7 殺さなくても良い理由を

 そして男を無茶苦茶な体勢で殴り飛ばした冬野はバランスを崩してその場に倒れる。

 それでも迅速に立ち上がり、転びそうになりながらも隼人の元へ駆け寄って来た。


「桜野君! 大丈夫!? ねえ! 大丈夫!?」


 そう言う冬野の表情が青ざめているのが良く分かる。一見してみればまるで、隼人を心配しているかのように。

 だけどもしも冬野が吸血鬼だとすれば、きっとそんな行動や表情にすら打算や悪意がある筈で。

 そして今の一瞬に起きた事はもうどうしようもなく人間離れしていて。

 先の反応や今の行動の全てが冬野が吸血鬼である現実を突き付けて来て。

 だから、冬野に言葉を返す余裕なんてなかった。


「……ッ!」


 必死になって、冬野が吸血鬼ではない可能性を探していた。


「と、とにかく逃げないと……ッ」


 そう言った冬野は華奢な腕で軽々と隼人を持ちあげて、レジ裏のバックヤードへと走る。

 そしてそのままコンビニの外へと跳び出して、人気の全くない夜道を走り出した。

 その全ての動作を人間離れした動きで。


「大丈夫……桜野君! 絶対に大丈夫だから!」


 冬野が走りながらそう声を掛けて来るが、何も大丈夫じゃない。

 考えても考えても、吸血鬼であるという答え以外が浮かんでこない。

 だけど裏路地に入った所で、ようやく苦し紛れの可能性を見付ける事ができた。


(そうだ……呪術だ。滅血師じゃなくても何らかの理由で冬野が呪術を身に着けている可能性がある……だとしたら、少なくとも、この人間離れした動きには説明が付く)


 苦し紛れな零に程近い可能性。

 それだけでは人間離れした動きの説明にしかなっていなくて、同じ位重要である筈の冬野の反応の答えには何もなっていなくて。


 それでもほんの僅かでも縋れる可能性が出て来た事に、少しだけ安堵できた。

 だけどその安堵そのものに違和感を覚える。

 果たして何故冬野が吸血鬼でない可能性が見つかる事に安堵しているのだろうか?


