をじっと見ていたが、突然、視線をさまよわせた。またちらりと私を見て、そのままこたつに突っ伏した。

「麻生さんはさ。どういうつもりだったの?」

 ぎくっとした。

「誰にでもああいうことをするの」

「だれっ……そこまでアニマルじゃありません!」

 さすがにショックだった。誰にでも……誰にでも!?

「じゃあ、どうして、こうなの」

「こうって?」

 児嶋さんは答えなかった。私を責めたいのだろうか? あれだけ、きちんと話したいと思っていたのに。質問のかたちで責められると、なんと答えたらいいのか、返事につまってしまう。頭が空白になってしまって何も言葉を紡げない。

 ――どうして、こうなの。

 きちんと児嶋さんと話せるだけの冷静さは、なかった。冷静になろうとしていたし、自分では冷静なつもりだったが。

 でも、本当に、どうしてあそこまで強引に出てしまったのだろう。どうしてきちんと言葉で伝えようとしなかったんだろう。

 あのとき、私は、無駄だと思ったのだ。

 どうせ、ダメだろう、わかってくれないだろうという、なじりたいような感情があって――。言葉じゃないだろうという感覚があって。

 強引に押したら勢いで行けそうな錯覚があった。

 あんな流されやすそうな表情した人、見たことない。

 やけくそだったのは否めない。そこに、本来なら児嶋さんにぶつけるべきじゃない、沙耶への怒りや、個人的なトラウマからの焦りが、1ミリでも混じっていなかったと言えるだろうか?

「気の迷いが……あったかもしれないです……」

 こたつにべったりと張り付いている児嶋さんが固まった。弱気になった私に追い討ちをかけるように、彼女は、呪うように言った。

「きぃのまぁよいぃぃぃい?」

 思わずビクリとして児嶋さんを見た。

「したことが、です! 気持ちは、気の迷いとかじゃないです!」

 児嶋さんは突っ伏したままで顔だけこちらに向けた。

 目があう。私は冷静を保とうと努力する。

 彼女の左手が床の鞄を引っ張った。鞄をごそごそと漁り……カップ酒を取り出した。迷いなく空けて、ぐびっと飲み干した。せっかく醒めてきた酔いを、完全に醒ます気がないのか。

「…………」

 彼女の左手が、同じ酒をもう一本取り出して蓋を空けた。ピッチの速いのに驚いて、児嶋さんの手をつかまえて、カップを取り上げた。

 鞄の中にずらりと並んだカップ酒がのぞいている。なんで鞄に酒がこんなに?

「大丈夫なんですか、こんなに飲んで」

 彼女はきょとんと首をかしげた。

「あれ? 麻生さん?」

「はい。麻生さんですよ?」

 彼女はさっきかしげたのと反対方向にまた首をかたむけた。

「どうしているの?」

 駄目だ。会話がかみ合っていない。かみ合わないように、わざと反らされたのかもしれない。

「児嶋さんが部屋にきたんです」

「何の話してたっけ?」

「だから、したことはごめんなさい、でも……、だから、……好きだっていってるんです……だから……」

 児嶋さんはじっと私を見つめ、ゆっくりとまばたいた。

「よくわからないよ」

 児嶋さんはぽつりと言った。

「わからないよ、飲みすぎちゃって……」

 じぃっと潤んだ目付きで見つめられていると、口付けたくなってくる。体が動きかけて、その先を妄想で補うことで決着をつけた。

「駅前のファミレス、行きません? お腹空いてませんか。終電の時間確認してから、行きましょうよ」

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