最終話 再会
鳴沢から話を聞き終わった本間は、一息ついた。次の就職先が見つからずに山崎を訪ねていったと聞いたところだった。
「で、山崎さんはなんて言ってたの?」
鳴沢は頭を掻きながら「まあ、怒られました」と言った。
「話をちゃんと聞いてくれた上でのことですけど」
相談に行った時、山崎は言った。
「君は短気過ぎる。もちろん、君だけのせいではないけれど、自分を守ることに一生懸命になり過ぎて、少しでも自分を脅かすことがあると怒りとして処理してしまう癖がある。だから、自分の考えから抜け出すのが大切なんだよ。一歩引いて、自分は社長さんの言葉にどんな解釈を与えるのか。そのときに考えられれば良かったよね」
それを聞いた本間は、「えー、それは難しいんじゃないの?」と後ろ頭の毛を撫でた。
鳴沢は意外な言葉に、机の上に落としていた目を上げた。
「……そうですか?」
「だって、自分を泥棒扱いしてる人を目前にそんな冷静で居られないじゃない? 山崎さんはお坊さんだから達観してるのかもしれないけどさ。僕は無理だなあ。」
本間は茶托から茶碗を持ち上げると、少しだけ残っていたお茶を碗の中でぐるぐると回した。
「それにね、僕は上に立つ者としてそんな風にうちの社員を見たくないよ。誰か悪いことをしたなら、自分から反省して言ってほしいじゃない? そのためのこっちの言い方っていうのもあるだろうしさ」
そして最後の一口をすすって、茶碗を茶托に戻した。
「うちのスタッフはさ。僕が全員面接をして本当に気に入った人だけを取ってるのね。だから、みんな信頼してるし、いい人が揃ってると思ってる」
鳴沢は頷いた。
「人間関係のいざこざも少ないほうだと思うよ。ただ、人の過去に対してそれぞれがどんな反応するかはわからない」
本間は鳴沢の方に乗り出すように、両膝に肘を乗せ手を組んだ。
「だからね、君が自分のことをみんなにどう言うかは君にまかせるよ」
鳴沢の顔がふと目が覚めたようになった。
「僕は君の腕を見込んでスカウトしてきたって言うからね」
そう言って本間はにっこりと笑った。
「鳴沢陽介くん、採用です。明日からよろしくお願いします」
本間は軽く頭を下げた。
驚いた表情の鳴沢の顔に笑みが広がった。
「ありがとうございます!」
鳴沢は立ち上がって本間にお辞儀をした。本間は手を振って鳴沢に座るように促した。鳴沢は腰を下ろすと、「短気については気をつけるようにします」と付け加え、額に手を当てて安堵のため息をつき、気が抜けたように少し笑った。
「……今度断られたら、山崎さんに弟子入りして坊主になろうと思ってました」
鳴沢の言葉に笑いながら、本間は茶碗を持ち上げた。
「出家するには早過ぎるでしょう。まだ独り身みたいだし」
そう言って本間が覗いた茶碗は既に空だった。茶碗を戻しながら本間は続けた。
「もしかしたら、君が助けた女の子と再会したりするかもしれないし」
鳴沢は不思議そうに本間を見た。
「好きだったんでしょ? その子のこと。だから一生懸命助けたんだ」
本間はにこにこしながら言った。
鳴沢は赤くなって頭を掻いた。
「いや、昔のことですし。今頃は、優しい男と結婚して、子供もいたりして幸せに暮らしてるんじゃないですかね」
鳴沢は、今朝見た菜々未の夢を思い出しながら言った。
「わからないよ。意外に男と肩を並べて鉄板に穴開けてたりして」
そう笑った本間は、鳴沢の茶碗も覗いた。茶はだいぶ減っていた。
「お茶もう一杯もらおうね」と言って本間は電話の受話器を取り、内線ボタンを押した。呼び出し音が鳴って、誰かが応答したのがわかった。
「あ、音羽さん?」
鳴沢の目が丸くなるのを、楽しそうに本間は見た。
「お茶のおかわりお願い。そう。鳴沢くんと、僕のと。あと、自分の分も持ってきてね。はい、よろしく」
本間は受話器を置くと、鳴沢の様子を見て愉快そうに笑った。
電話を切った菜々未は、急いでトイレに行った。鏡の前で髪の乱れがないかを調べ、口紅を塗り直した。午前中の作業の汗の匂いが残っていないか確かめ、念の為に制汗スプレーを浴びた。手の匂いも嗅いで、機械油臭くないことを確認した。それからブラウスをスカートのウエストに入れ直し、ジャケットの裾を引っ張った。鏡の前でぐるりと一回転し、前も後ろもちゃんとしていることを確認した。
「な……鳴沢先輩。……ううん……、鳴沢さん、ご無沙汰しております」
小声で鏡に向かって、真面目な顔を作った。
「十年前に助けていただいたときは、きちんとお礼もせずに失礼しました」
そう言って、鏡に向かって頭を下げ、真っ直ぐな姿勢に戻って、自分の顔を見た。なるべく硬い表情を作ろうと思うが、ついにやけてしまう。自分を制するために頬を軽く叩いた後、大急ぎで給湯室に行き、お茶を三杯入れた。
茶碗が三つ並んだ盆を運ぶ手が、緊張なのか興奮なのか震え、茶托の上で茶碗がカタカタと細かく揺れた。応接室のドアの前で立ち止まって深呼吸した。決心したようにドアをノックして、「失礼します」と言いながらドアノブを回した。
ドアが開いて応接室が見渡せた。ソファに腰掛けた鳴沢がこちらを向いていた。期待と困惑が混じった表情で、こころなしか頬が赤らんでいるように見えた。自分も同じような顔をしているに違いない。
菜々未がテーブルに近づいて盆を置くと、鳴沢は立ち上がった。相変わらず背が高い。鳴沢を見上げて、菜々未はついさっき練習した挨拶を言おうとしたが、なぜか頭の中がからっぽになって言葉が出てこなかった。鳴沢も言葉を探しているようだった。鳴沢を見上げていると、家まで送ってもらった日の最後に、車の横で見た悲しげな顔を思い出した。それに比べて今日はずいぶん晴れやかに見える。自然と言葉が菜々未の口を衝いて出た。
「また会えて……嬉しいです」
菜々未はこぼれ落ちるような喜びに笑顔を抑えきれなかった。
鳴沢は、その菜々未の笑顔の中に、未だに変わらないあの無邪気さを見て取った。そして──。
傷のあるいかつい鳴沢の顔にも、照れくさそうな笑いが広がった。
お わ り ♪
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