 考えるまでもなくその答えは明白だ。

 冬野が吸血鬼であるならば今までの全てが偽りになる。

 日常的に交わしていた会話も、向けてくれていた心配も。

 今こうして必死になって助けようとしてくれている行動も。

 その全てが打算や悪意に塗れた酷く醜い物に変わってしまうから。


 吸血鬼であるという事は、つまりそういう事だから。


 だけど。そんな答えを出していても。

 違和感を覚えた事は紛れもない事実で。

 その違和感の正体を掴めぬまま、冬野は裏路地の中心で立ち止った。


「追ってきてない……よね」


 自分が走ってきた方角を確認した後、冬野は隼人をその場に下ろす。

 そして改めて重傷を負っている隼人を目の当たりにして、青ざめた表情で言う。


「とにかく止血……でも、どうやったら……」


 冬野はどうしたら良いのか分からないという風に立ち尽くしていた。

 当然だ。

 致命傷を負った人間の止血方法など、専門的な知識を持ち合わせていなければやれる訳がない。

 だけどそんな中で、冬野はどこか覚悟を決めた様なそんな表情を浮かべて隼人の前へと屈み込み、そしてそれでもほんの少しの躊躇いを見せた後、自身の背を押す様に言う。


「……大丈夫、桜野君。絶対に助けるから」


 そう言った冬野の右手の爪は……鋭く伸びていた。

 そしてその爪を、そういう事ができる呪術を使ったのだと必死に認識しようとする隼人の前で自身の左腕に突き立てる。

 止めてくれと、そう思った。

 その先に行われるであろう事を察してしまったから。


「……ッ!」


 そして冬野は自らの腕を引き裂いた。血飛沫が舞い散る。

 そして苦悶の表情を浮かべた冬野は、まだ足りないと言わんばかりにもう一度。

 更にもう一度と自身の腕を引き裂いて……目を背けたくなる程酷い怪我を負った腕から溢れ出る血液を掬い取る。


「……止めてくれ」


 そして掬い取った血液を隼人の傷口に塗り手繰った。そんなどこか猟奇的な行動が一体何を意味するのか。


「……止めてくれ冬野」


 ズタズタになった筈の冬野の腕が緩やかに再生している事が何を意味するのか。

 答えを出すのは簡単で。

 簡単だからこそ。

 理解してしまったからこそ。

 言葉が絞り出される。


「そんな事をされたら……俺はお前を殺さないといけなくなるだろぉ……ッ」


 もう現実逃避はできない。

 それだけは。

 再生能力という吸血鬼の専売特許だけはどうやっても言い訳ができない。


 冬野雪は吸血鬼である。


 まともな倫理観を持った者など一人もいない、滅血師が倒すべき相手である。

 殺さなければならない相手である。


 だけど……それでも。


 冬野に対する嫌悪感は沸かなかった。

 冬野に対する殺意は沸かなかった。


 そんな事よりも……ズタズタになった腕が早く再生する事を祈っている自分がいた。

 冬野を殺したくない自分がそこにいた。


(……ああ、そうか)


 自然と絞り出た言葉で、ようやく今までのちぐはぐな感情に理解が及んだ。

 どうして冬野が吸血鬼かもしれないという疑問を抱きながらも何もしなかったのか。

 それなのに悩むだけ悩み続けて、一体どんな答えを探し出そうとしていたのか。

 辿り着いてみれば、あまりにも簡単な話。


(俺は……冬野を殺さなくてもいい理由を探していたんだ)


 深く、深く考えたけれど、結局はただそれだけの話。

 とにかく、殺さなければならない相手であるという事を否定したかった。

 だからずっと冬野が吸血鬼かどうかを考え続けた。

 確定的に分かってしまう選択肢以外で吸血鬼ではないという確証が持てる何かを探していたのだ。


 そうでなければ冬野が吸血鬼であれば殺さなければならないから。

 殺されてしまうかもしれないから。

 それを避けたかったからずっと悩み続けた。一人で抱え込んだ。


 そして悩みながら、きっとどこかで吸血鬼だった場合でも殺さなくてもいい理由を。

 人間だろうと吸血鬼であろうと関係なく、冬野雪を殺さなくてもいい理由を探していた。

 そしてその理由は……とっくの昔に見付けていたのだ。


「それでも……桜野君が死ぬのは嫌だから……嫌だからぁ……ッ」


 泣きながら自分を助けようとしている女の子を殺さなくてもいい理由を探した。

 それそのものが殺さなくてもいい理由だった。

 今朝人間だと結論付けたのも、倫理観の狂った頭のおかしい吸血鬼と同類ではないと思ったからで。

 あの男の言葉を否定する為に絞り出した言葉も目の前の男とは違うと否定する為の言葉だった。

 とにかく……冬野雪はまともで優しい善良な人間性を。

 否、吸血鬼性を持っていると結論付けていたのだ。


 常識や過去のデータではあり得なくても、自分自身がそう思ったのだから。

 例えそれが重大な物事を判断する為には悪手であろう感情論に傾いた選択だったとしても。今まで同じような感情論で吸血鬼に裏切られた滅血師が山の様にいるのだとしても。

 冬野雪という女の子を信じたい。全ての理由はただ、それだけだ。


「……なあ、冬野」


 泣きじゃくる冬野に、隼人も泣きそうになりながら問いかける。


「俺……お前を信じてもいいかなぁ……ッ?」


 そんな言葉に冬野はほんの少しだけ驚いたような表情を浮かべて、それでもやがて泣きながら小さく笑みを浮かべて言った。


「信じてくれると……嬉しいな」


 それを聞いて、改めて思う。

 自分の選択はきっと滅血師間違いだ。だけど……だとしても、間違えられて良かったと。

 滅血師失格と言える様な最悪の選択を取る事ができて良かったって。そう静かに思った。

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