第12話 皆で一位を
バザールが始まる――。
と……大仰にいう前に、バザールってどういう意味?
よくバザールと称して、大々的に特売セールを実施している小売店はあるが、正直なところ仕組みをよく理解していない。
とりあえずこの語源をネットで調べた結果――主に南アジア、中近東で市場を意味するペルシア語であるということがわかった。様々な商店や工房が軒を連ねるイメージを模して、様々な商品を一斉に売り出すのだが、普通の特売セールと何がどう違うのか区別がつかない。
「まあ、バザールっていうのは業界の通称だからね。そんな大層なものじゃないよ」
バックヤードで商品の積み降ろし作業をしている俺とウリちゃんに向かって、徳梅さんが肩の凝りをほぐしながら近づいてきた。
「ようは販売コンクールね」
「すいません、コンクールってなんですか?」
徳梅さんは、頭上に『?』マークを浮かべた俺とウリちゃんを交互に眺めて、
「じゃあ、お勉強しようか」とやぶさかではないようだ。
この眩しい笑顔に少しだけ妄想をしてしまう。徳梅さんが家庭教師なら、きっと俺はいい大学に入れたんじゃないか……と。
「コンクールなんて名前が付いてるけど、ようは皆で売り上げを競い合いましょうねって、この業界のイベントみたいなものよ」
徳梅さんは語尾の「よ」に合わせて、よっとカゴ車からコーヒーを荷降ろした。細い腕に似合わず力強い。なかなか腰にくる作業だが、徳梅さんは苦悶の表情ひとつ浮かべず淡々と作業をこなす。一方のウリちゃんは真っ赤な顔で奮闘している時もあれば、商品の荷下ろしで徳梅さんと手が触れ合うたびに、「えへへ」と、とろけるような笑みを見せたりもする。こっちはこっちで表情豊かで忙しい。
「通常は販売コンクール、略してコンクールって呼んでるんだけど、このバザールってのは業界全体でやるっていうのが違う点なのよね」
「つまり、コンクールは個別のイベントだけど、バザールは他のチェーン店も加えて、一緒に盛り上げるイベントってことですか?」
「そんな感じね」
「なんか、すごそうですね!」
「まあ、そんなカッコいいものじゃないけどね」
徳梅さんはにやりと口角をあげて、俺を指差す。
「棚森くんは、食品スーパーってどれくらいあるか知ってる?」
「えっと……」
モリモリフーズ、デリシャス、イトーヨーカドー、イオン、ライフ、ダイエー、ヤオコー、三和……。指を折って数えながら、思いつく限りの会社名を答えた。
そういえば、スーパーって何社ぐらいあるの? 質問されるまで気にしたこともなかった。
「結構、知ってるじゃない。さすがPOS大ね」
ちなみにPOS大は言っちゃあなんだがFラン大学だ。小ばかにされているのか、感心されているのか分からなかったので、とりあえず「ははは」と笑っておいた。
「ちっちゃいところ合わせたら、全国に200社以上あるかしらね」
「えー、そんなにあるんですか!」ウリちゃんが目を引ん剝く。
もっと少ないと思っていたので俺も同じ反応だ。徳梅さん曰く、スーパーマーケット協会に加入している企業を総合すると、その数字ぐらいにはなるそうだ。
「その全てが参加するイベントがバザールですか?」
「ええ、そうよ。正確には色々ややこしい業界団体毎に参加、不参加あるけど、その解釈で間違いないわ」
期間中は、バザール対象商品○○円以上の購入者に抽選で温泉旅行券、今なお入手困難なPS5までプレゼントなどなど、消費者の目を引く協賛も目白押しとのことだ。
「えー、すごーいっ! めちゃ大きいイベントじゃないですか。わたし、イベントって好きなんです。体がうずうずしちゃいます」
「それとね、イベントの一環で陳列コンクールってのも同時にやるわけよ。全国何万店の中で一番のエンドを決めるの」
「セイル先輩なら絶対に一位ですよ。わたしがエンドの写真をインスタに投稿して、めっちゃ『いいね』しますから」
ウリちゃんは親指を突き出して、俺にも同じポーズをするようにうりうりと同調圧力をかけてくる。
「ちなみに、当然のことながら私はずっと一位だからね」
「さっすがセイル先輩。わたしは一ミリも疑ってませんから。二位じゃだめですよね」
「当たり前じゃない。二位はね、私から言わせれば最下位と同じよ。一位以外は価値がないわ」
キャッキャッと盛り上がる二人を横目に、俺の心に一抹の靄がかかった。
仕事か。仕事ってそんなに面白いものなんだ。確かに俺もここでバイトを始めて、この仕事の奥深さの一端を垣間見ているのだが、それ以上のものなんだろうか。言っちゃあなんだが、たかだかスーパーの売上だよな。そりゃあ、お金を稼ぐんだから責任感をもって取り組むのが基本だと思う。だけど、それ以上の熱をもってやるものなんだろうか。
一位を取るって――。何の一位なんだろう。
そこに何の価値が――。
頭に霞めたある言葉を払うように、額の汗を拭う。
自分でも思う。俺は面倒くさいやつ。何も考えずにその輪に加わればいいだけじゃないか。そういうキラキラしたものに憧れて、その中に飛び込みたいと願いながらも、あまりにその光が眩しすぎると、情けない自分に引け目を感じて卑屈になってしまう。楽しそうですねと、ひとこと言えばいいだけなのに、それができない。典型的な冴えないやつだ。
気付けば無意識のうちに、この話題から逸らそうと視線を下げていた。
だが、徳梅さんはそんな俺の心の機微を見逃さない。
「棚森くんは、何かサークルとか、部活とかやってるの?」
「いえ、やってないです」正直に首を振った。
「じゃあ、勉強とか趣味とか、なんでもいいけど夢中になってるものは?」
「えっと……、いや、ないです……」
「ふーん」
心を見透かすように、じろりと睨まれた。彼女はそっかあと含んだ笑みを浮かべると、腕を組んで胸を張る。じゃあ……と一呼吸置いて、
「やることないなら、この場所に全力を尽くしてみる?」
全力を尽くす……ってなんだそれ。そんな部活みたいなセリフ。到底こんなスーパーで似つかわしくないようなセリフ。だけど……。なんだ、この気持ちは。
先ほどまでの暗い霧を吹き飛ばすように、彼女の笑顔が弾けた。
「みんなで一位を目指そうよ」
青春映画のワンシーンのようなストレートな物言いに、心を大きく揺さぶられてしまった。
何だろう。
何でこんなにドキドキするんだ。
胸が高鳴って止まらない。
何かが動き出す――そんな予感に焦がれる。
こんなこと初めてだった。
徳梅さんは少女のように「あはっ」と頬にかかる美しい黒髪を揺らした。
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