『終わらぬ物語に祝福を』(ハルの述懐)

 やあ、お疲れさま。よくここまで来たね。

 君ならいつかこの場所に立つと思ってたけど、こんなに早く上がってくるなんてびっくりだよ。


 まあ、遠慮しないで座りなよ。コーヒーは苦手だったかな。アールグレイでいいかい。

 ティーバッグはいつも鞄に入れてるのさ。出先で好きなもの飲めないとツラいからね。


 僕のことを聞きたい?

 そうだね。君との出番まで時間があるし、少し昔話をしようか。




 僕は小さい頃から不思議と勉強には自信があったんだよ。だから、この国で一番偏差値が高い大学の、医学部に繋がる科類コースを目指すことに、そんなに疑問はなかった。

 でも、元々は医療にそれほど興味があったわけじゃないんだ。苦しむ患者さんを救いたいとか、世の中の役に立ちたいとか、そんな高尚な思いがあったわけでもない。

 せいぜい、医学生ともなればさぞ女の子にモテるだろうな、なんてことを、皆の受け売りで何となく意識してた程度さ。

 幻滅してない? はは。

 でもね。一番勉強のできる層が何となく医学部に行って、何となく医者になる。この国の現実なんてそんなものだと思うよ。



 実は僕も芸能界にスカウトされたことがあるんだけどね。その道は選ばなかった。

 他に適任者がいくらでもいると思ったからね。君みたいなさ。


 知っての通り、僕の叔母おばさんは大スターだったからね。

 その実の娘、つまり僕の従妹いとこを芸能界に引っ張り込もうとする大人達の声は、僕に掛けられたそれの何十倍も多かった。

 伝説のアイドルの再来とか、魂の継承者とか、神に選ばれし少女とか……こういう肩書きって誰が考えてるんだろうね。そんな大袈裟な形容をたくさん背負わされて、あの子は中一でアイドルグループの末席に列せられた。


 芸能人でも政治家でも、それこそ医者でもそうだけどさ。

 なりたくてもなれない人がたくさんいる一方で、生まれた時からそうなることを約束されてる子っていうのがいるんだよね。

 君には納得できない話かもしれないけど、やっぱり、世の中なんてそんなものだよ。


 そう、僕もその時は思ったのさ。

 あの子は、アイドルの血を引いてるってだけの理由でアイドルにさせられたんだって。

 彼女の思いを初めて知ったのは、彼女が倒れてからだったよ。



 従妹がライブ中に倒れて、病院に緊急搬送されたのは、僕が大学に入ったばかりの頃だった。

 十万人に一人とも、百万人に一人とも言われる先天性せんてんせい疾患しっかんに、彼女は全身をむしばまれていたんだ。自分も周りも気付かない内に、少しずつね。



 僕が病室を訪れた時には、彼女は目の周りにぐるぐると包帯を巻かれた姿でね。

 毛細血管が閉塞して網膜が……ああ、いや。

 とにかく、そう、君も知っての通り、彼女は光を失ってしまったんだよ。


 彼女を励ますつもりで、僕は言ったのさ。

 耳ならともかく、目が見えなくなっても歌は歌えるじゃないかって。


 だけど、彼女はふるふると首を横に振ってね。

 お客さんの目を見れないアイドルなんてアイドルじゃない――

 私はカメラの前で踊るためにアイドルになったんじゃない。客席の皆と心を通わせるためにアイドルになったんだ、って。


 包帯に染み込む涙を見て、僕は初めて、彼女の思いの強さを知った。

 彼女は決して、大人達に導かれて流れでアイドルを世襲したんじゃなかったよ。

 あの子は本気でなろうとしてたんだ。叔母さんと同じ……いや、叔母さんをも超える、変幻自在のエンターティナーってやつにね。



 その彼女が切ない声で言ったんだ。お従兄にいちゃんがブラック・ジャックばりの名医になって、私の目を治してくれたらいいのにね……って。

 だけど、ホラ、君も読んだかな。あの闇医者ですら、失明した患者の目を完全に治すことはできないんだよ。

 まして、僕はまだ大学に入ったばかり。冗談で言ったのは分かってるけど、実際、僕の手で彼女を治すことなんて、どう頑張っても間に合わない。


 自分には何も出来ない――

 たぶん生まれて初めて、僕は、自分の無力さを思い知ったんだよ。



 それでも幸運だったのは、彼女の両親には有り余るお金があったことかな。

 彼女はすぐアメリカの病院に移されて、手術を待つことになった。

 ああ、ホラ、知ってる?

 誰々ちゃんの命を救うためにあと何億円の募金が必要です……って、あれ、手術の順番待ちに割り込むためのお金なんだよ。


 だけど、命は助かっても、視力まで戻るかどうかは神様の気紛れ次第だっていう。


『いっそ命が無くなる方がよかった。せめてもう一度、この目でファンの皆と心を交わし合いたかった――』

 過去形で語る彼女のスマホ越しの声に、僕は胸が締め付けられるような思いがしてね。


 月並みな表現だけど、心打たれた……って言うのかな。

 僕にはない、人生全てを懸けられるほどの夢。

 それに引き換え、自分は何をやってるんだろうってね。


 何かを始めなきゃいけないと思った。この手で直接彼女を助けることはできなくても、彼女のように苦しむ子達のために何かをしなきゃいけないって。


 僕に唯一与えられたもの。それならば勉強だ。

 一念発起した僕は、少しでも早く医師免許を取れるように、赤門を捨ててアメリカの医大に入り直した。初めて、周りに流されてじゃなく、自分の意思で選びたい道がはっきり見えたのさ。


 言うなら、彼女が僕を目覚めさせてくれたのかな。

 彼女の物語が終わりかけていたその時に、僕の物語は始まったんだよ。




 彼女のそれからの話は、君もよく知ってる通りさ。

 視力の戻る確率は二十人に一人って言われてたそうだけど、そんな確率、あってないようなものだよね。

 あの子はどうやら、七十億人に一人の神の子だそうだから。

 いや、叔母さんの子なんだけどね。


 とにかく彼女は手術を受けて、光を取り戻して、この国に戻ってきて。

 逆境の中でアイドルを目指す全ての子達の道標みちしるべとして――

 そして最強の敵として、今から君の前に立ち塞がるってわけさ。


 知った上で挑んでくるなんて君も変わってるよね。一年待てば彼女はもう居ないのに。

 わかってるよ。それだけ君が本気だってことは。

 君にもアイドルしかないんだろう? 彼女と同じでね。


 だから、応援してるよ。君の物語が始まるところを僕も見たいからね。


 時間だ。

 さあ、君の人生の全てを懸けて、うちのプリンセスに勝ってごらん。


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