第4話 切り落とされ、追加された1人
初夏の木陰。私はベンチに腰掛け本の頁を繰り、待っている。
不意に立った影が、木漏れ日を遮った。
「君、小指がないんだね」
そう覗きこまれた。相手はすぐに自身の発言を顧みた。
「やあ、すまない。悪気はないんだ、君。
……君、ではますます失礼だな。僕は君を何と呼んだらいい?」
私は本を閉じ、ベンチの端に移動した。相手は意図を汲み、隣に座った。
「それじゃあ、シャーレ、と」
「待って待って。それって理科室にあるペトリ皿のこと?」
「そ。でも、私が私でいるために大事な1人だったの」
「
彼の目は木漏れ日を呼び入れ、代わりに私から少女の哄笑を引き出した。
「はっきり言っちゃうのね」
「本当だ! ぼかすほうが面白いのにね」
彼は私に調子を合わせておどけた。
「あなたは? 名前」
「ひらく。物語が展開するの『展』で、『ひらく』と読むんだ」
私は、彼の左手を擦った。手の甲の痛々しい古傷を、彼は誇らしげに私に委ねた。
「傷、気になる?」
「ええ、まるで、私とお揃いね……」
「……確か祖父の言いつけで、庭の
あの時代は、ほら、乾布摩擦とか普通だったから『ちょっと気合いを入れてやろう』というつもりだったのかもしれない。
僕は皮膚がかぶれて、小さな切り傷を作った。何だかその傷に愛着が湧いてしまってね。誰にも黙って隠してたんだ」
「どうなったの?」
「虫が湧いた。蛆だったのかな。当時は『芋虫』としか呼んでなかったから分からない。
自分のなかでうごめく脈動を感じた。感動したよ。
だからたまに思う。僕のなかには目に見えないだけで何万も生き物がいる。
生き物が自分の体内にいることなんて普通なんだ。それが頭のなかの空想ってこともあるだろう」
彼は傷跡の残る手を軽く掲げてみせた。私は勇気づけられて、付け加えた。
「その生き物が、大事な友人になる事もあるわよね」
「うん。あるよ」
彼は少し頭を屈めるように、私の傍に寄った。
「ところで、――シャーレはいくら?」
私は目を見開いた。
「よく分かったわね。私がそういう事を受け付けてるって」
「まあね。ここはそういう場所だし」
「でも昼間でしょ。普通は分からないのに……。
実は、私のほうがあなたに……展にいくらか訊こうとしてたのよ」
今度は彼が
「よく、分かったね。……僕は小遣い稼ぎというか、そうしないとこれまでやってこれなかったから。
でも、今日だけは君を見かけた瞬間に買うつもりになって来た。それなのに、僕、君に買われるのかなあ……」
「こういうのはどう? 今から互いの時間を買い合って、単なる友人同士の食事に行く」
「それって……変だよ?」
「私たち皆、ちょっとずつ変なのよ。毎日、間違えた自分が増えていくけど……それでも、変でいるしかないの。
あなたなら、展、あなたなら分かってくれると思ってるわ……。
私には約束事の時に指切りする小指がないけど、約束する、きっと大切な友人になる」
「では、僕が君の左手の小指になるわけだね。……悪くないな。いや、それどころか素敵だね」
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