第4話 晩餐会 開幕!
「これはどの皿に盛るんだっ、皿によって切り方変わるぞッ!」
「これっす!」
「これに、どんな盛りつけにする?! どのくらいの大きさで、どんな形で載せたいんだッ?!」
「こんな形で」
両手の指で円を作ってくしゅっと縮めて、魚の切り身の形を指定する。
「オケ・ダコ!」
あゆは一匹丸々の魚を、ザンザンザン!と熟練の技で切っていく。何が難しいといって、一枚ごとに目方が変わらないように切るのが、素人では不可能。おまけに、ただ目方が同じになればいいというものでもない。三枚か二枚におろしたあと、腹と尻尾の方では幅が違う。腹のほうは幅いっぱいに輪切りにすればかっこうがつくが、尻尾の方まで同じに切ったら、台形、三角形になっていく。どの切り身も皿に盛って横長に見えるように、しっぽに行くにつれて斜めに包丁を入れるようにしていく。
ついでに、しっぽに行くにつれて身の高さがなだらかに低くなっていくので、断面が狭くなっていくのだが、切るたびにだんだん包丁を寝かせていく。断面を広く見せるためのトリック。腹からしっぽ側まで、どの切り身も断面を同じく見せる。
包丁の角度には二つあり、ひとつは、まな板に対する角度で、刃を起こすか寝かすか。もうひとつは、魚の背骨に対する角度で、直角か斜めかだ。二つを同時に気遣いながら、切っ先を落としていく。迷ったり考えたりしない。切ってきた数が数千、数万と、圧倒的に違う。あゆに言わせると、料理番組で包丁を握っている料理研究家の腕など、「下手くそ!」だそうである。
晩餐会、開始三〇分前。眼鏡を磨き上げた奥の目に鋭い眼光、不敵な顔の桑原が、ホテルに到着した。回転ドアを通り、大理石のレセプションに入る。伴われて歩く、ドレスアップしためいあはめいあで、希望で明るい顔だった。
染矢大使は一五分前、レミュールはぎりぎりで会場のレストランへ駆け込み、予定時刻ぴったりに、晩餐会は始まった。
「ほう……これは、これは」
コースは半ばまで進み、メインの肉料理が出たところだった。まず見た目を楽しみ、上品なマーブル模様を描いているチョコレートベースとパイナップルベースの二色のソースを、ナイフとフォークで切り取った柔らかな肉に添えて口に運び、顧問は、えもいわれぬ顔になった。
「う……」
う・う・う・う・う・と体が小刻みに震える。
「うまーっ」
ヒヒーン、と、白馬と栗毛がチャリオットを引き頭上に虹を描く。そんな気がするくらい幸せな味だった。
噛みしめ、肉汁のあふれてくるうまみを味わい、舌の上で二種類のソースと共に甘酸っぱく奏でるハーモニーに陶然となる。堪能し、ゆっくりと噛みしめ、もう一切れを口に運ぶ。
「ふぅ……」
ワール国の特産品だけで構成するというコースの中で、もう何度めかの満足の溜め息をついて、
「このラパン(ウサギ)のような肉は……? これまで、このような肉は食べたことがありません……」
皿の上の白っぽい肉を、レミュール顧問は純真な瞳で見つめる。
その様を、離れた戸口のカーテンの影から、京旗は眺めて、満足していた。厨房から、こっそり少しだけ、客の様子をうかがいにきたのだった。
顧問と同じテーブルについていた染矢大使が、忙しいシェフのかわりに、微笑んで説明役をかってでた。
「アグーチですよ。顧問。外見もウサギに似ています」
「アグーチ! 名は聞いていたが、こんなに素晴らしい味とは思わなかった。売りだせば、儲かるんではないですかな」
まさに京旗がいわんとしていたことを、顧問は考えてくれた。
「ええ。アグーチはここらだけの特産ですから、売れるものなら、売り出してやりたい商品です」
と日本大使は言った。だが、意識して告げなかったこともあった。
それを桑原は、はっきりと告げた。
「しかし、無理なことです。我々も、商品化してやろうとした。名前になじみがなく販売が難しいので、〝アフリカのウサギ〟なんていう商品名までつけて、売り出しを考えていた。各国の見本市に出してみたこともある。だが、アグーチは採れる数に限界があり、とてもヨーロッパや他国に浸透するほどの大量販売はできなかった。かといって、高級肉として競って買われるほどには、よい味ではない。諦めるしかないんですよ」
一色京旗としては、この肉など、商品価値があるものとして勧める筆頭のつもりだったろう。だが、やはり勉強不足だったな。
桑原にとっては、片腹痛いというものだった。
――あ、諦めるしかない?!
京旗と同じように、テーブルの方では顧問も驚き、訊いていた。
「それは、どういうことですか?」
桑原は、フと皮肉に口許を歪めた。
「アグーチは繊細な野生動物で、食べ物も環境もコントロールしてやるのが難しく、飼育できず、狩るしかないんです。牛肉や豚肉や鶏肉のように、養殖生産できないんですよ」
勝ち誇ったような笑み。
「待って下さい」
さらに不敵な笑みを装って、京旗は悠然と踏み出した。
「そのアグーチですが、養殖はできます」
「なにっ……?」
「本当ですよ。ダメジャン郊外に、囲い地の中で飼育している村があります。そこでその研究をしているらしいアラビア人に、僕は会ったんです」
言いながら、そうか、だからあのノッポはあんなに嬉しそうに語っていたんだ、と今さら気がついた。
「そんなハズはない。それなら言ってみなさい。どこの国の、なんていう学者だと?」
「それは……」
ぐ、と京旗は詰まった。
「とにかく、探せば見つかるはずです。アグーチを飼育する方法は、あるんです。大丈夫です」
――くっそー、あのノッポ、こんなことなら捕まえておくんだったぜ!!
案内できるだろうか? 京旗一人で、ダメジャンからあの村への道が分かるだろうか?
だが、ともかく今はまだ晩餐会の途中で、京旗は急いで厨房へ帰らなければならなかった。
京旗が去ったあと、桑原は、フフフ、と笑いを漏らした。
「アラビア人だって? 養殖できるだって? 私たちは既に、アグーチについては徹底的に調べたんですよ。一色くんは、口から出任せを言っているんです……!!」
桑原は、この国への憎悪にとりつかれていた。
「わぁっ……!!」
めいあは、声をあげ、顔を輝かせていた。目の前には遂に、少女のいちばんのお楽しみ、食事の最後のデザートが登場していた。
金縁の波打つ白磁のシェルの皿に、コロソルというヨーロッパにはない果物の淡いクリーム色のシャーベット。シャーベットはもう一種類あって、そちらは赤い。ワール国ではビサップというジュースでおなじみのハイビスカスの花とショウガのシャーベットだった。
生のレモングラスを飾ってあって、そのみずみずしいきみどり色がとてもきれいだ。蚊よけにもなるお茶としてふだん飲んでいるハーブの葉なのに、ものすごく特別なものみたいに見える。
そしてその二つのシャーベットの楕円の島が並んで浮かぶ、金褐色の冷たいスープの海。それはぷるぷる揺れるほどのごく柔らかいゼリーを、そっとクラッシュしたものだった。
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