Day26 代償(お題・対価)
晩秋の深夜、木枯らしが吹きすさぶ『椎の木通り』の路地を一人の若い女性の影が泣き叫んでいる。
秋の陰の気を吸った漆黒の顔の頬が、時折、雲間から差し込む月の光に照らされ、ぬれぬれと光る。
“あの……”
あまりの様子に見てられなくなった彼女が声をかけようとすると
「おっと、待ちな、お嬢ちゃん」
獣臭と共に現れた、犬のような頭部を持つ男が彼女を押し止めた。
「あれは、俺の仮差し押さえだ」
にやりと笑うと白い牙の間からはみ出た舌から涎が地面にしたたり落ちる。
「おんやぁ~」
犬頭の男は彼女を見て黄色い目を細めた。
「なんだ、お嬢ちゃんもそうかよ。その様子じゃ本体にも影響が出ているな。悪いことは言わねぇ。早く帰んな」
男が手を振る。びゅーと音を立てて風が吹き過ぎると、そこにはもう泣く娘も男もいなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
公会堂の相談窓口も後三日。日も沈み、そろそろ事務局を閉めようかというときに今日、最後の依頼人がやってきた。
まだ二十代くらいの青年で、リサさんの話によると、数年前までは『椎の木通り』でお酒の量り売りをしていた人らしい。しかし、商売の才能があったのか、輸入物の珍しい酒が皇国で大当たりし、今は大きな商会や商店が並ぶ『姫様通り』に店を構え、貴族や富豪の住む『陽光通り』に邸宅を持つほどになったのだという。
「……実は死んだ恋人の霊に悩まされてまして……」
まだ『椎の木通り』にいたころ付き合っていた雑貨屋の娘さんが亡くなり、死霊になって毎晩のように家の周りで泣き叫ぶので、どうか祓って欲しいと沈痛な顔で語る。
「……『陽光通り』に移ってからは彼女と会うこともなくなって、去年、お互い納得して別れましたのに……」
怯えた様子で語る。
『カゲマル』
私は頭の中で影丸に呼び掛けた。影丸とは主従契約を結んでいるので、こうして思うだけでも会話出来る。
『彼から死霊の気配がしないんだけど……』
『影も感じないでござる』
『ガスに知らせてくれるかな?』
『承知』
なんとなく、この人の話はうさんくさい。私が頼むと影から影丸の気配がふっと消えた。
すっかり日が落ち、他の職員さんが帰った事務局の片隅で、リサさんと私を前に、くどくどと依頼人が如何に彼女を愛していたか話している。
私がよく知る男の子のうち、ガスは大切に思っていることを言葉で語るより、態度で示してくれるタイプだし、セシルは照れ屋だから『愛してる』なんて、ひっくり返っても言わないタイプ。聞き慣れない言葉の羅列がどうもむず痒くてしかたない。リサさんも同じらしく、うんざりした顔をしていた。
私の影に影丸の気配が戻る。
『奥方様、話を聞いた主が、この方を公国立施療院に連れてきて欲しいと言っておられます』
どうやら、彼はガスが別に受けた依頼と関係があるらしい。
「解りました。では、解決する為にちょっと来てくれますか?」
公会堂を閉めると私は依頼人とリサさんと『姫様通り』に向かった。
依頼人をオークウッド本草店の隣にある公国立施療院に連れて行く。玄関にはガスが待っていた。
「この方がその『死霊』の女性ではないでしょうか?」
ガスが中庭の離れにある個室の病室に彼を案内する。他の患者さんから隔離された部屋には金髪の大人しそうな娘さんがベッドで眠っていた。
「……え……」
依頼人が驚いたように目を見張る。
「彼女は一月前、昔付き合っていた男性に呼び出されて出かけ、翌朝、家の前で倒れていたそうです。幸い、命には別状はありませんが、以来ずっと眠り続けています」
その彼女の保護を彼が頼まれ、ここに入院させたという。
「……命には別状ない……」
呆然と呟く依頼人にガスは「はい」と頷いた。
「どうやら呼び出した男性に、妖魔との契約で授けられた幸運の対価として差し出されたようですね」
「じゃあ……」
その彼女の始末を私に……。
彼はさっきまでの昔の恋人を思う殊勝な態度はどこへやら、顔をひきつらせながらガスに食って掛かった。
「なっ! なにを言っているんだっ! 妖魔なんて、契約なんて、そんなのあるわけないだろう!」
「だそうですよ」
ガスがふにゃりと息をつく。ぶわっと病室に獣臭い風が吹き、ガスの隣に犬の頭を持つ男が現れた。
「ひでぇなぁ~、にいちゃん、お前のその幸運は全部俺が用意してやったもんなのに……」
依頼人の顔がひきつる。
「たっ! 対価なら、ほら、それっ! それを持って行けと言っただろうっ!!」
ベッドで眠っている娘さんを指す。犬頭の男がにんまりと笑った。
「どうせ持って行くなら腐ったクズの方が美味しいんでね」
べろりと長い舌で口の周りを舐める。
「……より美味しくする為に、彼女を眠らせてから魂を抜いて、わざと彼の家の周りにさまよわせていたんですよね……」
ガスの呆れた声に犬頭の男がカカカ……と笑った。
「オレは美味いもんを喰うのに手間暇惜しまない
毛むくじゃらの手で、むんずと依頼人の頭を掴む。
「薬屋、仮差し押さえの娘は戻したぜ」
「はい、確かに」
ガスが彼女の脈を診て頷く。
「じゃあな!!」
ぶわっ!! また獣臭い風が吹く。依頼人の悲鳴と犬頭の男の笑い声が夜空を駆け上っていった。
「お父さん、お母さん……」
呼ばれた家族が目覚めた娘さんに駆け寄り、抱き締める。
「ガス、今のは……」
夜空を見上げる私とリサさんに、ガスがふにゃりと首を竦めた。
「『悪魔』っていう奴だよ」
そのなかでも犬頭の男は律儀で紳士的な方で、代償以外のモノが自分の影響を受けるのを嫌うらしい。それで時々、彼の手を借りにくるという。
「あの依頼人は……」
「さあ?」
ガスが首を傾げる。
「まあ『悪魔』を呼び出した時点で『破滅』は決まっていたから」
※ ※ ※ ※ ※
『あんたをここに連れてくる。それが薬屋に頼まれた報酬だ』
犬頭の男に連れて来られ、窓の外から一部始終を見ていた彼女は思い出した。
“……そうだ! 私も!!”
早く戻らないといけない。ここに自分がいることで、あの犬頭の男の言うとおり、本体……スージーにも悪い影響が出ているだろう。
“……でも、どうやって……”
ジョンと一緒にいた女の子が、呑気な猫を思わせる男の子とリサと施療院から出てくる。
男の子に向ける女の子の顔は、ジョンに向けていたものより、柔らかく、親しげで、どこか甘えた雰囲気がある。
“……もしかして彼女はジョンが好きなのではなく……”
自分が何か自覚した今なら解る。女の子が好きなのは、この男の子なのだ。
「じゃあ、ガス。私、リサさんをお家まで送って行くね」
「うん、気をつけて」
女の子とリサが去っていく。
あの男の子はさっき犬頭の男に『薬屋』と呼ばれていた。ということは、彼がここに私を……。
“……あの……”
「はい?」
彼女は二人を見送る彼に声を掛けた。
依頼人:犬頭の妖魔
依頼:雑貨屋の娘さんの身体を保護すること
報酬:スライム捜索隊が見つけた『恋心』を施療院に連れてくる
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